いつか来た道

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前編

「パーにいちゃんだ!」
「『パロム』だっつってんだろ」
 エントランスで出迎えたセオドアのこめかみに、パロムは両の拳をぐりぐりと押し当てた。痛い、と大きな声で叫びながらもセオドアはうれしそうにはしゃいだ。セシルも笑顔で出迎える。
「やあ、パロム。背が伸びたな」
「うっす」
 大人に、それも一国の王に対してパロムは子どもの無邪気さと無礼さを存分に表す挨拶を遣したが、セシルはそれを咎めることもせず、彼に右手を差し出した。
 大人と同じ挨拶を遣されうれしそうに右手を差し出してきたパロムを、そのままぐいっと引き寄せ肩を抱き、セシルは小さな声で耳打ちした。
「セオドアの前ではきちんとする約束だっただろう。長老にもポロムにも念を押されなかったか」
 いけね、とパロムは舌を出した。セオドアに背を向けて、わりい、と片目を瞑ったパロムに、セシルは微笑みながら嘆息した。
 パロムを兄のように慕うセオドアの手前、面と向かって叱ることはせず彼の体面を保ってやったのだが、こんな場面をローザに見られれば、セシルもパロムもまた小言を喰らうことになる。果ては、パロムは「出入り禁止」と言われかねない。
 まだ子どもだが彼の魔力と勇気、己の身を投げ出してまで仲間を救った気高い精神をセシルは尊敬していたので、彼が大人と対等の口を利くことを許していたが、何でも真似をしたがる年頃の息子の前ではそうはいかないとローザは不満のようだった。元来頭が良い子なのだから使い分けができるだろうとセシルはローザを諭し、パロムと約束していたのだった。
「ポロムは?」
「庭でローザのねえちゃんに会ったから。何で女の話ってあんなに長いんだ」
 両手を頭の後ろで組み、パロムはあくび交じりにぼやいた。
「それより、今日は後でびっくりすることがあるぞ」
「なになに」
「噂をすれば……」
 パロムはセシルが指差した方向を振り返り仰ぎ見たが、そこに現れた男を見るなり身を固くしてあとずさった。
 漆黒のマントを纏い、黒い竜の兜を被った黒い甲冑姿のカインが颯爽とこちらに向かってくる。
 追い詰められた猫のように背を丸め口の中でぶつぶつと魔法を詠唱し始めたパロムに、セシルは思わず噴き出しそうになるのを堪え手の甲を口に当てた。
「おにいさんも来た!」
 勢いよく駆け出したセオドアが、カインの脚に抱きついた。え、と声に出さずパロムが困惑の色を見せる。
「よう」
 脚にしがみつくセオドアの頭を撫でながら、カインはパロムに声をかけた。
「……その声……カインのあんちゃんか!」
「背が伸びたな」
 びっくりしたあ、と大きな声で安堵の息を吐きながら、パロムは握っていた拳を解いた。
「鈍いな。ポロムはすぐわかったぞ」
 ちぇ、とパロムが口を尖らせる。
「なんて恰好だよ。悪の親玉みたいだ」
「どの口で言うんだ」
 カインはパロムの右の頬を摘んで引っ張った。いてて、とパロムは片足でぴょんぴょんと跳ねる。
「かっこいいよ! 黒い鎧!」
「セオは信奉者かよ……」
 カインに引っ張られていた頬を大げさにさすりながら、パロムはじっとセオドアを見下ろした。その恨めしげな目つきを見て、セシルは、早くからセオドアの兄貴分を気取ってきたパロムがセオドアとカインの仲を妬いているのだと悟り、自分の姿を重ね、苦笑いを浮かべた。
「しんぽ……? 何」
「大好きだってことだ」
「うん、大好き! とりこ!」
 セオドアが目を輝かせ大きな声を出した。
「とりこ? 虜? 言葉の使い方、間違ってないか」
 パロムがセシルを仰ぎ見る。まあ、とセシルは曖昧な笑みを浮かべた。
「パーにいちゃんも大好き! とりこ!」
「そ、そうか。虜か、よしよし」
 満更でもない様子で胸を張り笑みを浮かべてセオドアの頭を撫でるパロムに、天才児ともてはやされていてもまだまだ子どもなのだ、とセシルとカインは顔を見合わせ、にやりと微笑んだ。


