決心

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 いつも三人一緒に遊んでいた。
 いちばん年長のカインは、それはやんちゃでいつもリーダー格で、新しい遊びを考え出す天才だった。
 セシルはおとなしくてやさしいけれど、言い出すと聞かない頑固で譲らないところがあった。
 私はいちばん年下だったけれど、あまり二人をお兄さんとは思わなかった。なぜなら、つまらないことでケンカを始める二人を仲裁するのはいつも私の役目だった し、いつまでも口を利こうとしない二人にはらはらしていても、私の知らないうちに、仲直りする間もなく、私を置いてきぼりにして駆け出してしまう二人に、腹を 立てることがしょっちゅうだったから。戻ってきた二人はいつも平謝りで、もう絶対ケンカしないから、必ず約束するから、と拗ねる私に必死で訴えたけれど、それ はいつも反故にされた。
 あの頃は男も女もなかった。いつまでもこんな楽しい日々が続くのだと思っていた。


 竜騎士団団長であるカインの父が亡くなり、母も既に亡くしていたカインは一人ぼっちになってしまった。一人といっても名家である彼の家には使用人がたくさん いたし、生活するには困らない財産が相当あっただろうけれど、家督を継ぐということは幼い子ども一人にできることではないので、父の妹であるカインの叔母夫妻 がカインの後見として出戻ってきた。
 彼らと反りが合わなかったのか、家を出ることを望んだカインは、就学年齢までまだ二年余りあるというのに、士官学校への入学を国王陛下に願い出た。
 前例の無いことに陛下は困り果て、いろいろと諭してみたけれどカインの意志は変わらず、許可されなければ二年間修行の旅に出る、とまで言い出して陛下を困ら せた。
 カインの強い熱意に折れて、遂に陛下は、孤児や諸々の理由で家庭での養育が困難な子どもたちを集めて、全寮制の小等部を創設した。もちろんそこにはセシルも 含まれていた。
 週末は帰宅できるとはいえ、以前のように遊べなくなるので、私はまたもや置いてきぼりにされたようで、とても寂しかった。私も二年後には魔導士養成学校に入 るけれど、それまでどう過ごせというのだろう。
 愚痴る私に二人は、毎週末必ず帰ってくるから絶対に遊ぼう、と言ったけれど、その頃の私は既に「絶対」も「必ず」も無いのだということを知っていた。


 二年後、私も学校に入学し、忙しい日々を過ごしていた。毎週末帰宅すると、二人が少し遅れて私の家にやって来て、母の手料理に舌鼓を打つのが習慣になってい た。
 ほぼ毎週会っているというのに、会うたびごとに二人の背が伸び身体が逞しくなっていくことに、少し気後れがした。ある日突然、カインの声が低く掠れたものに なっていたときには軽いショックさえ憶えた。
 私自身も身体は丸みを帯び、なにより、初潮を迎えていたのだ。思春期の身体の変化は当然のことなのに、何故かそれを受け入れがたい思いに駆られた。
 母に頼まれ、倉庫でじゃがいもの入った重い袋を引っ張り出していたときに、横からセシルが、ひょいといとも軽々と袋を持ち上げた。ありがとう、と礼を言うと 彼は、重いものは僕らに任せて、と笑った。
 私は女で彼らは男なのだ、と当たり前のことを考えながら、言葉にし難い寂しさを感じた。


 セシルは筆まめでよく手紙をくれた。学問のこと、修練のこと、友人のこと、中でもほとんどはカインのことで占められていた。同室のカインが何をしたか、何を 言ったか、実技演習で彼がどんなにすごかったかが詳細に綴られていて、カインの様子が手に取るようにわかった。
 一方、カインはあまり手紙をくれなかった。セシルが小まめに書いているから自分は必要ないと思っていたのか、くれたとしてもそっけないものだった。
 二人からの手紙をベッドの上に並べてみた。大らかで、でも巧いとはいえない文字がぎっしりと埋められたセシルからの手紙、流れるようにきれいな文字が綴られ た空白の多いカインからの手紙。二人の士官学校での生活を想像しながら、私は、自分も男装の転校生になって彼らと共に過ごすという空想を楽しんだりした。


 ある日セシルは、カインがさきごろ立てた武勲を熱っぽく話してくれた。当のカインは、自分が話題になっているというのに、関心がないように、黙ってスプーン を動かしていた。彼のこんな態度にも慣れてしまった。以前は、疲れているのか、どこか虫の居所が悪いのかとやきもきしたけれど、母に尋ねると、男ってそんなも のよ、と教えてくれた。
 カインの口数はどんどん少なくなっていった。話し掛ければ応えてくれるけれど自分から積極的に話そうとしない。
 男って難しい。スプーンを振り回さん勢いで昂奮気味に話すセシルと、その隣で静かにちぎったパンをスープに浸すカインを見比べて、私は人知れずため息をつい た。


