小さなカインと打ち出の小槌

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 自室に戻ったゴルベーザは、部屋の中にある気配を感じ取り、息を潜め耳を澄ませた。ゾットの塔奥深くにあるこの部屋に曲者が潜入するとは考え難く、何より、殺気が感じられない。では誰がどうやって何の目的で忍び込んでいるのか。疲れた身体であれこれ考えるのも面倒だったので、ゴルベーザは、部屋中に響き渡る凄みを利かせた声を出した。
「そろそろ出てきたらどうだ」
 がたがたと、いつも執務する机の向こうの椅子が揺れた。ゴルベーザがそちらへ目を向けると、何か黒いものが椅子から飛び出し、机の上に降り立った。
「すみません。お待ちしている間に、眠ってしまって……」
 ガスを吸ったような甲高い声。ゴルベーザは、自分の見ているものが信じ難く、もっと近くで見るために、机に寄った。そこにいるのは、お帰りなさいませ、と頭を下げた後、顔を上げたり俯いたりもぞもぞと落ち着かない様子の、大きさこそ違えど、確かに自分が買い与えた防具を装備している配下の竜騎士だった。
 そういえば出迎えの列の中にも彼の姿は無かった。またどこかで修練と称して野生の魔物狩りでもしているのだろうと思っていたが、案の定で、こんな姿にされてしまったのだろう。
「声まで変わるのか」
「耳障りですみません」
「いや、なかなか……」
 ゴルベーザは小さなカインの前に、掌を上にして片手をすっと差し出した。カインは、少し首を傾げ迷う素振りを見せたが、両足を揃えて勢いよく、ぴょんとゴルベーザの掌に飛び乗った。
 カインを乗せた手を顔の高さまで上げると、彼は少しあとずさった。
「どうした。高いところは慣れているだろう」
「それはそうなんですが……」
「そうか。視界が変わって、不安なのだな」
「……はい」
 ゴルベーザは、はは、と低い声を出して笑い、指先でカインの兜を撫でた。
「ミニマムか」
「はい」
「実は、初めて見たのだ」
「ミニマムにかかった状態を、ですか」
 カインが驚きを含んだ声で尋ねる。ゴルベーザは、そうだ、と頷いて、小さなカインの甲冑の装飾を指先で突付きながら、装備品ごと身体を小さくしてしまうこの魔法は、巧く使えば間諜にうってつけではないかと考えた。
「バルバリシアのところのなんとかという奴に、治してもらわなかったのか」
「行ったんですが……」
 小さなカインは口を尖らせ俯き、手を後ろで組んで、道端に落ちている石ころを蹴飛ばすような仕種をした。
 先ほど掌に飛び乗ったときといい、一連の仕種も、本人はきっと無自覚なのだろう。この魔法の不可思議さに、ゴルベーザはますます興味を募らせた。
「あいつら、『かわいいから、治すのは後で』と言って、かけてくれませんでした」
 無理もない、とゴルベーザは心の中で三姉妹に同意した。
 ゴルベーザは長椅子へ移動して、どさりと深く腰掛け、広げた膝の上に小人を置いた。小さなカインが、黒い甲冑の膝の丸みの上で滑りバランスを崩しそうになったのを見て、ゴルベーザは、座っていいぞ、と彼を促した。カインは腰を下ろし、膝を抱えたり跨ったり、安定する位置をあれこれと試していたが、結局、ゴルベーザの片膝の上に、騎乗するように跨る体勢に落ち着いた。
「いちばん下のチビが人形扱いするものだから、付き合いきれなくて、ここへ逃げ込んだんです」
 カインは話を続け、あいつらも許可なくこの部屋には入れませんから、と付け足して、小さな白い歯を見せて微笑んだ。彼には、自分が不在の間でも部屋を自由に出入りすることを許している。その特権を自慢げに三姉妹に見せつけたこと、小人のままでいることは想像以上に体力を消耗するので自分の帰りを待つ間につい眠ってしまった、と付け加える言い訳がましさと口数の多さはやはり普段のカインとは違っていて、ゴルベーザは、身振り手振りを交えて熱弁を奮う小さなカインに、黙ったまま何度も頷いてやった。
「ゴルベーザ様」
「ん?」
「アイテムをください。打出の小槌か、高価ですが、万能薬を」
「ああ。あったな」
 椅子の座面を叩いて移動するように促すと、小さなカインは立ち上がり、不安定な足場であるにもかかわらず、きれいな弧を描いてジャンプし、ゴルベーザの手許に着地した。
