カインの憂鬱

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 夢と現の間をうろうろとさまよっていたカインは、外から聞こえてくるエンジン音にはっきりと目を覚ました。自分の隣に腕を伸ばす。シーツが冷たいままということは、あれは離陸ではなく着陸の音なのだろう。眉間に皺を寄せ壁に掛けられた時計を睨む。針が示す数字よりも、窓の外がほんのりと明るくなりつつあることに先に気づいた。
 同居人の遅い帰りを寝ないで待つという、甲斐甲斐しい真似をするつもりはなかった。主従関係も解消している。先に寝たからといって咎められることはないだろうが、寝ずに待っていたと告げ、一時的に「優位」な立場を得ることもおもしろいかもしれない。
 あれこれ考えてみても起き抜けの頭では巧くまとまらなくて、そうこうしているうちにエンジン音も止まったので、第一声はその場の雰囲気に任せることにして、カインは、ゴルベーザをベッドの上でなく出入口で迎えるために、足を下ろしガウンを羽織った。


「お早いお帰りで」
 腕を組み斜交いに構えてゴルベーザを出迎えたカインは、思わず口にしてしまった嫌味に自分でもうんざりして眉を寄せた。ゴルベーザはそれも意に介さず、平然とカインを見下ろしている。
「城で打ち合わせをすると言ったはずだ」
 彼はカインの脇をかすめつかつかと奥の部屋へ進んで行く。黒いマントを脱ぎ背中を向けたままそれを肩越しにカインに差し出す。カインも彼の後を追い、マントを受け取りながら口を尖らせた。
「こんな朝まで? 連絡くれなきゃ心配するだろ」
 立ち止まったゴルベーザがくるりとカインに向き直る。カインも足を止め、彼の顔を見上げる。
「私の身に心配など無用だ」
「は?」
 カインは素っ頓狂な声を上げた。
「私に敵う奴などいない。何が起きても心配に及ばん」
 ゴルベーザは、ふん、と鼻先を鳴らして、着ているものを次々と脱ぎ落としカインの腕に掛けていく。
 だめだ、話が通じていない。それともわざとか。
 呆気に取られたカインは、無意識に彼の衣服を受け取りながら、語気を強めた。
「そういうことじゃないだろ!」
「そうカリカリするな」
「してない!」
「少し眠る。昼まで起こすな」
「あ、話、まだ途中!」
 カインの声を無視して背中を向けたゴルベーザは音を立てて扉を閉め、寝室へと消えてしまった。



「よう。セシルは?」
 客間に通されたカインは、長椅子に腰掛け傍らに置かれたゆりかごの中のセオドアをあやしているローザに声をかけた。
「いらっしゃい。まだ寝てるわ」
 応えた彼女も目を擦り、小さなあくびを隠すために片手で口許を覆った。
「まだ? もう昼だぞ」
「朝帰りしたみたい」
「『したみたい』?」
 非難ではなく純粋に疑問で、夫の帰宅がわからないのか、の意を含ませカインは鸚鵡返しに尋ねた。
「この子と一緒に寝ているから、彼がいつ帰ってきたかわからないときがあるのよ」
 夫婦の寝室が別なのだろうか。それよりも、ローザは忍耐強くセシルにひたすら尽くすイメージをカインは抱いていたため、夫の帰りを待たずさっさと眠ってしまうという彼女に驚いて、じっと見下ろした。
「それでいいのか」
「私が寝ていても怒らないし起こすわけでもないし、正直助かっているの」
「え?」
 ローザは自分の隣のスペースをぽんぽんと叩き、額に疑問符をつけたような顔で見つめるカインに着席を促した。カインも黙って腰を下ろす。
「このくらいの赤ちゃんって夜中三時間おきにお腹が空いて泣くから、母親はまとめて何時間も眠れないのよ。眠れるときに寝なくちゃ」
「そ、そうなのか……なんて恐ろしい生き物なんだ」
 カインはさらに驚き、ゆりかごの中のセオドアを覗き込み、無理だ、と胸中で呟いた。
「心配しなくても大丈夫よ。母親なら皆やってることだって」
 どういう意味だ……
 心の中を見透かされたような気がして、カインは咳払いをして顔を背けた。
「どうしたの? 急ぎ?」
「急ぎというか――」
「失礼いたします」
 女官が茶を運んできたのでカインは口を噤んだ。彼女が給仕する間もローザはしきりに目を擦っている。今朝も寝不足なのだろう。目的のセシルは未だベッドの中だ。カインは早々に切り上げるために、女官が退室するやいなや、今朝のゴルベーザとのやりとりを、彼にしては早口で話し始めた。