 士官学校を卒業した二人は兵学校へ入学した。この頃はさらに忙しくなって、帰宅も毎週とはいかなくなっていた。私と彼らの帰宅が合わないときもあって、二人 に会うのは月に一度ほどになっていた。
 久々に三人が揃った日。
 セシルが花束を抱えて帰って来て、僕たちから、と私に赤い薔薇の花束を差し出した。来週の私の誕生日には帰れそうにないので早目に、ということだった。私の 誕生日には、毎年こうして二人で花束をくれる。満面の笑みのセシルとその後ろで少し俯いて口許に笑みを湛えるカイン。ありがとう、と言うとカインは少し頭を下 げて、ダイニングルームへ行ってしまった。
 残されたセシルは私に小さく手招きをした。彼との距離をさらに縮めると、セシルは、きれいな紙に包まれた小さな箱を私に手渡してきた。これは僕から、と私に 耳打ちをして、彼もダイニングルームに行ってしまった。
 どういうことだろう。いつもは花束だけなのに。頬が熱くなるのを感じ、私は戸惑った。
 食事のとき、ちらちらとセシルを窺い見た。彼はいつものように、学校での出来事を熱っぽく語り、隣のカインは適度な相槌を打つ。時折、セシルに対してぼそっ と呟くカインのひと言は殊の外おもしろくて、食卓は笑いに包まれた。頬を膨らませたセシルがカインの腕を突付く。それを受け止めながらカインがまたぼそりと呟 く。
 一緒に過ごす時間の長さが違うのだから当たり前だけど、カインは私と話すときよりもリラックスして見える。セシルも屈託なく彼に接している。疎外感を感じる のは間違いだとわかっていたけれど、このとき私が感じたのはそれではなく「嫉妬」だった。
 その夜、寝室に戻ると、私の部屋のドアノブに何かがぶら下がっていた。それは白い袋で、中にきれいに包まれた箱がカードと共に入っていた。
「誕生日おめでとう Cain」
 きれいな流れるような文字でひと言だけ。慌てて部屋に入り、後ろ手に鍵をかけ、大きく息を吐いた。
 落ち着いて、落ち着いて。
 燭台に火を灯してから、ベッドの上で二つの箱を開けた。セシルからはオルゴール、カインからは手鏡。どちらも私の大好きな花のモチーフが施されていて、とて も素敵だった。
 私は抱え寄せた膝に頬を乗せて、月の明かりに照らされきらきらと光る二つの贈り物をぼんやりと眺めた。
 私は女で彼らは男。
 自分の腿に当たる二つの丸みの柔らかな感触に、それを嫌と言うほど思い知らされた。


 ある日帰宅すると、テーブルでお茶を啜っていた母が慌てた様子で駆け寄ってきた。母の話は、セシルが暗黒騎士になる、というものだった。母は若い頃陛下を側 で支えた名うての白魔道士で、今日開かれた陛下と旧い臣下との懇親会の席で聞いてきたのだった。嘆く母の様子を見てただごとではないと察した私は、すぐ亡き父 の書斎に篭って暗黒騎士について調べた。

 暗黒騎士――自らの命を削って闇の力に変え敵を倒す最強の騎士。暗黒剣を手にした者はやがて心も闇に支配されるだろう。

 止めなければ。すぐにでも彼の寄宿舎に駆けつけたい気持ちに駆られたがそうもいかない。私はセシルへ手紙を書き始めた。しかしすぐ、書きかけた紙を丸めてく ずかごに捨てた。私じゃない。彼を止められるのは私ではない。私はカインへの手紙をしたため始めた。
 カインからの返事はすぐに来た。内容は私が望んでいたものとは正反対のものだった。セシルが選んだ道だ、好きにさせろ、と。
 どんな姿になろうとセシルは親友だ、とも記してあった。私は手紙を手に、恥ずかしさにひとり顔を赤らめた。彼らがこのことについて話し合わなかったはずがな い。私一人、蚊帳の外で慌てて、セシルを止めようとしたのだ。カインはセシルを信じている。セシルはカインを信じている。私は…
 追伸として最後にこう記してあった。まだ先のことだから今度会うときにゆっくり話すといい。
 そのことに少し安堵したけれど、私は心に決めた。彼に会っても、口に出さない。問い詰めたり反対したりしない。私もセシルを信じるのだ。


 その日は突然やって来た。
 私が帰宅したとき、居間のソファで、セシル一人が愛猫の相手をしていた。彼の話では、カインは同班の友人の課題を手伝っているので今日は帰れない、というの だ。それは初めてのことで、私は予感めいたものを感じた。
 いつもより少し寂しい三人での食事の後、セシルは私を散歩に誘い出した。
 満ちた二つの月が照らす並木道、半歩私の前を歩いていたセシルは、振り返りもせず、私に右手を差し出した。私はためらうことなくその手を握った。
 こんなに広く大きくなっていたんだ。少しささくれているのは、毎日剣を振っているからだろうか。温かな手は少し汗ばんでいて、彼も緊張しているのだ、と思っ た。
 歩いている間彼はひと言も話さず、私も何も喋らなかった。やがて水路を跨ぐ橋の上で立ち止まった彼は、私の方を振り返り、すうと息を吸い込んだ。月の明かり に照らされた彼の銀色の髪がこの世のものとは思えぬ美しさで煌き、カインは毎夜この煌きを見ているのだ、とぼんやりと思った。

