日々是好日

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1

 じりじりと瞼を焦がすような熱に堪りかねてカインは目を開けた。目が眩むかのような陽光に何度も睫毛を瞬かせ、薄目を開け辺りを見渡した。
 投げ出した手の甲には布の感触があった。どうやら自分はベッドに横になっているらしいが、天井の模様に見憶えはなかった。視線だけを左右に動かしてみる。木目の壁も、陽光が降り注ぐ窓も、自分の部屋のものではなかった。
 ここは……どこだ……
 もう一度目を固く瞑り片手で瞼をゴシゴシと擦ってから、今度は大きく目を開けた。
「薬は飲ませてある」
 突然響いた声に驚いて、カインは声のした方に顔を向けた。明るい部屋に似つかわしくない重々しい黒い甲冑を身に纏った大きな男が腕を組み、ベッドの左側で長椅子に腰掛けている。カインは慌てて身体を起こした。
「まだ体力が完全に回復していない。『ゆっくり』とは言わんが、しばらく休んでおけ」
 カインが返事をする間もなく、彼は椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。
 ひとり残されたカインは、茫然と、ベッドの上で首を傾げた。
 彼は何をしていたのだろう。あれでは、自分が目覚めるのをただ待っていたかのようだ。
 彼について何か思い出そうと、眠りに落ちる前の記憶を思い巡らせたカインは、さっと顔を赤らめ俯いた。
「ゴル……ベーザ……様、か……」
 初めて敬称をつけて口にしたその名が妙に舌に馴染むことが自分でも不思議で、カインはさらに首を傾げた。

 服の前合わせをはだけ自分の身体をじっと見下ろす。ゴルベーザの言ったことは真実らしく、身体に外傷も痛むところもなかった。いま身に着けている白い部屋着に憶えはなく、自分が眠っている間に着せ替えられたのかと思うと、決まりが悪くて、カインはわずかに口を尖らせた。
 ベッドから降り、足腰に不安が無いことを確認してから窓辺に寄った。窓を開けようとしたが鍵がどこにも見当たらない。首を伸ばして外の景色を眺めたカインは、その高さに驚き、窓が嵌め込み式である理由を理解した。
「下界」と呼ぶにふさわしいほど小さく見える山々や海岸線を眺めながら、頭の中にある地図と見比べてみるけれど、ここがどこなのかさっぱりわからなかった。
 ぐるりと部屋の中を見渡す。設えられた家具や調度品が自分の好みと一致していて、カインは、ここは新しい自分の部屋なのだ、と奇妙な確信を持った。
 優雅な曲線を描く脚の付いたチェストに寄り、抽斗を開けてみる。中に整然と収められた服の色合いも自分好みだ。その中の一枚を引っ張り出し、身体に当ててみる。やはりそれは、腕の長いカインにもぴったりのサイズで確信はさらに深まる。
 ベッドの左側に置かれた布張りの長椅子は、遠い異国のものなのか、カインが初めて目にする不思議な模様をしていたが、存外、他の家具と調和していて、その意表をつく組み合わせの妙にカインは思わず唸った。 
 チェストと同じ意匠の、自分の上背より高いキャビネットの扉を開けたカインは、あ、と驚きの声を上げた。そこには、竜を象った濃紺の兜、甲冑、篭手、軍靴が収められていた。兜を取ろうと手を伸ばしたが、ふと、甲冑の脇に付いた傷に目が留まった。その傷には憶えがあった。間違いない。これは、バロンの自分の部屋に飾ってあった甲冑のひとつだ。
 部屋の主が寝てる間に引越し完了か…… 
 眉をしかめて他の抽斗も片っ端から開けてみたが、結局、竜騎士の装備一式を除いて、バロンの自分の部屋にあったはずのものは何一つ見つからず、机の中の帳面一つにしても真新しいものが収められていた。
 これはゴルベーザの意向だろうか。バロン時代のものをすべて捨てここで一からやり直せと。ならば何故これだけが…… 
 掌の上でくるくると回してから、カインは竜の兜を被った。嵐の後雲が流れ去った後のように気持ちが晴れ晴れとし昂揚していく。甲冑の下に着込むスーツを着るため一旦兜を脱ぎ、装備類を身に着けていく。髪を結う紐が見当たらないので長い髪はそのままに再び兜を被ると、背筋が伸び気が引き締まる。
 たとえ主が代わろうと職務以外の役目が新たに課せられようと、竜騎士の矜持は失われていないのだと思えて、それが素直にうれしかった。


