いつか来た道

BACK | NEXT |

後編

「どうしたの、大きな声を出して」
 色とりどりの花が挿された花器を抱えてローザが部屋に戻ってきた。後に、それより一回り小さな花瓶を抱えたポロムが続く。さらに後からはティーセットと菓子を載せたトレイを手にした女官たちが続く。
 男性陣は一斉に、何でもない、と声をそろえて首を横に振り、浮かせた腰を落ち着けた。
 ローザは窓の脇に設えられた猫足のコンソールに花器を置き、ポロムには、そこから部屋の対角に置かれたコンソールを指差し、あっちにお願い、と促した。
「ポロムが活けたのよ。上手になったでしょう」
 ローザがポロムを褒めると、彼女は恥ずかしそうに俯いて少し頭を下げた。コンソールの上にかかる鏡にポロムの後姿が映る。結い上げた後れ毛が愛らしい項までほんのり紅く染まっていることがわかり、セシルは、世辞などではなく、本当に可憐にかわいらしくなったと目を細めた。
「何を揉めていたの」
 ローザの問いにセシルは、別に、と目を伏せ、カインも、たいしたことじゃない、と顔を逸らした。
「うるさく言いたくないけど、仲良く、ね」
 彼女がパロムに微笑みかけると、彼は少し緊張したように背筋を伸ばし、はい、と行儀よく返事したので、セシルは噴き出しそうになるのをまた堪えた。

 一同はしばらく和やかに語り合った。
 口の悪いパロムをしっかり者の姉ポロムがたしなめるのは相変わらずで、そっくりな顔貌をしているのにどうしてこんなに違うのだろう、とセシルは改めて双子の不思議を眺めていた。相変わらずだったがやはり男女の差異は五年前よりも顕著になっていて、以前なら彼女の苦言に口悪く言い返していたパロムが、そのまま黙り込んでしまうことが増えている。ポロムもそれに戸惑っているように見える。
「パロム」
 ポロムがパロムの腕を突付く。忘れるところだった、とパロムは腰に下げた袋をごそごそといじり出した。
「腹も膨れたことだし、今日の用件を言うぜ」
 パロムに手招きされたので、セシルは隣に座る彼に身体を向け顔を寄せた。
「長老に頼まれたんだ」
 パロムは腰から外した袋の口を開け、中の物を取り出した。
「じゃーん!」
「クリスタル……」
 パロムの左手の中のクリスタルを、セシルは驚きの目で見つめた。
「ど、どうして君がこれを……」
「長老が、デビルロードを通れる私たちなら、早く安全にお届けできると仰られたのですわ」
 セシルは正面に座るカインをちらりと窺い見た。表情こそわからないが、彼も水のクリスタルから目が離せないようだ。
「僕が頼んだことだから、僕が伺うのが筋なのに、わざわざ持ってきてもらって……」
「何これ。きらきらしてすっごくきれいだね」
 パロムがクリスタルを突きつけてくる。セシルは掌を太腿でごしごしと擦ってからそれを両手で受け取った。
「確かに渡したぜ」
「父上、僕にも見せて」
「だめよ。大切なものなの」
「大丈夫だ。落としたくらいで壊れはしない」
 水のクリスタルはセシルに苦い記憶を思い起こさせる。カインがローザを押しとどめたので、セシルはセオドアにクリスタルを手渡した。
 小さな動物を抱くよう胸の前でそっと抱き、その輝きに魅入っていたセオドアが、クリスタルに耳を寄せた。
「何か言ってるよ」
「まさか」
「何か聞こえるよ」
「こいつに聞こえるなら、おまえにも聞こえるんじゃないか」
 カインが月の民の血のことを言っているとわかった。確かに月のクリスタルは言葉でなく心に語りかけてきたが、これは青き星のクリスタルだ。セシルはテーブル越しに身を乗り出してクリスタルに耳を寄せた。
 皆の視線がセシルに集まる。
「……何も聞こえないな」
 ええ、とセオドアが不満そうに口を尖らせた。
「子どもにだけ聞こえるとか。妖精なんてそう言うじゃない」
 ローザの言葉にパロムは頷いて、両手を頭の後ろで組み背もたれに背中を預けた。
「俺には何にも聞こえないから、もう子どもじゃないな」
「そういうこと言ってるうちはまだ子どもよ」
「うるさい。黙ってろ。ブス」
「ね。最近こんなバカなこと言うんですのよ」
 確かにバカだ。セシルだけでなく皆がポロムの言葉に大きく頷いた。
「長老は何か言っていたか」
 カインがポロムに問いかけたので、セシルははっと顔を上げた。
「親書を預かっていますわ」
 ポロムは手に下げていた布製の袋から白い封筒を取り出した。カインがセシルに向けて顎をしゃくったので、セシルはそれを彼女から受け取り、封を開けた。
 手紙に目を通し、正面のカインをちらりと窺い見て、両手に持っていた手紙から片手を離し紙を揺らした。カインはその仕種を理解し、後でな、と応えたので、セシルは手紙を封筒に戻し懐に入れた。
「僕からも改めて礼を言うが、よろしくお伝えしてくれ」
「りょーかーい」
「わかりましたわ」
「大切なものだからしまってくるよ」
 セシルが腕を差し出すと、セオドアは母の手を借りて慎重にクリスタルを手渡した。
「カイン、ちょっと手伝ってくれ」
「あ、私が……」
「重いものを退かせたりするから、いいよ。ゆっくりしていてくれ」
 手伝いを願い出たポロムに微笑んで、セシルとカインは客間を出て行った。