 色とりどりの花を腕に抱えたローザがポロムと共に戻ってきた。
「セシル様」
「やあ、ポロム。よく来てくれた」
「ご無沙汰いたしております。お変わりございませんか」
「ああ。皆元気だよ。君は変わったね」
 え、とポロムがわずかに眉を寄せ首を傾げる。
「ますます大人っぽくきれいになったよ」
 ありがとうございます、とポロムは頬を赤らめ腕に抱えた花で顔を隠した。
 カインがじっとこちらを見つめてきたので、何、とセシルは目配せした。カインがセシルに寄り、耳打ちする。
「おまえ、いつの間にそんな手管を憶えたんだ」
「手管って」
「なかなか言えるもんじゃないぞ。子ども相手でも」
「おまえが言えなさ過ぎるんだよ」
「ポロンねえちゃん!」
「セオちゃん、大きくなったわねえ」
 ポロムは少し身を屈めてセオドアに目を合わせ微笑んだ。
「じゃあポロム、お願いね」
「はい。ローザ様のお手伝いで花を活けてきますわ。失礼いたします」
「セシル、皆を奥へお願い」
「わかった」
 会釈するポロムとローザを見送って、セシルは奥の部屋へと皆を案内した。


 優雅な曲線を描く白い家具が設えられた部屋はローザの好みが存分に反映されていた。淡い薔薇色の布が張られ白と金の縁取りが施された長椅子に腰掛ける黒尽くめのカインは、部屋の雰囲気にそぐわなくて、そこだけ切り取られた風刺絵のようだ。本人もそれを自覚しているのか、落ち着かない様子で浅く腰掛け、隣に座ったセオドアの話に頷いてやっている。
 部屋の仕様を変えれば、彼はもっと頻繁に訪れてくれるのではないか。いまではすっかり慣れてしまったが、結婚して間もない頃自分も感じた居心地の悪さを思い出しながら、セシルは実現の可能性が低い模様替えのことをぼんやりと考えた。
 カインがパロムに声をかける。
「おまえらはああ呼んでいるのか」
「何」
「こいつのことを、ああやって」
「何? はっきり言ってくれよ」
「セオドアのことを『セオ』って呼んでいるのか、って」
 彼の足りない言葉を補いながら、いいかげん呼べばいいのに、とセシルは嘆息した。ああ、と合点がいったパロムは頷いたものの、訝しげに眉をひそめる。
「まあ、言い易いし、馴染みだな」
「……そうか」
「何だよ…… それより、いつバロンに戻ったんだよ」
「一ヶ月前だ」
「ったく、ちっとは知らせてくんねえと。ときどき様子見に行かされる身になってくれよな」
「パーにいちゃん、ビリビリごっこしようよ!」
 長椅子から降りて、椅子の前面にもたれ背中を押し付たり離したりを繰り返しながらセオドアがパロムを誘った。
「ビリビリ?」
 セシルとカインはパロムの顔を見た。パロムは肩をすくめ顔をしかめ、広げた掌を顔に当てた。
「あー、だめだ。もうやらねえ。俺の魔力が前より上がったから、おまえ、死ぬぞ」
「死なないって!」
「何のことだ」
 セシルがセオドアに顔を向ける。
「あのね、僕がお庭の水に手を入れて、パーにいちゃんが魔法をかけるんだ。身体がビリビリしておもしろいよ。髪なんてこんなんになるの」
 セオドアは両手で自分の銀の髪を掴んで引っ張り上げ、逆立てた。
「サンダーか」
「そんなことして遊んでいたのか……」
 セシルがパロムをじろりと睨むと、パロムは、加減してるって、と声を荒げた。
「ローザに知れたら大目玉だな」
「ああ」
 カインに同意してセシルも頷き、セオドアに向き合った。
「もうやっちゃだめだ。いままでと同じつもりでも、パロムの魔法の腕が上がっているから危ない」
「僕も強くなってるよ!」
「あれでか」
 カインが顔を正面に向けたままセオドアに応えた。
「あれで強くなったつもりなら、笑わせるぞ」
 カイン、もう少し言い方を……
 セシルは声に出そうとしてやめた。その言葉はカインを崇拝するセオドアには応えたようで、頬を膨らませ、目を伏せ俯いた。
「そもそもおまえが年長なんだから気をつけろ」
「だからやらねえって言ってんだろ!」
 まあまあ、と二人の間に割って入りながら、セシルはひとりほくそえんだ。まるであの頃みたいだ。よくこうしてエッジとカインの仲裁に入ったっけ。死と背中合わせの日々だったのに過ぎてしまえばそれさえ楽しかった思い出で、口を尖らせるパロムにエッジの姿を重ね、セシルは懐かしさに口許を緩めた。
「もう『しよう』って言わないから、ケンカしないで!」
 縋るようにカインの腕を引いたセオドアの、いまにも泣き出しそうな青い眸を見つめながら、カインは銀色の髪を撫でやさしい声を出した。
「大人は子どもとケンカしたりしない。ああ、子どもじゃない、ガキだな」
 どっちが大人げないんだか…… セシルはカインに冷たい目をくれて、頭を抱えた。
「ガキって言うな!」
「そうやってすぐ昂奮するのが『ガキ』なんだ」
「なにをー!」







2009/02/01
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