「というわけなんだが、勝手過ぎると思わないか。笑うな」
 口許を手で押さえくすくすと笑うローザをカインは軽く睨んだ。
「ごめんなさい。だって、お義兄様らしくって」
「らしい」って何だ。訊いてみたい気もしたが、カインは話を続けた。
「言葉が通じないんだ」
「言葉どおり取れば?」
「え?」
 カインは彼女をまじまじと見つめた。
「お義兄様を負かす魔物がいるとも思えないし、多勢であろうと魔法で一網打尽でしょ」
 まさか彼女が今朝のゴルベーザを全肯定するとは思いも寄らなかったので、カインは呆気に取られた。
「だ、だが、エンジントラブルで事故とか――」
「あら、シドの整備を信用してないの?」
 カインは、いや、と慌てて首を横に振った。
「もしそんなことがあってもお義兄様なら脱出も訳無いでしょうし、飛翔系の魔物を操ってでも帰って来るんじゃない?」
 しれっと言ってのけるローザにカインは絶句した。
「おまえ、大らかを通り越して……」
「あ、そうか! カイン、もうひとつの心配、しているんでしょ!」
 彼女は右の人差し指を立てて声を弾ませた。
「な、何だよ」
「『英雄色を好む』っていうものね」
 彼女の言わんとしていることを察し、カインは小さなため息をつく。
「……どこが英雄なんだ」
「それもそうね」
「笑うな」
「ごめんなさい。でも、夫の朝帰りは確かに心配よね」
「お、夫じゃない」
「セシルに直に訊ければいいんだけど、昨夜一緒だったのは間違いないわよ」
「ん……」
 ゴルベーザの言葉を疑ったわけではなかったが、どこか安堵している自分にカインは再び嘆息した。

 あの言い種ではゴルベーザからの連絡は期待できないので代わりにセシルにそれを頼もうと思い城を訪れたのだが、いつの間にか、ローザに自分の愚痴を聞いてもらう羽目になっている。

「すまん、疲れているのにいきなり来て」
「いいのよ。セシルもいつもいきなりなんでしょ」
 まったくそのとおりだったので、カインは苦笑いを浮かべるしかなかった。




 昼過ぎ、ローザの計らいで国王の専属料理長が腕を振るった料理を土産に、カインは帰宅した。
 そっと寝室の扉を開ける。カーテンの閉じられた薄暗い部屋の大きなベッドの上で、ゴルベーザは静かな寝息を立てていた。
 もう陽も高い。起こしても機嫌を損ねないだろう。
 カインは忍足でベッドに寄り傍らで膝をつき、ゴルベーザの耳許で囁いた。
「ゴルベーザ……様」
 彼の瞼がぴくりと動くのを見て、カインはくっくと笑いを噛み殺した。
「ゴルベーザさあまー、さまー、さー……」
 眉根を寄せ薄目を開けたゴルベーザは長い腕を伸ばし、やめろ、とカインの両頬を片手で挟んで押し込んだ。
「何時だ」
「ひふふひ……」
 頭を振って彼の手を振り解き、唇の端から零れかけていた涎を啜り、挟まれていた頬を大げさにさすりながら、カインは改めて応えた。
「昼過ぎてる。寝過ぎ」
 ゴルベーザは気だるそうに瞬きをし、くん、と一度洟を啜った。
「出かけていたのか」
「何で」
「セオドアの匂いがする」
「動物並みだ……今日は抱いてないのに」
 ゴルベーザの人並み外れた嗅覚に、カインは呆れたように笑った。
「腹減ってるだろ。昼飯、もらってきた」
「確かめに行ったのだろう。本当に打ち合わせだったのかどうか」
 違う、とカインは首を横に振り、頬をわずかに膨らませた。
「遅くなるなら代わりに連絡くれ、ってセシルに頼みに行っただけだ。あいつもまだ寝ていて会えなかったけど」
「何も案ずることはないと言っただろう」
「そうじゃなくて……」
 
