訪問者

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 突然の揺れにカインは身構え足を踏ん張った。地震かと思ったが、大きな音は地響きではなく出入口からくることに気づき、槍を手に足音を忍ばせ扉に向かった。どん、とまた大きな音。何物かが扉に体当たりをしているようだ。
 族か? 命知らずめ。
 カインは背を壁に合わせて張り付き、窓から外を窺い見た。目にしたものは銀の毛並みの数匹の仔猫たち。いや、猫ではない。あれはよく知っている。猫に似たあれは……ということは……
 再び、どん、という衝撃と共に獣の咆哮が響いた。カインは槍を置き、ああ、と苛立った声を上げて扉を乱暴に開けた。
「おまえら! 家が壊れ――」
 扉を開けるやいなや視界が暗転し、身の丈よりも大きな何物かに押し倒され、カインは床に背中をしたたか打ちつけた。
「痛っ……ア、アール! やめろっ! のけ! 重い!」
 突然の訪問者はかつてゾットの塔で飼っていた魔物のクアールだった。アールと呼ばれた魔物が、ごろごろと喉を鳴らしながら、カインの顔中を舐め回す。
「アール! わかった、わかったから! いい加減にしろ!」
 どんなに鋭い声を上げても、久々の再会に昂奮したアールの耳には届かない。やすりのような舌はくすぐったいを通り越して痛い。このまま舐め続けられると頬はざらざらと血塗れになりそうで、カインは大きな身体の下で足をばたつかせ身を捩った。
「や、やめ……た、助け……」
「えらく情熱的な挨拶だな」
 頭を少し浮かせ逆光に目を細め戸口を見やると、魔物の頭越しに帰宅したゴルベーザの影が立っているのが見えたので、カインは声を張り上げた。
「のん気なこと言ってないで、早く助けて!」
 懐かしい声にピクりと耳を動かしたアールはカインから離れ、ゴルベーザに飛び掛った。魔物がゴルベーザを押し倒すよりも、彼が放ったサンダーがアールに命中したのが先だった。アールは、ぎゃ、と短い声を上げ頭を低く伏せた。
 カインは顔を拭いながら身体を起こし、口を小さく開けたままゴルベーザを弱々しく指差した。
「大丈夫だ。弱くかけてある。魔物にはたいしたことで――ぐわっ!」
「言おうとしたのに……」
 背後からもう一匹の魔物に押し倒され、ゴルベーザは床に倒れこんだ。魔物はゴルベーザに圧し掛かり、喉を鳴らしながら彼の耳の後ろや首を舐め回し始める。
「の、のかんか! クー! カイン! 助けろ!」
「久しぶりだな! 子ども、見せに来たのか」
 カインはおとなしくなったアールの首に抱きつき、戸口から中の様子を窺っている、猫に良く似た魔物の赤子たちに手招きをした。
「おい、クー! やめんか! カイン! カイン!」
 クーの涎にまみれ慌てふためく彼の姿が珍しく、毎日からかわれているカインには絶好の意趣返しの機会だったので、助けを求める声には聞こえないふりをしてアールにしがみつき、やめろよ、と白々しくじゃれ合うふりをした。


「呼び鈴の鳴らし方、教えてやって」
「憶えられるなら、努力は厭わんがな」
「おまえら、よくここがわかったな」
 クーの頭を撫で軽く口付けて、カインは魔物の赤子たちに視線を向けた。
「相変わらず……」
 ゴルベーザの膝の上に二匹、両肩にそれぞれ一匹ずつ、長椅子の背凭れの上に登り彼の頭に前肢を置いて寄りかかっているのが一匹。魔物の赤子たちは喉を鳴らしながら、銀色の身体を彼に擦りつけている。
 今日が初対面という条件は同じなのに、自分の方には一匹も寄って来ない。やはり彼には何か、魔物を惹きつけるものがあるのだろうか。それとも月の民の体臭に秘密があるのか。セシルがここに居ればどうなるのだろう。
 カインの視線に気づいたゴルベーザが、瞬きだけで、何だ、と尋ねてくる。
「まるでクアールツリー……」
 ため息交じりのカインの呟きを、ふ、と鼻先で笑って、ゴルベーザは膝の上の一匹を抱き上げて顔の高さに上げ、赤子の顔を正面からじっと覗き込んだ。
「これがいちばん器量良しだな」
「俺にはどれも同じに見える」
「……ところで、カイン」
「だめ。絶対にだめ」
「……まだ何も言っとらんぞ」
「言われなくてもわかります。だめです。嫌です。お断りします」
「……」
 敬語で突き放すような物言いのカインにゴルベーザは眉を寄せ、赤子の鼻先に緩く噛み付いた。赤子が、みゃあ、と甘えた声を上げる。
「親子仲良く暮らしてるんだから、自然のままがいちばんいいに決まってる」
 カインの言葉が耳に入っていないかのように、ゴルベーザは唇を尖らせ、ちゅっちゅ、と舌で高い音を鳴らし、赤子と鼻先を合わせ、あやし始めた。
「両親や兄弟たちから引き離してもいいのか? 肉親愛に勝るものはないんだろ?」
「……」
 ゴルベーザは、手の中の赤子をカインの方に向けた。薄桃色の小さな肉球を見せ、赤子は声を出さずに口を開け、花びらのような舌を覗かせる。彼の魂胆を察したカインは、じりじりと尻で後ずさり、床に座っていたクーの肩を抱くように寄りかかった。
「あ、バブイルの塔から連絡があった。猿で成功したってさ。何かと忙しくなるし、応募者の整理もしないと」
「……」
 肩を落としたゴルベーザは、赤子のやわらかな銀色の毛に鼻先を埋め頬擦りした。その光景に何故か胸が締め付けられ、カインは、紅くなった顔を見られないようにクーの背中に顎の先を埋め俯き、ピンと立った魔物の耳を陰にして、彼の様子を惚れ惚れと見つめた。


