諦めの悪い彼

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 前回までのあらすじ(ネタです)

 先の戦いのあとカインと共に月へ旅立ったゴルベーザだったが、フースーヤ伯父の勧めで青き星に帰還した。城での同居を求めるセシルの申し出を断り、カイン と共にバロンの片田舎に居を構え、二人静かに暮らしていた。王に即位したセシルとの兄弟仲も良く、彼も兄に甘え、たびたび二人の許を訪れていた。


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 遠くに聞こえていたプロペラ音が次第に大きくなったので、カインは読みかけの本を置いて戸外に出た。風はさわやかで、木々の緑も青い空も目に眩しい。赤い標 章を施した小型の飛空艇が着陸態勢に入るのを、左手を顔にかざして見守る。砂塵を巻き上げ着陸した機からタラップが下ろされると、カインはそれを二段跳びで駆 け上がり、扉が開くのを待った。そして現れた幼馴染を心からの笑顔で出迎えた。
「いいところね」
 ローザは目を細め辺りの景色を見下ろしたが、カインは、彼女の変わりように驚き言葉につまり、挨拶の第一声さえ出せなかった。
 ある程度予想はしていたが……
「おまえ……すごいな。腹だけじゃなく……」
 自分の予想を上回りふくよかになった彼女に、思わず本音が漏れる。
「しょうがないのよ。二人分食べてるんだもの」
「四人分の間違いだろ」
 もう、と笑いながら二の腕を叩いてきた力が思いのほか強く、カインは密かに顔をしかめた。既に言われ慣れているのだろう。自分の無礼も笑ってやり過ごす彼女 の大らかさに、カインも笑って頷き彼女の手を取った。足許が見えにくい彼女のために手をしっかりと握ってやり、タラップを慎重に降りる。
「しかし、いいのか。出歩いて」
「運動したほうがいいのよ。息抜きも必要だし」
 そうか、と応え地上に降り立ち、彼女のゆっくりとした歩調に合わせて歩く。重い身体を左右に揺すって歩く姿はカインには見慣れないものだったが、まるで極寒 の地に住む飛べない鳥がよちよちと歩いているようで、素直に愛らしいと思った。


 あれこれと身の周りの世話を焼いていた随行の女官たちも飛空艇に戻り、カインとローザは水入らずで昔話を楽しんだ。
「ねえ、セシル、よく来るでしょ」
「ああ。ケンカもほどほどにな」
 セシルはいつも「ケンカをした」と駆け込んでくる。自分たちの前ではとても国王とは思えない態度で兄に甘える彼に少々不安があったので、咎めるつもりは無 かったが、カインは窺うようにローザの顔を見た。
 彼女が怪訝そうに眉を寄せる。
「え……そんなにしてないわよ」
「毎度、ケンカした、って駆け込んでくるぞ」
 彼女は眉根を寄せたまま顎に手を当てた。
「わかった、それ、口実よ。しないわけじゃないけれど、めったにしないもの」
 あの野郎、と思わず胸中で毒づく。
「そうか……」
「うれしいのももちろんあるけど、不安みたいなのよね、どうやら」
「何が」
「父親になることが」
「そんなものか……」
「自分が父親を知らないでしょう。だから、うまく接することができるか、いまから心配しているみたい」
 そんなものだろうか。
 孤児として育ったセシルは、親代わりの先王から愛情を注がれていたはずなのに、やはり当人には相当の遠慮があったようで、本当の親の愛を知らないことを思い 悩んでいる時期もあった。「自分は欠けた人間かもしれない」と愚痴をこぼしたこともあった。それでも彼は人を愛し愛された。誰にでも好かれ人の好い彼がそこま でナーバスになるほどに親になることはたいへんなことなのだ、と自分が想像もしない領域に適切な言葉など浮かぶはずも無く、カインは理解することをあきらめ、 幼馴染の間柄、気楽に応えた。
「どうせ甘い父親になるに決まってるさ」
「私もそう思うけど」
 ローザはため息混じりに呟いて苦笑いを浮かべた。
 またプロペラ音が聞こえ、それが次第に大きくなり、飛空艇の着陸する音が聞こえてきた。
 ローザがそわそわと居住まいを正しちらちらと扉を窺うのを見て、カインは、気を遣わなくていい、と声をかけた。
「戻ったぞ」
 扉の開閉の音が何度か聞こえたのち、客間にゴルベーザが現れた。
「こんにちは。お邪魔しています」
「いや、そのままで。いらっしゃい。ごゆっくり」
 ゴルベーザは立ち上がろうとしたローザに片手を上げ、そのまま隣室へと消えた。彼女は肩をすくめ、小さなため息をついた。
「なかなか打ち解けてもらえないのよね……」
「照れてるんだろ」
「未だに?」
「まあ、気まずいのもあるかもしれんな」
「そんなこと……もう、いいのに」
 カインはカップを皿に置きながら、意外とデリケートなんだ、と息を吐くだけの笑いを漏らした。ローザがカインに顔を寄せて声を潜める。
「どうしてまだあの甲冑、着けているの?」
「落ち着くそうだ」
「騒ぎになったりしないの?」
「あの姿を知っているほうが少ないだろ」
 そうね、と頷いたもののまだ納得がいかないようで、ローザはわずかに首を傾げながらカップに口をつけた。
 カインは、ゴルベーザが未だにあの黒い甲冑を身に着けることを好ましくさえ思っていたので、彼女の眉間に寄った皺を見て、不快に思う者もいるかもしれない、 と自分が及びもしなかったことを考え、自分の思い至らなさに、同じように眉を寄せた。とはいえ、ゴルベーザに「着用するな」と言うつもりもさらさらなかったの で、前置きなく、話題を変えた。
「すごく楽しみにしている。名まえも考えているみたいだ。勝手に」
 眉を曇らせていたローザの表情が、ぱっと明るくなった。
「女の子なら私、男の子ならセシルが決めることになっているんだけど、うれしいわ」
「あー、あいつ、絶対来るな。相談に」
「あなたも産めればいいのに」
 カインは飲み込みかけた紅茶を盛大に噴き出し、むせ込んだ。
「ああ、もう。大丈夫?」
 ローザは汚れたテーブルを拭きながら、カインを見上げた。俺がするから、と横から手を伸ばして、カインは大きな息を吸って吐き出し、呼吸を整えた。
「な、何を言い出すんだ。いきなり」
「愛する人の子ども、欲しいでしょ」
 からかいのつもりではないらしく、彼女の顔は真剣そのもので、カインはたじろぎ顔を背けた。
「……お、俺は男だからそんな風に考えたことはない」
「科学の力でなんとかならないのかしら」
 ローザは嘆息し、自分の大きな腹を撫でながら、青い上衣に包まれた、カインの引き締まった腹をちらりと横目で見た。
 そういえば前にそんな話があったな。
 カインはカップを口に当て、思い出し笑いで緩んだ口許を隠した。
「……そりゃあ、もう無理ってもんだ」
 カインはぼそりと呟いて、肩をすくめた。彼女が「もう?」と聞き返してきたことには聞こえぬ振りをして、カインは冷めた紅茶を一気に飲み干した。



