「カイン! カインじゃな?」
小柄な老人に廊下で呼び止められ、俺は足を止めた。彼は確か……
「ルゲイエ博士?」
ミストの地震に巻き込まれ負傷した俺を治療したのはこの博士だと聞いていた。もっとも、そのとき俺は気を失っていたのだから、これが初対面も同然だった。
「おお、いい肌の色艶じゃ。声もなかなかいい」
「……その節はありがとうございました。お礼が遅れまして」
彼が寄越してくるねちねちとした視線に気づかないふりをして、俺はとりあえず治療の礼を言った。
「おまえがなかなか訪ねてこんから、来てやったぞい。さあさ、はよう入れ」
「は、はあ……」
博士を訪ねる理由などなかったし、何のことだかさっぱりわからず、それでも、俺の腕をぐいぐい引っ張る博士の強引さに気圧され、俺はおとなしく彼の後に続いて、彼がこのゾットの塔内に与えられている一室のドアをくぐった。
端末が何台も並んだ殺風景な小さな部屋の中、博士はその中の一台の前に腰掛け、俺にも椅子を勧めた。彼が俺にはよくわからない機械をごそごそといじりだすと、画面の中に魔物の画像が映し出された。
「おまえの意見も聞いておかんとな。美しいやつな……ええ、どれどれ」
「あの……何でしょうか」
「これでどうじゃ? 魔法も使えるようになるかもしれんぞ」
彼がカタカタとボタンのようなものを叩くと、画面にソーサルレディが映し出された。
「どうだと言われても、何なんですか?」
「美しいだろう」
「さあ。あまり考えたことはないのですが」
「美しい奴は、日ごろ鏡を見ているせいか、目が肥えていかんな」
博士はぶつぶつ言いながらまたカタカタ叩き始めた。
「これでどうじゃ。ラミア。なかなか強いぞ。脚は無いが心配はいらん」
何なんだ。どうにも噛み合わなくて、俺は、面倒だったが、逐一彼に説明を求めることにした。
「あの……俺になぜ魔物の画像を見せてその感想を求められるかさっぱりわからないんですが」
博士は眼鏡をずらし、少し驚いた顔で俺を見上げてきた。
「なんじゃ、おまえさん、ゴルベーザ様に聞いとらんのか?」
俺は、何も、と首を横に振った。
「ゴルベーザ様が、おまえを雌の魔物と改造するようおっしゃられたんじゃ」
「何だって!」
俺は思わず大きな声を上げて立ち上がった。そんなこと聞いていない。初耳だ。第一、俺がここへ運び込まれてきたとき、この博士は俺を魔物に改造しようとしたがゴルベーザ様がそれを赦さなかった、と聞いている。それをなぜ今ごろ?
「ほれ、これはどうじゃ。リリス」
「だから聞いてませんって!」
「じゃが、ゴルベーザ様がおっしゃるのだから受け入れんと。ほれ、マザーラミア」
「だから、何故、脚が無いのばかりなんですか!」
冗談じゃない。俺は怒り心頭で、彼の部屋を飛び出した。
「失礼します! ゴルベーザ様!」
俺はおざなりなノックの後、息を切らせて主の部屋に駆け込んだ。
「何だ。何をそんなに慌てている」
「あ、あの……」
俺は両膝に手をついて上がった息を整えながら、心臓が落ち着くのを待って、畏れ多くも主にまくし立てた。
「ル、ルゲイエ博士に会いました。俺、私と雌の魔物で改造するって……」
「ルゲイエの奴……口の軽い。私の口から言うつもりだったが」
「どういうことですか? やはり生身の人間のままでは力及ばずということですか」
「いや、そうではない」
「どうして今更手術を受けなければいけないんですか」
「落ち着け、カイン」
「力は欲しいです。でも自分が自分でなくなるのは嫌です!」
「力など要らぬ。おまえに私の子を産んで欲しいのだ」
「……は?」
俺は昂奮していたから主の言葉を聞き違えたのだろうか。いや、確かに「産んで」とか何とか聞こえた。
「私は男なのですが……」
「おまえとおまえの親の次に、私がいちばんよくわかっている」
俺は昨夜のことを思い出し、頬がかあっと熱くなった。
「だから改造で産めるようにしてもらおうと考えた。私も、自分の遺伝子を遺したいと思うようになってな」
それは人間の本能だからわかる。わかるけれど。
「だったら、普通に女に産んでもらってください」
「おまえとの子が欲しいのだ」
彼は俺の両手を取りぎゅっと握り締めた。そんなことをされたのは初めてで、俺は戸惑いのあまり少し後ずさった。
「私とおまえの子なら、さぞかし美しい子になると思わんか」
「ゴルベーザ様のお顔を拝見したことがないのですが」
主はゴホンと咳払いをした。
自分でそう言うからには容貌に自信があるんだろうな。まだ見ぬ主の顔を想像して、俺はちょっと嬉しくなった。
いや、にやついている場合じゃない。
「子どもができたって、魔物の……」
「心配しなくとも、子を産む機能だけをおまえに移す。生まれる子は普通の人間で、当然おまえの遺伝子を持つ。出産後はすぐ元の身体に戻ることができる。人間の女では不可能だが、魔物とならばそれができるそうだ」
「女の身体になるのでしょう?」
「外見は今のままだ。いまは良い人工粉乳もあるから、巨乳になる必要もない」
「……巨乳、お好きなんですね」
彼はまたゴホンと咳払いをした。
腕にかっていた黒いマントを後ろに翻し、彼は俺をふわりと抱き締めた。そんな緩やかな抱擁でも俺の胸は高鳴り、彼の肩に頭を預けた。
「自分の腹がでかくなるのなんて、想像したくありません」
「もちろん妊娠中は仕事は休んで、ここでゆっくりしていろ。誰にも会いたくなければそれでいい」
「いえ、そういうことじゃなくて……」
「腹の中で育んでいる間に、愛しい気持ちが湧いてくるだろう」
そんなものだろうか。
俺の身体に緩く回されていた彼の腕に力が込められる。硬い甲冑越しでも広い胸の中は心地良くて俺は目を閉じた。
瞼の裏に、なぜか黒い甲冑姿の小さな赤ん坊の姿が浮かんだ。
俺、その気になってないか?
だって「子どもを産んでくれ」なんて、もし普通の男女の場合ならプロポーズの台詞じゃないのか。俺たちは男同士で主従だからちょっとややこしいだけで、彼が俺を愛しく思っていることは疑いないことではないのだろうか。
俺は思い切って訊いてみた。
「どうしてこんな面倒な手順を踏んでまで、私に?」
「……言わねばわからぬか」
しまった。俺、女みたいに言葉を求めている。
「すみません。あまりに驚いたので、出過ぎました。失礼をお赦しください」
俯いてしまった俺に、彼はふっと息を漏らし、俺の顎をくいっとつまんで顔を上げさせた。
「子作りのときは、一糸纏わぬ姿で交わることにするか。どうだ」
「は、はい!」
思いも寄らない提案に改造という一大事をさて置き、俺は嬉しさのあまり声を上ずらせ配下であることも忘れて、彼の首に腕を回しぶら下がらんばかりに抱きついた。
2008/06/22