邂逅

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「そこまでだ、ベイガン」
「ゴ、ゴルベーザ様!」
 低く穏やかに響く声と共に現れた人物の姿を認めると、ベイガンは飛び上がらんばかりの勢いでカインの側から離れた。同時に体内奥深くまで入り込んでいた指もずるりと外れ、カインは低くうめいた。
 鉄格子の外にいた黒い甲冑の男が一歩前に出ると、扉がひとりでに開いた。ベイガンは直立し、深々と頭を下げて彼を出迎えた。
 カインは霞む目を凝らし、声の主ゴルベーザを見上げた。黒い甲冑、黒い兜、黒い軍靴、黒いマント。風貌はわからないが、カインがこれまでに出会った誰よりも威風堂々とした長身の男だった。
「ベイガン」
「は、はいっ!」
 滑稽なほど声を裏返して返事をしたベイガンは、冷や汗を流し小刻みに震えていた。
「下がってよい」
「ゴ、ゴルベーザ様、わ、私は……そ、その」
「聞こえなかったのか」
「ははー」
 恭しく礼をして、ベイガンはカインを見向きもせず扉へ向かった。
「ベイガン」
「は、はいっ!」
 ゴルベーザが、無言のまま、石の床に投げ落とされた革手袋を指差した。
「申し訳ございません!」
 床を這うようにあたふたと自分の手袋を拾い上げると、ベイガンは驚くほどの速さで鉄格子の戸をくぐり牢を出て行った。
 初めて見るベイガンの様子を、カインは呆気に取られて見ていたが、慇懃無礼な彼があれほど恐れ慄く男と向き合っている自分とて、手足を拘束され、つい先ほどまでベイガンに翻弄され息を乱し着衣を乱しているありさまだ。もとより、軍人であるカインは、ゴルベーザが身に纏う空気で、彼が自分をはるかに凌駕する力の持ち主であることを瞬時に悟っていたので、自分のいまの姿を恥じる様子も見せず、ただ憎しみだけをぶつけるために彼を睨みつけた。
 突然、鎖で繋がれた手首の痛みが軽くなり、カインの身体は冷たい石の床に崩れ落ちた。わけがわからず磔にされていた背後の壁を見上げ、手首に残された紅い痕を無意識に撫でながら、ゴルベーザの姿を見上げた。彼がまた、何も手を下さずに拘束を外したらしい。
 ゴルベーザは片膝をついて屈みこみ、床にへたり込んだカインと同じ高さに目線を合わせた。
「会うのは初めてだな。カイン」
 はい、と思わず従順に返事をしそうになり、カインは慌ててずりずりと尻を動かし後ずさりした。彼を殴ることはもちろん逃げ出すことさえ思いつかず、ただ魅入られたように、カインは目を見開いたままゴルベーザを、正確には彼の兜を凝視していた。
「カイン、私のそばに仕えるのだ」
 ぶるぶるとカインは子どものように何度も首を横に振った。ふっとゴルベーザが息を漏らした。
「おまえと暗黒騎士のことをベイガンから聞いた。バロン王の許で、先に名を呼ばれるのは常に暗黒騎士だったそうだな」

 突然何を言い出だすのだろう。戸惑いながらもカインは、過去の記憶を思い巡らせた。武勲を立てて禄を賜ったとき、狩猟の護衛に赴いたとき、城内の図書室で二人で調べ物をしているところに突然王が現れたとき。そんな小さな出来事まで思い出されたが、確かに、彼の言うとおり、王がカインの名を先に呼ぶことはなかった。

「たいしたことじゃない」
 カインは努めて冷静に言い放った。バロンの両雄並び立つと評判の二人だったが、他人の評価はさまざまで、暗黒騎士というだけでセシルを忌み嫌う者たちもいれば、唯一絶対の騎士として崇める者たちもいた。国王直属の竜騎士団団長を先祖代々務める名家出身のカインこそ、バロンの誇る名実伴った騎士であると声高に主張する者たちもいた。そんな外野の声を当の二人はたいして気に留めず、ただ互いを唯一のライバルとして切磋琢磨してきた。
 先端技術の導入で高性能飛空艇の開発と保有に成功したバロン王が、飛空艇団を軍備の中枢とし、部隊長にセシルを抜擢したときも、竜騎士に愛着と誇りを持つ自分は羨むこともなかった。他人が言うように、セシルと差がついた、など思いもしなかった。
 だから、たいしたことじゃない。王が自分よりセシルを重用していたとしても、自分たちに上下はない。
 再び額の奥が痛み始める。

「国王に育てられたというだけで厚遇される奴が、憎かったろう」
「違う。あいつ自身の努力の結果だ。そうやって口さがなく言う奴らを見返そうと、あいつは人一倍努力した。俺はそれをずっと見てきた。誰よりもいちばん傍で。だから俺はあいつを敬いこそすれ憎んだことなんて絶対ない……」
「一度も?」
「……」