 どう伝えればいいだろうか。不測の事態が起こる可能性がたとえわずかだとしても、待つ身にとっては心配せずにいられないということを、どう言えばわかってもらえるだろうか。
 カインは昨夜の自分の心情を思い出そうとした。昨夜の自分が抱えていた思いは「心配」よりも「苛立ち」に近いかもしれない。その苛立ちも、別の思いを摩り替えた末のものだったが。
 別の思いとは何だったか。
 それをはっきりと自覚したカインはみるみる頬を紅く染め、シーツの端をぎゅっと握り締め、嘆息した。
 
「『なくて』何だ」
「そうじゃなくて……ひとりじゃよく眠れない」
 寝ぼけ眼でカインを見上げていたゴルベーザの薄い青の眸が一段と見開かれる。
「さ、さ……さびしくて……」
 カインは消え入りそうな声で呟き、耳まで紅くして顔を背けた。

 これまで人生のほとんどをひとりで眠ってきたというのに、彼の体温を感じて眠ることが当然となっていることに、カインは戸惑った。
 欲すれば欲するほど、愛すれば愛するほど、喪失の不安に怯えてしまう。彼の深い愛情を一身に受けているというのに、それは未だ払拭されない。
 いつか壊れるものならば自分で壊してしまいたい。時折訪れる破滅へのいざないに袖を引かれそうになるのをぐっと堪え、かけがえのない相手の寝顔を見つめ、出逢えた僥倖を噛み締める。
 こんな思いは誰しも抱くものだろうか。年月を重ねるにつれ緩やかで穏やかなものになり、迸る情熱を振り返り笑いあえる日が来るのだろうか。

 身体を起こしたゴルベーザに腕を掴まれ、いつもの堂々巡りに陥っていたカインはびくりと身をすくませ、息を呑んだ。
「もう一度言ってみろ」
「嫌だ。二度と言わない」
「言え」
 あっという間に力強い腕に抱きすくめられ、その心地良さに反射的に目を閉じる。彼の体温を感じ、彼の匂いを胸に吸い込み、彼の広い胸に寄りかかる。
「そうか。寂しかったのか。寂しかったのだな」
 ゴルベーザはカインを抱く腕に力を込め、満足そうに何度も頷き、金の髪をやさしく撫でた。
 何度も言うなよ、とカインは照れくさそうに身を捩り、彼の首筋に軽く歯を立てた。
「二度と遅くならないと誓おう」
「誓う? 何に? ほどほどでいいよ。縛りが多いと窮屈で居心地悪くなるし」
「……そうか、寂しかったのか。よしよし」
「もう言うな!」
 カインはさらに頬を紅潮させ彼の胸を突き放し逃れようとしたが簡単に捉えられ、そのままベッドに押し倒された。朝の生理現象を保ったままのものを下腹部に押し付けられ、カインは大きな身体の下で喘いだ。
「ま、まだ昼なのに!」
「寂しい思いをさせた詫びの気持ちだ」
「いまは要らない!」
 遠慮するな、とゴルベーザの手が、まさに遠慮なくカインの下腹部をまさぐり始める。
 今後ことあるごとにこのことでからかわれそうだ。
 柄にもないことを言ってしまったと後悔したが、こんなやりとりも口で言うほど嫌ではないのだと認めることも癪に障るので、絶対声を出すものか、とカインはゴルベーザの首に腕を回し彼の肩口に噛み付いた。







2009/06/22
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