「もう『しばらく』経ったよな……」
 誰に聞かせるでもない言い訳をひとりごちて、部屋の扉を開け廊下に一歩踏み出したカインは、クラシカルな自分の部屋とは打って変わった内装に、小さく息を呑んだ。近代技術の粋を集めたと思える造りは、人の気配もまるで無いせいか、無機質な印象を与え不安を掻き立てる。
 戻ってきたとき部屋を間違えないように長い金の髪を一本抜いてドアノブに結び、カインは足音を立てずに廊下を忍び足で歩き始めた。槍を携えていないので少々心許なかったが、ゴルベーザの翼下らしいこの建物の中でよもや戦闘になることはないだろう、とカインは手持ち無沙汰な左手をぎゅっと握ったまま当ても無く歩いた。
 廊下を道なりに歩いているとぐるりと一周し、自分の部屋の前に戻った。思ったほど広くない面積と窓から見下ろした風景とを考え合わせ、ここは塔のような建物だと推測した。次は階段を探してみるか、と二周目に向けて歩き始めたところで、遠くでエレベーターの到着を報せる澄んだ音が聞こえた。
 何者かがこちらにやって来る。足音がだんだん大きくなる。忍び込んだわけでも後ろめたいわけでもなかったので、カインは逃げも隠れもせず、ひとこと挨拶を交わすべきなのかと逡巡しながら、曲がり角に伸びた影が大きくなっていくのを、少し緊張して見つめていた。
 現れたのは、身の丈よりも長い豊かな髪をマントのように身に纏った女だった。随分と恥じらいの無い女だ。わずかな布で覆われただけの彼女の肉感的な身体を正視しないように、カインは視線を逸らせた。
 女はカインの姿を認めるとにこりと微笑み、その笑みはカインの緊張をほぐした。
「兜を被るのね。残念」
 カインはわずかに眉をひそめた。彼女の物言いから察するに、自分の素顔を知っているようだ。
 押し黙ったままのカインに、女は高い笑い声を上げた。
「あんたがここに運ばれてきたとき、私がゴルベーザ様を出迎えたってわけ」
 カインは合点がいき愛想笑いを浮かべようとしたが、彼女の長い髪がうねうねとひとりでに動き出したのを見て、さっと顔色を変え身を固くした。これは人ではない、魔物だ。
 カインの様子を見て女は、取って喰やあしないわよ、とさらに高い声で笑った。
「私はゴルベーザ四天王のひとり、風のバルバリシア。ようこそゾットの塔へ、カイン」
「……四天王?」
 声もいいわね、とバルバリシアは腕を伸ばし、カインの顎をすっと撫で上げた。それを嫌ってカインは頭を振って仰け反った。
 バルバリシアは、ふふ、と含み笑いをしてカインに答えた。
「ゴルベーザ様に直々仕える四人のうちのひとりよ。あとの三人も、追々会うことになるでしょう」
「……ここはゾットの塔というのか」
「そう。ゴルベーザ様の治める、まさに『司令塔』」
「……どこにあるんだ。ここは」
「知りたいことがいっぱい、ねえ……」
「……」
 彼女は豊かな胸を持ち上げるように腕を組んで、少し前屈みになった。彼女に悪い印象は持たなかったが、艶かしさを前面に押し出してくる様子に辟易し、魔物のそれには興味を持たないということを示すために顔を逸らし、自分で訊くからいい、と応えた。
 失礼する、とその場を立ち去ろうとしたカインの耳に、チン、とまたエレベーターの到着の音が聞こえた。
「この階に何かあるのか」
 思わずバルバリシアを振り返り尋ねた。
「乗り換えよ」
「乗り換え?」
 ほら、と彼女は自分がやって来た方向を指差した。その曲がり角にまた影が伸び、今度はひと目見て魔物とわかる男が現れた。男の背中の皮膚はまるで亀の甲のように角質化し、頭部に髪は無く、深い藍色の肌は濡れたように雫が滴っていた。
「お、久しぶりじゃねえか、カインちゃん」
 どうやら自分のことは知れ渡っているようで、小ばかにしたような呼びかけにカインは顔をしかめた。
「魔物に知り合いはいない」
「ああ、俺、いまこの姿だからわかんねえのか」
 男はクカカカカと独特の笑い声を上げながら、隣のバルバリシアを肘で突付いた。
「おまえ、言ってないのかよ」
「なんで私が言う必要あるのよ」
 男はカインに向き直り、立てた親指を自分の方へ倒した。
「俺は四天王のひとり水のカイナッツォ。その名のとおり水を司るが、変化も得意なんだぜ」
 なあ、とカイナッツォはまた声を上げて笑った。
 何がおかしいのかカインにはさっぱりわからず、笑う二人を冷ややかに見つめた。いまの居心地の悪さに加え、四天王と言うからにはさらにあと二人とこんな会話を繰り返すことになるのかと思うと心底うんざりしたので、塔内の探索をあきらめ部屋に戻ることにした。
「じゃあ、俺はこれで」
 二人に背を向け歩き出す。彼らの前で部屋のドアを開けることに躊躇はあったが、自分の部屋だと知られていない根拠も何もなかったので、ノブに巻かれた髪の毛を確認して部屋に入った。








2008/11/23

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