囚われの身

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 気がつけば闇の中にいた。両手で瞼に触れてみる。危うく眼球に触れそうになり慌てて手を引っ込めた。目は開いている。
 耳を澄ませてみた。無音。何も聞えない。
 一歩踏み出してみた。暗闇の中、前後左右どころか天地もわからなくなり、歩いているのかどうかもわからなくなったので足を止めた。
 走り出した。どこまでも続く暗闇の中、走っても走っても息が上がらないことに不安を憶えたので足を止めた。
 誰か! 誰か!
 叫んでみたけれど、かさかさと喉が震えるだけだった。声が出ないのではなく、声を聞くことができないのかもしれない。
 誰か! 誰か! 助けて! 助けてくれ!
 頭を抱えて膝をついた。
 誰か助けて。この暗闇から。

 カイン。カイン。
 聞こえるはずのない耳に名まえを呼ぶ声が聞える。
 カイン。カイン。
 誰? こんな声を俺は知らない。こんな胸に染み入るような低く穏やかに響く声を。
 カイン。カイン。
 誰でもいい。ここから救い出してくれ! この闇から、いや、この孤独から……








 いつもの目覚めと違うことは目を開けた瞬間にわかった。自室の壁に掛けられたお気に入りの絵も、誕生祝いにローザにもらったキャンドルスタンドも、何より、トルソに着せた甲冑も兜も見当たらない。目に入るものは石の壁と鉄格子。ひんやりとした空気とかび臭さ。そこがバロン城の地下奥深くにある牢獄だとカインが気づくまでには、まだ少し時間がかかった。