 一度も? 自分自身に問うた。いつも一緒にいた。暗くなるまで泥だらけになって遊んだ。士官学校の寄宿舎でも同室だった。幼い好奇心が旺盛なころ、ベッドでじゃれあったこともあった。配属先が離れても互いを訪問し、多くを語り合う仲は続いた。だが、いつの頃からだろう。次第に足が遠のき、自室で独り過ごすことが多くなった。

「その暗黒騎士は、彼を追ってバロンを出た白魔道士の女とカイポで合流したそうだ」
「……ローザと……」

 そうだ、あのときだ。あの日、待ち合わせた時間にセシルは来なかった。人を待たせることなど一度もなかった律儀なセシルが約束の時刻になっても一向に現れない。彼の身を案じた自分は方々を捜し回った。そして、セシルとローザの、相愛の二人の逢瀬を目の当たりにしたのだ。
 幼なじみのローザ。美しく成長した彼女に二人は恋心を抱いたが、ローザの心は自分に向いていなかった。二人に声をかけることもなどできるはずもなくその場を離れ、待ち合わせの酒場に戻った。程なく、時間に遅れたセシルが、申し訳なさそうな顔をしてやって来た。
「めずらしいな、遅れるなんて」「すまない。ちょっと一機、調子の悪いのがあってね」
 嘘をついた。それほど隠したいことなのか。隠し通せると思っているのか。下手な嘘をつきやがって。
 自分に隠れてローザと会っていたことより、嘘をつかれたことがショックだった。
 あの日俺はセシルを憎まなかったか。

「幼なじみの白魔道士も、おまえではなく暗黒騎士を選んだ。おまえの居場所などどこにもなかったのだ」 
「……」
 
 そうかもしれない。
 カインは混乱していた。忘れてしまいたかったこと、認めたくなかったことが次々と思い出される。頭痛は激しくなり思考が働かない。ゴルベーザに抗弁する気も失せてくる。セシルに対して抱いた憎しみを認めるくらいなら、このまま気を失ってしまいたい。カインは額に手をあて目を閉じ俯いた。

「だがカイン、私はおまえを一番の配下にしてやろう。誰も知らない私の夢を聞かせてやろう」
「一番の……」
「そうだ。おまえはその暗黒騎士より遥かに優れているのに、暗愚なバロン王はわからなかった。私ならおまえを活かすことができる。居場所を見つけてやれる」
 ゴルベーザはカインの肩を押した。力の抜けた身体は簡単に後へ倒れた。
「何を!」
「おまえは私のものだ」
「やめろ……俺にさわるな!」
 覆い被さる身体は重く押し返そうとしてもびくともしない。男の自分が男に組み敷かれているという屈辱と苦痛に顔を歪めていたカインだったが、首筋に触れたゴルベーザの黒い兜の奥から、掠れた息遣いと共にほとんど音にならないような「カイン」と呼ぶ低く穏やかな声を耳にしたとき、身を震わせるような熱が背骨を伝い身体の中心に走るのを感じた。
「だからカイン、奴はおまえ自身が手を下すのだ。そうすればもう苦しむこともない。楽になれる。そして、私と共に夢の続きを見よう」
「俺が……セシルを……」
 楽に……夢……暗闇……夢の続き……暗闇の先に見えるもの……
 力ない抵抗に代えて、カインは、この絶対的な男に盲従することの幸甚をぼんやりと思い描き始めていた。
 ゴルベーザはカインの下衣を手早く取り払い、両膝を胸につくほどに折り曲げた。がちゃりと甲冑の留め金が外れる音が響き、指とは明らかに違う質量のものがカインの後ろにあてがわれた。
「おまえは私のものだ」
 どん、という衝撃と共に局部に激痛が走る。めりめりと粘膜が裂ける音が聞こえたような気がした。内臓が押し上げられるような圧迫感と内壁にできた傷が擦られるたびに走る鋭い痛みから逃れようと、ただ縋るものが欲しくて、カインはゴルベーザの背に腕を回し甲冑の凹凸に指をめり込ませた。
「最初だけだ。直に慣れる。直に自分から欲しくなる」
 ゆっくりと腰を打ちつけながらゴルベーザは、カインの額があらわになるように長い髪を後に何度も撫で付け、苦痛に喘ぐカインの顔をじっと見つめていた。
 身体は悲鳴を上げていたが心は満たされていた。ベイガンのときのような恐怖はなかった。
 血と涙と汗にまみれながら、叫びにも似た高い声を上げ、カインは意識を失った。


 カイン。カイン。
 低く穏やかに響く声が聞こえる。声のする方向を必死に探す。
 カイン。カイン。
 暗闇の中、声のする方向に、大きく広げられた逞しい腕が見えた。腕の主の姿はまだ見えない。
 カイン。カイン。
 それでも迷うことなく、指を絡め手を取り、腕の中に飛び込んだ。








2008/02/17

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