 立ち上がったゴルベーザは大きなキャビネットの一つに寄り、その扉を開けた。中には、この世のすべてのアイテムが陳列されており、その中から、打ち出の小槌を取り出した。
 小槌を手にカインの許まで戻るときに、ふと、ある試みを思いつき、足を止めた。ゆくゆく考えてみると、それは、ミニマムの不思議よりもアイテムの効果を試すものだ、と思い直したが、それはそれで試してみたいと思い、口許に不敵な笑みを浮かべて長椅子に戻った。
「カイン」
「はい」
「装備を全部外してみろ」
「え?」
 小さなカインはいっそう高い声をあげてゴルベーザを見上げた。
「このままこれを使うと、装備類と共に元の大きさに戻る。では、装備を外して、離れたところに置いて使うとどうなるか」
「はあ……」
「どれだけの距離で効果が及ぶのか。外した装備を密閉した箱の中に入れてもいい」
「はあ……」
「わかったな。さあ、脱いでみろ」
 抗えるはずもなく、カインは小さな兜を脱ぎ、おもちゃのような装備類を次々と外していった。すべて脱ぎ終え全裸になると、小さな甲冑や軍靴をゴルベーザに手渡した。
 ゴルベーザは机に戻り、少し考えて、小さな装備類をそのまま机に置き、そこからカインのいる位置まで対角に結んだ線上に、割り入るように立ち塞がった。後ろの机を振り返り目測しながら、徐々にカインとの距離を詰めていく。このくらいでいいだろう、と長椅子の背もたれに手が届く距離まで近づいたゴルベーザは、背もたれに寄りかかっている小さなカインに向けて打ち出の小槌を掲げた。
「振ればいいのか」
「振ってください」
 ゴルベーザは二、三度、カインに向かって小槌を振った。
 小槌からもくもくと白煙が立ち込め、視界を遮った。息を止めて煙を払い除けると、煙が開けた先でカインは既に元の姿に戻っており、長椅子の上に膝立ちになって、自分の姿を確認するように腕を上げて左右のわき腹に視線を落としていた。
 カインの礼を背中に聞きながらゴルベーザは、机の上に置いた彼の装備類に目を向けた。深い藍色のそれらは小さなサイズのままで、打ち出の小槌の効果を受けていなかった。ゴルベーザは机に寄り、小さな竜の兜を手に取り人差し指にはめた。
「この距離では効果が得られないようだ」
 カインの方に向き直り、兜をはめた指を指人形のように動かしてみせると、彼は困ったような顔をして首を傾げた。
「ゴルベーザ様」
「何だ」
「甲冑も元に戻していただかないと、このままでは……」
「残念ながら、最後のひとつだった」
 ゴルベーザはカインに、何も持っていない手で小槌を振るまねをしてみせた。カインが微かに眉を寄せる。
「万能薬は……」
「甲冑にどうやって飲ませるのだ」
 カインは、あ、と小さく口を開けて、気まずそうに俯いた。
「あ、新しい甲冑を……」
「あいにくいまはない。持って来させるとしても、今日中には届かないだろう」
「では、何か服を貸してくださいませんか。部屋に取り」
「明日までここにいれば、何も問題ないだろう」
 ゴルベーザはカインの言葉を遮って、机上に置かれた小さな通信機器のボタンを押し、応対した者に向かって出入りの武器商人の名を挙げ、明朝、竜騎士の装備一式と打ち出の小槌を用意させるように命じた。
 それを聞いていたカインが、観念したように嘆息した。
「食事は済んだのか」
「……はい」
「一局、するか」
「はい」
 カインは髪を結っていた紐を解いてから、チェスのセットを取りにキャビネットへ向かった。少しでも身を纏うものが欲しかったのだろう。長い金の髪は彼の背中のほとんどを覆っていたが、尻や腿と腿の間に見え隠れするものまで覆うのに充分な長さではなかった。
 手脚が長くしっかりと筋肉のついた痩躯はある種の観賞物のようで、それを眺めるだけで劣情を催すことはないが、細い腰を抱き寄せ首筋に触れれば、途端、熱を持ち色づきなまめかしさを醸し出し、まるで違う印象の身体になることは知っている。それを確かめることはまだしない。夜はまだ長い。
 セットを手に戻ってきたカインが、失礼します、とゴルベーザの向かい側に腰を下ろした。恥ずかしがることは却って自分の羞恥を煽るだけだと考えたのか、カインは実に自然に振舞っていて、ゴルベーザは、彼の態度とその度量に満足し、黒い兜の下でほくそ笑んだ。








2008/09/14

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