ローザの部屋を訪れたとき、中で先に手当てを受けているセシルの傷が俺のそれよりもはるかに重傷だと一目でわかったので、俺はそのまま黙ってドアを閉めた。
身の軽さとすばやさが身上の俺は重い甲冑を着けるのが大嫌いだから受けるダメージも大きく、いつも満身創痍だ。鍛えられた強靭な肉体を持つ俺だからこそこの
程度で済んでいるわけで、他の奴なら命が何十個あったって足りないだろう。とはいえ、いつも回復魔法をかけてくれるローザとセシルには、照れくさくて口には出
せないが、感謝と恩義を感じているから、セシルに早く元気になって欲しくて、俺は痛む左腕を押さえながら自分の部屋へ戻った。
部屋は真っ暗だった。俺は明かりをつけることなくわずかな月明かりを頼りに自分のベッドまで慎重に進み、腰を下ろした。
ふーっと長いため息をついてベッドに横になり、左腕をさすった。経験上たいした傷でないことはわかっていたが、旅の疲労も相俟って、痛みを強く感じるような
気がした。
時間を置いてもう一度ローザを訪ねるか、それとも、このまま眠ってしまおうか。傷の痛みで眠れるとは思わなかったけれど、窓の外の細い三日月を眺めながら、
ぼんやりとそう考えていた。
「痛むのか」
暗闇から突然声をかけられ、俺は飛び上がらんばかりに驚いた。
「びっくりするじゃねえか! いたのかよ!」
暗闇に目を凝らすと、部屋の一番奥のベッドの上で、両手を頭の後ろに敷いて長い脚を組んで寝そべっているカインがいた。
「おまえだけの部屋じゃないだろう」
もっともだ、と俺が何も返せないでいると、勢いをつけて立ち上がった彼は俺のベッドの傍らに寄り、俺に何かを差し出した。彼の左手に顔を近づけて掌の中のも
のを確かめる。それは青い小さな瓶に入ったポーションだった。道具は使い果たしたはずだったが。俺がそれをぽかんと眺めていると、さらに目の前に突きつけてき
た。
「何もしないよりましだろう」
「おまえのか」
「残りもんだ。万が一に備えて自分でも携帯している。魔法が使えないから当然だ」
「……ありがとうよ」
遠回しに説教しているような物の言い方が少々不快だったが、俺の身を案じてくれたことには違いないので、俺は年長者らしくそれを顔に出さないで礼を言った。
そもそも最初から気に入らなかった。すかした野郎だと気に食わなかったし、皆が腫れ物に触るみたいに接しているのも気に入らなかった。それには事情があるよ
うだが、誰もそれを俺に話そうとしなかったし、話さないということは俺に関係ないと皆が判断したことだろうから、俺も進んで訊いたりはしなかった。
それに、こう見えても俺は一国の王子で常識ある大人だから、そういった感情を表に出すことはなく、同じ目的を持つ仲間として、こいつには誠実に接しているつ
もりだ。
俺はもらったポーションを一気に飲み干した。それは本当に気休めにしかならなかったけれど、もちろん顔に出さなかった。空いた小瓶を部屋の隅に置かれたゴミ
箱の方向に投げた。結構な距離があったが、カサリ、という紙の音で小瓶が見事ゴミ箱の中に消えたことを確信した。その音を聞き分けてカインが芝居がかった仕種
で手を叩いたので、俺も、当然だ、とばかりに両手を腰に当て鼻息を荒くした。
「さっさとローザに治してもらうんだな」
「順番待ってんだよ」
「セシルか……どんな具合だ」
「心配なら見てこいよ」
「……そのうちな」
まただ。俺は思った。セシルとカインは幼なじみと聞いているが、二人の間には、気を遣い合っているようなぎこちない空気が流れている。だからと言って不仲と
いうわけではなく、二人だけで何時間も話しこむこともあるようだ。もっとも、俺はそのとき夢の中にいるから、二人の話を聞いたわけではないが。
俺はきれいに整えられたままのセシルのベッドを眺めながら、俺には関係ないことだ、と知らんふりを決め込んで、自分のベッドに戻っていくカインの背中をぼん
やりと見つめた。
甲冑の下に着込んでいた濃紺のアンダースーツ姿は闇に溶け込んでいたけれど、今では暗闇に俺の目が慣れて、彼の長い金髪と白い手が月明かりの中でぼうっと浮
かび上がっているのがわかる。
ところが、青白く浮かぶのは彼の両手だけではなかった。彼の左わき腹辺り、斜めにすーっと細く青白いラインが走り、ところどころが黒っぽく見えた。
「おい」
俺の呼び止めに、彼が怪訝そうに振り返った。
「怪我してるんじゃないのか」
彼は慌ててラインを手で押さえた。この彼の様子、やはり、刀傷だ。
「なんでもない」
「見せろよ」
「たいしたことない」
「素直に見せろ!」
彼の強情さにだんだん腹が立ってきて、つい大きな声を出してしまった。自分も負傷していたくせに、俺になけなしのポーションを恵んでくれた。そのやさしさに
感謝するよりも、自分の身体を命を粗末にしているように思えて、俺はとにかく腹立たしかった。しかし、そうぶちまけるのも癪に障るので、つい、事態をややこし
くするような台詞を吐いてしまった。
「貸しを作ったつもりか知らねーけど、えらそうにすんなよ!」
「たかがポーション一つで貸しが作れるか! 王族のくせにさもしいことを言うな!」
「うるせー! 俺は庶民派なんだよっ!」
俺たちはしばらく揉みあっていたが、俺は突然、天井がひっくり返るような感覚を憶えた。何かにつまづいて倒れたのかと思ったが、そうではなく、ベッドに仰向
けになった俺の上にカインが跨っていたのだった。
「悪いな、王子様。俺の方がパワーが上のようだ」
細い身体のどこにこんな力があるというのか、俺の両腕もがっちり彼の両膝に挟まれていて身動きが取れなかった。どうにか抜け出そうとごそごそと身をよじって
いた俺は、次に彼が取った行動に、頭も身体も固まってしまった。
2008/05/11