戯事(ざれごと)

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 会議のためにゾットの塔にやって来たルビカンテは、広いエントランスの一角でがやがやと人だかりができていることに気づき足を止めた。
 魔物たちが一箇所に集まり、野次馬よろしく騒がしい様子はあまり感心できるものではなかったので、いちばん外側から首を伸ばして内の様子を窺っている魔物に、何事だ、声をかけた。
 怪我人ですよ、と答えたその魔物に、ルビカンテは眉をひそめた。さっさと救護室に運ぶなり、これだけの魔物がいるのだから誰かが回復魔法をかけるなりすればよいのだ。そう口にすると、その魔物も同じように眉をひそめた。
「野生のでかいのにやられたっていうのに、手を貸そうとすると、怒るみたいです」
「……どういうつもりだ、そいつは」
「わかりません。新入りの竜騎士ですが」
 ルビカンテは合点がいき、嘆息した。あの男なら言いかねない。負傷の具合も心配だ。人垣を掻き分け、輪の中心に進み出たルビカンテは、そこに、首から血を流しうつ伏せで倒れているカインの姿を認めた。
 カインの傍に寄り膝をつき、傷を確かめようと伸ばしたルビカンテの手を、カインは、触るな、と撥ね退けた。彼の声は思ったより張りがあり、深刻な事態は避けられそうだった。
「そんな場合じゃないだろう」
「……ルビカンテ? あんたか」
「おまえ、目を……」
 カインは目が見えていないようだった。彼の甲冑は、首から胸にかけてざっくりと裂かれ血がこびりついていたが、兜に異状は無く頭部に外傷は無い。ルビカンテはカインを安心させるために、視力を失っているのは失血のショックによる一時的なものだ、と説明し、倒れてしまうほどの重傷にもかかわらず誰の助けも受けようとしない態度をたしなめた。
「わけのわからない奴らに触られたくない」
 何かと耳目を集める新参者には、負傷し視力まで失っている弱った状態を委ねられる相手がいないのだろう。
「だからといって、どうするつもりだったんだ」
「あんたがいるだろう」
「何」
「今日は会議がある日だ。あんたが来るのはわかっていた」
 ルビカンテは心臓がひとつ大きく脈打つような感覚に、息苦しさを憶えた。平静を装うために咳払いをする。
「……あまり派手なことをするなと言っただろう。否が応でも注目を浴びている」
「いないみたいだから救護室に行こうと思ったんだが、眩暈がして、倒れた」
「もう心配要らん。回復してやろう」
「頼む」
 カインはふうと大きな息を吐いた。
 彼の身体をそっと引き起こし仰向けにして、ルビカンテは回復魔法を詠唱しようとしたが、カインがびくりと肩をそびやかし自分と反対の方向に顔を向けたので、ルビカンテも顔を上げた。
 カインが顔を向けたその先は、まるで古の預言者の前で海が割れたように、人垣が二つに分かれ道ができ、そこに主ゴルベーザが現れた。

 ルビカンテは詠唱を中断して主に向き直り、恭しく頭を下げながらも主の登場を訝った。
 いくら寵臣のためとはいえ、主がこんな階下までわざわざやって来ることが解せなかったルビカンテだったが、主の背後に付き従うバルバリシアの姿を認め、理解した。他の魔物なら、自分たちにどうしようもないからといって主を呼びに行くような豪胆は持ち合わせない。
 ゴルベーザがいつものように低く穏やかに響く声でルビカンテに尋ねた。
「どんな具合だ」
「首から胸にかけて裂傷を負っていて、一時的に視力を失っているようです。ただいま回復魔法をかけます」
 ルビカンテは再びカインに向き直ったが、ゴルベーザは広げた掌をルビカンテの前に差し出し詠唱の中断を求めた。そして横たわるカインを挟んでルビカンテに向かい合い、片膝をついた。
「目が見えぬのか」
「……大丈夫です、すぐ戻ります。すみません」
 見えぬ目を主に向け、カインは、少しでも身を起こそうと肘で身体を支えた。
「痛むか」
「少し……」
 ゴルベーザはカインに腕を伸ばすと、彼をいとも軽々と抱き上げ、立ち上がった。カインは慌てた素振りを見せたが、すぐにおとなしく、皆に顔を見られまいとゴルベーザの胸に寄りかかるようにして俯いた。
 一瞬の出来事に、ルビカンテだけでなく周囲を取り囲んでいた野次馬たちも、一枚の絵画のような、主とその寵臣の姿を、どよめきとため息混じりに見上げた。
「ルビカンテ」
「は、はい」
「これの槍を持って来てくれ」
 主が顎で示した先にカインの槍が落ちていた。かしこまりました、とルビカンテは頭を下げ、槍を拾い上げた。
 ゴルベーザのために作られた通路が、魔物たちが後ずさったため、先ほどより更に広くなる。ゴルベーザは腕にカインを抱いて、悠然と、元来た道をエレベーターに向かって歩き出した。
 少し遅れて槍を手にしたルビカンテも後に続く。途中、バルバリシアに目配せをされ、立ち止まる。
「おまえがゴルベーザ様を呼びに行ったのか」
「うちのマグを外に使いに出していて、回復させられなかったのよ。寄れば『触るな』だし、いつまでも放っておけないでしょ」
 白魔法の使い手の不在に、彼女なりに責任を感じていたのだろう。そうか、と答え、去ろうとしたルビカンテのマントをバルバリシアがぐいっと引っ張った。
「あんたがもっと早く来ていたら、ゴルベーザ様の手を煩わせることもなかったのに、遅いわよ。いくらカインのこととはいえ、すごく緊張したんだから」
 バルバリシアの文句ももっともだと思ったので、ルビカンテは、彼女の肩をぽんぽんと叩いてなだめ、またあとで、と言い残して主の後を追った。