 夜半過ぎ、魔物の親子は煌々と輝く月に照らされ長い影を伸ばし、森の奥へと消えていった。遠い目で赤子たちを見送るゴルベーザが少し気の毒で、カインは彼の肩に頭を預け、なあ、と甘えた声を出した。
「あ、あのさ……魔物の赤ん坊も可愛いけど、人間の赤ん坊のほうがもっと可愛いと思う」
「……そうだな」
「明日、セオドアの顔、見に行こうか」
「そうだな」
 ゴルベーザはカインの肩を抱き寄せ、くるりと踵を返し歩き出した。
「今日は、私の顔を見て笑ったぞ」
「今日も行ってたんだ……」
 カインは小さく嘆息した。甥可愛さに三日と空けずバロンを訪れる義兄を、ローザは持て余しているのではないか。もっともその弟は大喜びで兄を歓迎し、妻の気持ちに思い至らないだろうが。
 早く自分の子を持ったほうがよさそうだな……
 自分が子を産むことには、やはり気乗りはしなかったが、我が子を慈しみ堂々とした親の振る舞いを見せていたクーとアールを思い出し「家族っていいもんだな」と呟くと、ゴルベーザはカインの肩に回した手にぎゅっと力をこめた。
 そうか。
 彼は失った家族を再生したいのだ。親がいて子どもがいて、ごく当たり前の生活をごく当たり前に送ることを望んでいるのだ。
「でも、男の出産は当たり前じゃないよな……」
 小さな呟きが思わず口をついて出た。
「ん?」
「何でもない」
 カインは首を横に振り、頭をゴルベーザの肩に摺り寄せた。カインの肩に回されていた大きな手が頭に回され、がしがしと撫でられる。
「当たり前のこととはな……」
「え」
「おまえが私の傍にいることだ」
「聞こえてたんだ……」
 カインは耳まで紅くして俯いた。大きな温もりに包まれていると自分の不安など取るに足らないものに思えてくる。顔を上げ頭を起こし、ゴルベーザを仰ぎ見る。
「ずっと……ずっと傍にいる」
 迷い無く口にできる自分が誇らしくてにこやかに微笑むと、自分のものより少し色の薄い青い眸も細められた。穏やかな笑顔がいまは自分だけのものだと思うとうれしくてカインは彼に顔を寄せ長い睫毛を伏せたが、ある考えが過ぎり目を大きく見開いた。
 自分だけのもの……自分が出産に気乗りしない理由は、改造の不安よりも身体の変化よりも、彼の関心が生まれてくる子に移り、それに嫉妬するかもしれないと危惧するからだ。愚かな理由に気づき、自分の狭量さと未熟さに愕然とし、カインは息を詰まらせた。
「大丈夫だ」
 ゴルベーザは口許に笑みを称えたまま、顔色の変わったカインの頬を両手で包み、両の親指の腹で目の下の膨らみを何度もなぞった。
 やはり彼は、自分の不安もすべてお見通しなのだろう。カインは首を少し傾げ彼に目を合わせ、力なく微笑んだ。
「腹の中で育んでいるうちに愛しい気持ちが湧いてくる」
 カインは頷いた。頷くことしかできなかった。
「言わば私の分身だ。おまえにとって可愛くないはずがない」
 それもそうだな……
 掌から伝わる熱と惜しみない愛情。再び温もりに包まれ満たされた思いに、カインは何度も頷きながら顔を少しずらし、彼の掌に軽く音を立てて口付けた。
「バカだな、俺……こんなにしあわせなのに」
「もっとしあわせになるぞ」
「……でも『五人』は勘弁して」
 クアールの赤子の数を思い出し、そう付け足すと、ゴルベーザはわずかに眉を寄せた。考えてたのかよ、とカインが笑いながら拳を彼の腹に軽く当てると、その手首を掴まれ引き寄せられ、背後から抱き竦められた。
 広い胸に体重を預け、カインは、魔物の赤子をあやす彼の姿に胸を打たれたように、我が子を慈しむ彼にもきっとときめくだろうと思い直した。それに気付かせてくれた今日の訪問者たちに心の中で感謝の言葉を捧げ、彼に身体を寄せたがる自分も魔物の仔達と変わらないな、と頬を緩め目を閉じ、まだ見ぬ二人の子の姿を思い浮かべた。







2009/04/26
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