 カインに水のクリスタルを手渡しセシルは、待っていてくれ、とその場を離れた。自室で鍵と小さな洋燈を用意して、セシルは息を弾ませ彼の許に戻った。
 長い廊下を突き当たり左に曲がったところで、地下への階段を降りて行く。重い扉の鍵を開け、セシルとカインは部屋の中へ入った。
「即位した頃、一度入ったきりなんだ」
 長年閉ざされた広い部屋は少々かび臭い。棚には古い本や骨董品が並べられ、旧い甲冑が何体も飾られている。床には木箱が重ねられ、壁に飾りきれない絵画がいくつも置かれている。光の届かない地下の部屋、四方を旧いものに囲まれると洋燈が照らす灯りだけでは、さすがのセシルも不気味でおっかなく思い、一人ではとても入れないだろうな、と後に続くカインをちらりと振り返り、彼の存在を確認した。
「こっちだ」
 セシルはさらに奥にある扉の鍵を開けた。小さな部屋の中には宝箱が整然と並んでいる。
「宝物庫か」
 カインが小さな声で呟く。
「旧いだけでたいしたものは無いと思うけどな。大事なものは城にあるし。これなんてどうだ」
 セシルは一際大きな宝箱を指差した。カインが頷いたので洋燈を隣の箱の上に置き、鉄の輪に通された何十本もの鍵の中から、その宝箱に彫られたものと同じ番号が刻まれた鍵を取り出し、箱を開けた。
 宝箱の中に上半身を突っ込み、中に収められていたものを次々と取り出していく。鞘の錆びた短剣、時代遅れのドレス、割れた文箱、曇った瓶……
「やっぱり、たいしたことないな。ほら」
「言っちゃなんだが、がらくた同然だな」
「物が捨てられない倹約家だったんじゃないか」
 何代前かわからない王のことを思い浮かべセシルは微笑み、カインに場所を譲った。彼は箱の前で屈みこむと、空になった箱の中に手にしていた水のクリスタルをそっと置いた。セシルもカインの背後から箱の中を覗き込む。
「あまり大きくないけど、八つくらいなら並べられるだろう」
「少し安定が悪い」
「台座を作らせるか……深紅がいいかな」
「紺がいい」
「え」
「紫紺の台座がこれに合う」
「クリスタルは他の色もあ――」
 セシルは言いかけた言葉を呑み込み、わかった、と返事をした。ゆっくりと重いふたを閉め鍵を掛ける。
「さあ、戻ろうか」
「セシル」
「ん?」
「できれば……その鍵を俺に預けてくれるか。無理にとは言わんが」
「……わかった。入口の鍵も。用がないから誰も使わないし」
「すまん」
 セシルは当該の鍵を鉄の輪から外し、カインに手渡した。彼は左手の中の鍵をぎゅっと握り、微かに笑みを浮かべた。
「何か言いたそうだな」
 緩んだ口許はそのままに、カインはセシルを一瞥した。彼に笑う余裕があることに安堵して、セシルもにやりと微笑んだ。
「クリスタルを眺めながら、思い出に耽るんだろ」
「……未来に耽るんだよ」
「……いい傾向だ」
 セシルはカインの肩を抱き、軽く叩いた。えらそうに、とカインが横目で睨んでくる。
「あ、手紙、読むか。長老の」
「いや、もういい。どうせ『セシル殿を信頼して』とか何とかだろ」
「ご名答」
「それより、もう出よう。さすがに不気味でおっか――」
 カインが言い終える前に、セシルは、わっ、と大きな声を出し、ぐるりと辺りを見渡していた彼の背中を勢いよく叩いた。びくりと肩をすくませ、短い声を上げバランスを崩してよろめいたカインの様子に、セシルは声を上げてけらけらと笑った。
「いい度胸してるじゃないか」
 凄みを利かせた低い声を出し、首を羽交い絞めにしようとしてきたカインの腕をするりとすり抜け、セシルは洋燈を掴んで駆け出した。追いかけてくるカインをからかって、セシルは笑いながら叫んだ。
「一人で眺めるつもりなら、怖いのにも慣れないとな!」
「それとこれとは別だ!」
 何かを蹴飛ばし、積もった埃が舞うことを気にも止めず、二人は入口の扉まで一気に駆け抜けた。重い扉を開け、息を切らせながらカインは、セシルから預かった鍵のうち、長いほうを取り出して扉の錠を掛けた。
 二人は顔を見合わせ、少年のときのようにげらげらと笑い、どちらからともなく肩を組んで階段を上り始めた。







2009/02/08
BACK | NEXT |