 槍を自分に任せたということは回復も自分に任されるのだろう、とルビカンテは思っていたが、主の部屋に入っても、ゴルベーザはカインへの回復を一向に命じてこない。
 ここに来てしたことといえば、主がカインをベッドに寝かせ彼の兜を脱がせたぐらいで、自分はこれといって何もしていない。果たしてこのままここにいてもよいものか。未だ破損した甲冑姿のままのカインを眺める。
 輝きを失った青い眸は天井の一点を見つめているが、まだ何も映していないのだろう。眉根を寄せ、唇を噛んで、ゆっくりとした瞬きを繰り返していたが、やがて、細く長い息を吐いて、長い睫毛を伏せてしまった。
 甲冑を脱がしてやらねば身体が休まらないのではないか。そう考えたが、それはきっと自分の役目ではないだろうと考え直すと、ますます居たたまれなくなり、なんとか退出の言い訳をひねり出そうと頭を絞った。
「ルビカンテ」
「はい」
「そこにある薬を取ってくれ」
「はい」
 ルビカンテは、ベッドの脇、真鍮製のワゴンの上、銀のトレイに並べられた小さな透明のガラス瓶の一つを手に取り、ゴルベーザに手渡した。
 薬で治療するつもりなら、尚更自分がここにいる理由がない。槍を持ったり薬を取ったりなら、他の者でもできることだ。主の考えがさっぱりわからない。

 ゴルベーザはカインの首の後ろに手をいれ頭を起こし、瓶の飲み口をカインの唇に当て、薬を飲ませた。色を失った唇から巧く飲み込めなかった液体が一筋顎を伝うのを見て、ルビカンテは何故か目を逸らせた。
 カインは申し訳なさそうに何度も、すみません、と繰り返している。
 本来ならこのような雑事を主にさせるわけにはいかないが、自分がすると申し出るのも差し出がましいような気がして、何より手持ち無沙汰で、ルビカンテはますます自分の居場所を見失った。
「これで痛みが和らぐはずだ」
「……少し楽になってきました」
「そんなに早くは効かん」
「……」
 カインの青白い頬にさっと赤みが差した。そのやりとりに、ルビカンテは思わず噴出しそうになったのをなんとか堪えた。これはこれで、面白いものが見られるかもしれない。自分の前ではいつも虚勢を張り憎まれ口を叩くカインが、おとなしく従順に、赤くなったり青くなったりするのを眺めるのも悪くない。ルビカンテは、先ほどまで考えていた言い訳のいくつかを頭の外に追い出して、ゴルベーザに命じられるまま、ガラス瓶に入った薬を手渡していった。

「バルバリシアが血相を変えて飛び込んできたぞ」
 カインに青い瓶に入った薬を飲ませながら、ゴルベーザは息を吐くだけの笑いを漏らした。
「私がもう少し早く到着していれば、ゴルベーザ様のお手を煩わせることも無かったのですが」
「本当にそう思っているのか」
「……いえ」
 それがバルバリシアの受け売りで、自分の言葉でないことは見透かされている。おそらく、この部屋に来てからの自分の戸惑いも、主はとっくにお見通しなのだろう。
 手を煩わせるどころか、主は楽しんでいるようにさえ見える。優れた薬がみるみるカインの身体を癒していくという楽しみとは別の、それは明らかに奉仕の楽しみだったが、それさえ主の戯事なのだろう。