 ローザ。

 名まえを呼ばれ、彼と目を合わせた。

 僕は君が、君のことが好きだ。

 それは私の知っていることだった。彼は照れくさそうに俯いて、返事を急かすように、握った手に力を込めた。私の返事は決まっていた。

 私もよ。

 彼は安堵の息を吐いて、さわやかに笑った。抱き締めていいか、と訊く彼に黙って頷いた。
 それは、私の周りの空気を抱いているかのような緩やかな抱擁で、彼の広い胸に寄りかかりながら、私は舌で唇を湿らせ、息を吸った。

 約束して欲しいことがあるの。

 ん? と彼が私の顔を覗き込んできたので、私は顔を上げて彼の青い目を見つめた。

 私だけを好きでいて。私以外の人を好きにならないで。絶対に。

 私の強い調子に彼は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに微笑んで、当たり前じゃないか、と言った。

 約束して。必ず、私だけだと。絶対に他の人に心を移さないで。

 「絶対」も「必ず」も無いと子どものころから知っていたのに、そう言わずにいられなかった。

 約束するよ。君だけだと。

 再びふわりと抱き締められ、私は心の中で呟いた。
 やさしい、やさしいセシル。どんなときにも素直で純粋で、あなたの言葉に嘘はないのでしょう。あなたが、あなた自身の与り知らないところで誰かに心を動かさ れたとしても、私はあなたを決して離さないでしょう。







「彼と話をしたの?」
「ああ」
 セシルは手当てが終ったばかりの肩の傷をかばうように、ゆっくりと立ち上がった。
「今夜は安静にしていてね」
「わかってる」
 そう返事をしながら私の額に軽く口付けた。
「で、どうだったの?」
「……ああ。体調は悪くないって。心配ないよ。元々口数は少なかったじゃないか」
「それはそうだけど」
「彼が戻ってきたことで戦力も増してぐっと有利になったしね。はっきりとは言わなかったけど、あっちでかなり鍛えていたんじゃないかな。今日の最後の一突きも 凄かっただろ? あまりの凄さに、僕なんて鳥肌が立ったよ。ああ、帰ってきてくれてよかった、ってうれしい気持ちのほうが大きかったけどね。見舞いに行ったと き、シドも、もう大丈夫だ、って言ってだろ」
 よく喋る。いつにもまして饒舌なセシルに私は違和感を憶えた。
「セシル」
「ん?」
「あなたは大丈夫なの」
「傷? 君が手当てしてくれたからばっちりだ」
「そうじゃなくて」
 私は彼の青い目をじっと見つめた。私と目が合うと、彼は睫毛を何度も瞬かせ、ゆっくりと視線を逸らせた。

 嘘がつけないセシル。素直で純粋で、誰にでもやさしい、皆のあこがれのパラディン。あなたはわかっているのだろうか。
 あなたが彼を想うのは、親友を救いたいがためで、それは愛情じゃないことを。

 黒い渦に飲まれもがき苦しむ彼を救おうとあなたが差し伸べた手を、彼はしっかりと掴んだのだろう。でも、あなたは彼をそこから救い出すことはできず、共に沈 み、共にもがき苦しんでるように見える。もしかしたら、渦の中は存外心地良く苦しみさえ安らぎで、彼はそこから出るつもりはなかったのかもしれない。
 あなたが悪いんじゃあない。彼が悪いんじゃあない。悪いのはすべてあの男だ。
 私は聞いた。あの男の名を呼ぶ声に滲むせつなさを。
 私は見た。黒いマントを掴もうと、遠慮がちに伸ばされた手を。
 それこそが「洗脳」なのだと理性ではわかっていたけれど、それらを目の当たりにした私には、感情が勝(まさ)った。彼にはこの男が必要なのだ、心の奥底でこ の男のような存在を欲していたのだ、と私の「女」が私の心に訴えてきた。

「セシル」
「ああ、大丈夫だ。僕は僕だ。いつだって」
 やさしく微笑んだ彼の眸は愁いを帯びていた。
 どうしてそんな目をするの? つらいことがあるなら私に打ち明けて。ひとりで抱え込まないで。
「あなたをいちばん愛しているのは私よ」
 私の直截な言葉に彼は目を見張ったが、すぐ、いつものようにやさしく微笑んだ。
「あなたのためなら、私はなんだってするわ」
 私は彼にぎゅっと抱きついた。セシルは、どうしたんだ、と笑いを含んだ声で言いながら、自由になる方の手で私の髪を撫で、背中を撫でてくれた。

 私はいま、嫉妬に歪んだ醜い顔をしているのだろうか。違う。彼に嫉妬などしていない。彼は心に傷を負った可哀想な幼なじみ。彼が悪いんじゃあない。

 これは、向けられた静かな熱い視線に応えられなかった私への報いなのか。

 違う。私が悪いんじゃあない。
 私はセシルを抱く腕に力を込めた。
「愛してるわ。だから……」
 目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んででも、私はあなたのそばを離れない。










2008/06/29

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