「眠りの姫は、ようやくお目覚めですか」
 慌てて声のする方向へ見やる。自分の右側に、腕を組んで口許に笑みを浮かべた近衛長官ベイガンが立っていた。
 目覚めて初めて見た人物が自分の見知った男であることにカインは安堵したが、「姫」とからわかわれたことに抗議すべく口を開こうとして、それとは別の、より重要な違和感に気づいた。
 身体が自由に動かない。
 そこでカインは初めて、自分の手足が鎖で繋がれ、磔にされていることに気づいた。
「やはり美しい空の色でしたね。あなたのこのきれいな眸を間近で見ることを心待ちにしていましたよ」
 そう言いながらベイガンは、ひどく芝居がかった仕種でゆっくりと手を叩いた。
「これはなんの冗談だ、ベイガン」
 凄んだつもりで出した声はしゃがれ、自分の声ではなかったようなので、カインは何度か咳払いをした。ゴホンと音を立てる毎にズキンと額の奥が痛む。
 ベイガンは笑みを絶やさず、ひどく慇懃に答えた。
「地震に巻き込まれたあなたは、二週間も眠ったままだったのですよ」
 地震、二週間、とカインは鸚鵡返しに独りごちてから、はっ、と息を呑んで目を見開き、ベイガンへ向かってまくし立てた。
「セシルは?! セシルはどこだ?! セシルは無事なのか?! どこにいるんだ?!」
「知りたいのですか」
「もったいぶるな! 早く教えろ!」
 自由にならない両手の鎖をじゃらじゃらと揺らしながら、カインは声を荒げた。
「彼なら、今ごろはダムシアン辺りをうろうろしているでしょう」
「ダムシアン……そうか、無事か。よかった……」
 カインは、ふう、と大きな息を吐いた。セシルは無事でいるのだ。
「それで、これはどういう冗談だ。早く外せ」
「それはできません。繋いでいるのは、あなたが裏切り者だからです」
 カインは表情を変えずに、片眉を上げ、話の先を促した。
「あなたは主君であるバロン王を裏切り、セシルと共に国家転覆と亡命をたくらんだ罪人なのです」
 忠僕にとって信じがたいほどおぞましい言葉を次々と挙げるベイガンに、カインは舌打ちをしながら抗議した。
「俺たちにあの忌々しい指輪を届けさせたのは、あの村を召喚士ごと焼き払うためだったんだろ? 俺たちは計画を遂行した。地震は予定外だ。それが何故裏切りになる?」
 ベイガンは両手を挙げて、やれやれ、と首を振った。その尊大な態度はカインをさらに不快にさせた。
「これをご覧なさい」
 ベイガンは胸ポケットから取り出したものを右の掌に置いて、カインの顔の前に突き出してきた。そこには見慣れない草があった。
 眉をしかめて訝しげにその草を見つめるカインに、ベイガンは、ふふ、と笑い、左手の人差し指で草を突付いた。 
「これはね、ただの草ではないのですよ。トロイア周辺に生える『ひそひ草』という草で、遠く離れていても声や音を届けることができるのです」
「まさか」
「前日からあなたの荷の中にも忍ばせてあったのですよ。『ローザも救い出さんと』」
 カインは目を見張りベイガンの顔を見つめた。信じがたいことにこの奇妙な草は、自分たちの話を、セシルと交わした国を捨てる決意もすべてベイガンに届けていた。それ故自分は裏切り者として鎖につながれているのだ。
 カインは頭を垂れ、重く長い息を吐いた。そして顔を上げ、決意を孕んだ鋭い視線をベイガンへ向けた。
「そうか。罪人なら繋がれて当然だな。でも拷問したって何も出てこないぜ。全部聞いてたんだろ。さっさと首を刎ねるがいい」
「あなたを殺すことはしませんよ。主はあなたを側に置こうとお考えのようです」
「陛下が……」
 草を胸ポケットにしまい、ベイガンはカインの正面に周りこみ、彼の顔を覗き込みながらゆっくりと囁いた。
「あなたたちの陛下、バロン王はもういません。今のバロン王は偽者なのです。わかりますか」
 カインの青白い頬にみるみる朱が上った。唇がわなわなと震え、目は憤怒に血走る。
「貴様! 陛下を!」
 カインは自由にならない手足をばたつかせ、ベイガンに罵詈雑言を浴びせた。暴れるたび重い鎖がじゃらじゃらと音を立てる。ベイガンはそれらを意に介すことなく、微笑さえ浮かべ聞き流していた。
 二週間の眠りから覚めたばかりのカインの抵抗はそう続くものではなく、自分でも驚くほど、すぐに息が上がってしまい、ベイガンを罵る声は次第に小さくなり、代わりに肩を大きく上下させ始めた。肩で息をしながらカインは固く目を閉じ、心の中でバロン王に詫びた。何も知らなかった。あなたを守れなかった。あなたを疑ってしまった。申し訳ございません。申し訳ございません……
 無駄な抵抗が終るのを待っていたかのように、ベイガンは口を開いた。
「あなたはゴルベーザ様に仕えるのですよ」
 ベイガンが、下顎を持ち上げてきたので、カインはそれを嫌い頭を振り、初めて聞く名を反芻した。
「ゴルベーザ……そいつが首謀者か」
 ベイガンはカインの両の頬をがっちりつかみ、再び仰のかせた。
「やめろ! 俺にさわるな!」
「あなたが感情をあらわにするところを見るのは初めてです。私はたいそう喜んでいます。そんなあなたが見られて、ね」
 ベイガンの片手が、すーっとカインの首筋におりた。硬く冷たい革手袋の感触に、カインは思わず身じろいだ。
「これは失礼」
 ベイガンは革手袋をはずし、それを床に無造作に落とした。そして灰色の囚人服の合わせからのぞくカインのなめらかな素肌にそっと手を這わせた。
「やめろ! 俺にさわるな! 離せ! これを外せ!」
 カインはベイガンの手を振り払おうと身をよじってもがき叫んだが、彼の無遠慮な手はカインの胸の突起をとらえた。
「外したら、どうしますか」
「貴様をぶん殴ってここから逃げるに決まってるだろ!」
「素直な人だ」
 クク、と笑い、カインの乳首を弾いた。カインは、はっ、と短く息を吐いたあと歯を食いしばり顔を背けた。
「あなたは拒否できません。あなたはゴルベーザ様のものになるのです」
 ベイガンの手はカインの肌の上を器用に動き回る。左の乳首をわずかに触れたかと思えば右の乳首を強くねじる。やめろ、と訴える声もかすれ途切れ途切れになっていく。それでも誇りだけは失いたくない。カインは目を固く閉じ、首を横に振りつづけた。
「素直で強情。すばらしい」
 唇に笑みを浮かべたベイガンはいとも簡単にカインの下衣の中に手を滑らせると、中心をぎゅっと握りこんだ。
「うっ」
 カインが短く叫んで顔を上げた。ベイガンはカインの首を片手で抱え込んで固定し、彼のものを握りこんだもう一方の手を、上から下へ下から上へと一定のリズムで滑らせる。カインの白い肌は桃色に色づき、力の抜けた身体がわずかに震える。主君の仇である男にいいようにされている屈辱に身体は怒りで震えているのか、的確な刺激がもたらす快楽で震えているのか、当のカインにももうわからなかった。そしてそれを知られないように、流されてしまわないように、思わず声を上げてしまわないように、唇を強く噛んだ。
 先走りの液がベイガンの手を濡らしきゅるきゅると淫猥な音を立てることも、男ならば当然の反応だ、仕方ないことなのだ、と頭の隅でどこか冷静に受け止めようとしていた。
「カイン、目を開けて美しい眸を見せてください。カイン。さあ、カイン」
「……俺の……俺の名まえを気安く呼ぶな……」
 名まえを呼ばれ、ふと、ある小さな気がかりが思い浮かび、声を絞り出してベイガンに問い掛けた。
「……お、俺の名まえ、名まえを呼んだか。眠っているあいだ……」
 カインの身体をまさぐることに夢中になっていたベイガンは、少し遅れて手を止め一考した後、呼びませんでしたね、と答えた。再び濡れた手を動かし始めたベイガンは、指をカインの後ろの窄まりに手を伸ばした。
「やめろ! そんなところさわるな!」
 カインは身をよじって逃れようとするが、小刻みに動くベイガンの指が容赦なくカインの体内に埋められていく。狭いところぎりぎりとこじ開けながら異物が侵入してくる感触は、痛みを感じるよりひどく不快で、カインは嘔吐を催した。苦しい。なんとかやりすごそうとしたが、不快な違和感は鋭い痛みに変わり、カインは短い悲鳴をあげた。増やされた指がぐりぐりと捻りを加えながら奥を目指す。ベイガンの意図をようやく察したカインは、これまでにない恐怖を憶えた。
 懇願も哀願も決してしなかったカインだが、三本目の指が加えられたとき、耐えがたい痛みと恐怖に、誇りも何もかも投げ捨て、口に出そうとした。
 
 やめてくれ、お願いだ! 頼む!
 誰か! 誰か! 助けて! 助けてくれ!

 カインが心の叫びを声に出そうとしたそのとき。

「そこまでだ。ベイガン」
 低く穏やかな声が牢獄に響いた。




2008/02/10

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