「ゴルベーザ様」
「ん?」
「目が、目を治す薬はありませんか」
 幾分か楽になった身体を半分起こして、カインは瞼を片手で押さえながらゴルベーザに尋ねた。
「あるにはあるが、それは放っておいても明朝には戻る」
「いえ、やはりこのままだと不便ですし、その……」
「治療が終わったら、身体を拭いて、小用にも連れて行ってやろう」
 カインは耳まで赤く染めて、とんでもない、と凄まじい勢いで首を横に振った。
「いまさら恥ずかしいことなど何もあるまい」
 ゴルベーザはカインの頭を撫でた手をそのまま滑らせ束ねられた彼の金の髪を掴み、ゆらゆらと揺らした。
 どこまでが冗談でどこまでが本気なのか、黒い兜の下、表情の見えぬ主の声音だけではさしものルビカンテにも判断がつかなかった。

 三つ目の薬を、自分で飲みます、と主の手から受け取って、カインはそれを一気に飲み干した。
 傷を治癒する薬をすべてカインに飲ませ終わった後、ゴルベーザは、さて、と前置きして、ルビカンテに小さな赤い瓶に入った薬を取らせた。
 ゴルベーザは手にした赤い瓶を、カインの顎の先に少し当てた。いきなりの冷たい感触に、カインが小さく身震いする。
「これを飲めば、朝を待つことなく、見えるようになるが」
「お願いします」
 一も二もなくカインは応えた。
「少々副作用がきつい。どうする」
「……どんな作用ですか」
 ゴルベーザは喉許で押し殺すようなくぐもった笑いを洩らすだけで、カインの問いに答えなかった。
 カインは眉を寄せ下唇を突き出し真剣な顔つきで考え込んだが、ルビカンテにはその薬の副作用がわかってしまった。
 とんだ戯事だ。
 ルビカンテは小さなため息をついたところで主に名を呼ばれ、びくりと肩をすくめた。
「おまえなら、どうする」
 わかっていないカインが答えるのとわかっている自分が答えるのとでは、まるで意味合いが違う。
 カインなら「飲む」と答えれば、どんな副作用があろうとすぐにでも視力を回復させたい気持ちからだと取れる。「飲まない」と答えれば、副作用のある薬などに頼らず自然に治ることを選んだと取れる。
 だが、どんな副作用かわかってしまった自分なら、主の喜ぶ答えを選ぶことが配下たる者の務めだという逡巡が生まれる。
 微かな唸り声を上げて答えあぐねているルビカンテに、ゴルベーザは、はは、と珍しく声を上げて笑った。
「どういう薬かわかっているようだな」
「……はい」
 もう、一刻も早く退室したかった。赤くなったり青くなったりしているのはカインだけではない。

「あ……」
 カインが小さな声を上げた。自分と主とのやりとりで、彼にもどのような薬か理解できたようだ。熱を取るように片手を頬にぴったりと当てて、ふうと息を吐き、もう一方の手でシーツの端をぎゅっと握り締めてカインは俯いてしまった。

「彼も回復したようですし、私はこれで下がらせていただきます」
「うむ」
「失礼します」
 踵を返しドアに向かったルビカンテの背中に、ゴルベーザは声をかけた。
「会議は定刻どおりに始める。三人にも伝えておいてくれ」
 ルビカンテは壁にかかるクラシカルな型の時計を見上げ、時刻を確認した。そして主の方に向き直り、かしこまりました、と深々と頭を下げた。

 
 ドアの閉まる音を背後に聞いてから、ルビカンテは、はたと考えた。
 最後の主の言葉は、どう考えても不自然だ。会議の開始にわざわざ念を押す必要などなかったはずだ。ルビカンテは、去り際目にしたものを思い描いた。
 漆黒の甲冑、輝く金色の髪、揺れる赤い瓶、光を失った青い眸。
 カイン。そうだ。彼があの薬を飲むことを選んだら、主はどうするのだろう。それでも会議は定刻に始まるのか。もう自分には関係ないことを思い巡らせて、ルビカンテは頭を振った。
 それもこれも含めて、主の戯事なのだ。自分が気にかけることではない。
 溜息を一つついて、ルビカンテは一歩踏み出した。バルバリシアに伝えることは二つ。
 会議は定刻に開かれるので遅れないこと。もう一つは、主はたいそう楽しそうに彼の世話を焼いているので、手を煩わせてしまった、と気に病む必要は全くないということ。
 余計なことを考えないようにその二つのことをぶつぶつと口にしながら、ルビカンテは彼女の部屋に早足で向かった。 








2008/08/31

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