「ようやく見つかったぞ」
「何が」
「科学者だ。ルゲイエに勝るとも劣らん奴を見つけた」
「科学者? またどうして」
「まったく、とんだ手間をかけさせられたわ。セシルの奴、生かしておいてくれたらこんな面倒をかけずに済んだものを」
「……いや、彼が生きていたら、わ、俺たちがやられていたし」
「……そうだったな」
「で、なんで科学者を、また」
「ルゲイエの研究を引き継いでもらうためだ」
「研究って……魔物のがった――」
「おまえが子を産めるようにする手術だ」
「ええ! ちょ、ちょっと待って! まだ諦めていなかったんだ」
「諦めるものか」
「い、いや、無理だから。お、俺、男だし」
「セシルの妻も言っていたではないか」
「聴いてた?!」
「私の聴力を舐めるな」
「舐めてないけど、ちょっと待ってください、じゃなくて、待って」
「何が不服だ」
「だって、そんな研究、誰だってできるわけじゃあ……」
「ルゲイエ並の頭脳はあるようだ。ルゲイエ並に常識が欠けていないのが残念なところだが」
「いや、欠けていないのが大事でしょう。そこは」
「バブイルの塔のラボもそのまま残してあるし、さっそく明日案内する」
「ここのところ毎日出かけていたのは、その用?」
「問題ない。燃料費はすべてバロンにつけておいた」
「そういう問題じゃなくて! あ、甲冑姿も?」
「何かとハッタリが効くからな」
「威圧目的……」
「年が近いほうが一緒に遊べていいだろう。早くせんと」
「何が!」
「セシルの子と兄弟のように育てるのだ」
「だから、ちょっと待って、って。ローザは今後また産むかもしれない。兄弟はいくらだってできるだろうから、何も急いで、お、俺たちが、その……」
「おや。おまえも満更でもなかったようだが」
「あ、あれは……あのときは、まだ……」
「気が変わったのか」
「それに、あんなに太るのはちょっと……」
「しあわせそうでいいじゃないか」
「いいけど、それが自分のこととなると……だめだ、想像したら……」
「産むまでの辛抱だ。丸々としたおまえも可愛いだろう」
「勝手なことばっかり!」
「真面目に言うと、男と女では身体構造が違う。ましてやおまえは鍛えてある。そんなに心配せんでいい」
「それだけじゃなくて……」
「てっきりよろこんでくれると思ったのだが」
「そんなに落胆しなくても……だから、嫌なんじゃなくて、その、手術が――」
「嫌じゃないんだな」
「またそうやってなし崩しに!」
「嫌なのか、嫌じゃないのか。そんなに嫌なら諦めるかもしれない」
「『かも』? 『諦める』じゃないんだ」
「……わかった。無理強いはしたくない。私も肚を括ろう」
「え」
「自分で産むか」
「えええ!」
「おまえが嫌がるから、仕方がないだろう。但し、いまさら犯されるのもかなわんから人工授精だな」
「……」
「どうした」
「わ、わかりまし、わかった! わかったから! 産みゃいいんでしょう! 産みゃあ!」
「そんな言い方はよくない」
「……」
「そう拗ねるな」
「どっちが!」
「明日おまえにも会わせよう」
「……」
「大丈夫だ。子育てが不安なら、バロンから人を呼べばいい」
「そんな先のことは……」
「ここだけの話だが、術後の身体は、以前と比べ物にならないくらい感度が上がるらしいぞ」
「え! そ、それはいいかも……って、もうその手には乗らないからな!」








2009/03/15
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