日々是好日

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2

 あれから部屋にやって来たのは食事を運んで来た使用人らしき小柄な魔物だけで、簡単な夕食――味は良かった――を済ませた後はさしてすることもなく、書棚に並んだ本も読む気にはならず、何らかの連絡があるはずだとのんびり構えていたカインも、さすがに暇を持て余し苛立ちを大きくしていた。
 扉をノックする音が響く。
 後で皿を下げに来ると言っていた使用人だろう、とカインは無愛想に扉を開けたが、少し開いた扉の隙間に黒い甲冑を見て慌てて扉を大きく開き、どうぞ、と頭を下げてゴルベーザを招き入れた。
 外からあの低く穏やかに響く声で名を呼ばれれば急いで扉を開けるし、あるいは彼ならば、何の手も下さず鉄格子の扉を開けたように、扉の鍵など簡単に開けられるだろうに、配下の部屋を訪れるのにいちいちノックをする彼の律儀さには支配者の持つ傲慢が感じられず、カインは、新しい主の人となりを掴むまでには時間がかかりそうだ、と彼に気付かれぬよう小さな溜息をついた。
「身体はいいのか」
「おかげさまで」
 部屋に通されたゴルベーザは、カインが勧めるまでもなく、さっさと長椅子に腰掛け顎を動かしてカインにも着席を促した。失礼します、と彼の向かい側に腰を下ろすと、彼はおもむろに一枚の紙を低いテーブルの上に広げた。それはところどころ折り目が破れた古びた地図で、中ほどに赤い×印が記してあった。
 その場所はカインも知っていた。豊富な地下鉱脈を持つ北方の小さな国の城砦だった。
「鉱山ごと手に入れようと思ったが、抵抗されている。なかなか堅牢な守りだ」
「城壁も石ではなく重金属でできているそうです」
 そうだ、とゴルベーザは頷いて、広げた膝に両肘をつき組んだ両手に顎を乗せた。
「おまえならどう攻める」
 カインは驚きで目を見張りゴルベーザをじっと見つめた。もちろん、黒い兜に覆われた彼の表情はわからない。彼ほどの人物ならば自分に相談などしなくとも易々と計画を進めそれを実行に移せるはずだ。慧眼の有無を試されているのかもしれない。だが、彼の真の目的もわからぬうちは、的を射たことが言えるはずもない。かと言って黙っているわけにもいかない。カインは少し緊張して下唇を湿らせ、地図に記された赤い×印を指し示し思うままを口にした。
「北にある険しい山が自然の要塞になっていますので、私なら、月のない夜に敢えてこの山側から攻めます」
「どんな断崖かわかって言っているか」
 はい、と神妙に頷いて、カインは自分なりの攻略を語り始めた。
 口数の決して多くない自分がこんなに熱っぽく戦略や戦術を語っていることで、カインは自分が軽い昂奮状態にあるのだと気付いた。思い返せば、バロン王とこんな風に膝を突き合わせて軍略を練ることなどなかった。もっとも、それはカインが常に最前線に立つことを希望したからだが。
 ゴルベーザは時折カインに助言を施す以外は、ただ静かに頷くだけだった。新しい主の染み渡るような頷きを確かめながら、カインは身振り手振りを交え喋り続けた。

 カインが一通り話し終え息をつくと、ゴルベーザは無言のまま地図を折りたたんだ。自分が展開した戦略が、彼の意に添うものであったかはわからない。カインは急に不安を憶えた。
「あ、あの……」
「塔の中を知りたければ、明日、案内人をつけてやろう」
「……ありがとうございます」
 やはり、昼間うろうろと歩き回っていたことは彼の耳に入っているようだ。特に咎めるつもりはないようで、カインも謝罪の言葉を口にしなかった。
 黒いマントを翻し部屋をあとにしたゴルベーザを見送ったあと、短いが充実したひと時を過ごせたことに満足してカインはひとり微笑んだが、ある考えがよぎり、はっと息を詰めた。
 もしかすると、山岳戦という竜騎士が最も得意とする戦闘を自分が存分に語れるよう仕向けられたのではないか。
「まさか、な……」
 いくらなんでもそれは自分に都合よく考えすぎだと、カインは下唇に当てていた親指を軽く噛み、自嘲の笑いを浮かべた。



 次の朝、部屋まで迎えに来た機械兵と共にカインは塔内を順に回っていた。
 赤や緑の光を点灯させ頭部を三六〇度回転させながら足の裏に付いたローラーで滑って移動する機械兵は、一見案内役には相応しくないと思えたが、余計な気を遣うこともないため心のままを口にするにはうってつけの相手で、カインは矢継ぎ早に疑問に思うことを尋ねていった。
 機械兵はカインのほとんどの質問に澱みなく答えることができたが、ゴルベーザについては入力されていないらしく、「我らが主です」と繰り返すだけだった。
 最も知りたかったことをあきらめ、生活に必要なオリエンテーションを済ませ自室まで戻ったところで、赤いマントを纏った男に出くわした。

「おまえがカインか」
 カインは眉を寄せ男を見上げた。男は優に二メートルを超す身体を赤いマントで隠すように覆い、頭巾を被っているのかそういう肌の色なのか、カインにはよくわからなかったが、顔も炎のように赤かった。
「どうやら、俺のことは知れ渡っているらしいな」
「ゴルベーザ様が竜騎士を拾って来られた、と噂になったんでな」
「拾う」という言葉にむっとしたカインだったが、事実、そう変わりないことだと思い直し、それは聞き流すことにした。
「あんたも四天王とやらか」
「私はゴルベーザ四天王のひとり、火のルビカンテだ」
 ルビカンテはわずかに顎をしゃくった。その仕種が自己紹介を促すものだと、カインは瞬時に理解した。昨日出会った二人は、既に自分のことを知っているためそれを求めてこなかったが、この男は礼節を重んじるようだ。魔物にもいろいろいるんだな。カインは小さな息を吐いてから、息を吸い込んだ。
「俺はカイン・ハイウィンド。バロ……竜騎士だ」
 思わず言いかけた故国を、すんでのところで言い留まりカインは下唇をぎゅっと噛んだ。何か嫌味の一つでも言われるかと思ったが、目の前の男は、はっきりと聞こえたはずのそれを気に留める様子もなく、よろしく、と握手を求め右手を差し出してきた。
 気遣われたのか……魔物に……
 カインはほんのわずかの逡巡ののち、右手を差し出し握手に応じた。彼の大きな手は温かいというよりむしろ熱いほどで、彼が見た目だけでなく、確かに火を司っているのだと実感させられた。
「このフロアに何かあるのか」
 握手を解きならが、カインは昨日バルバリシアに尋ねたことと同じことを尋ねた。
「ゴルベーザ様の部屋のある階まで行けるエレベーターがない。一旦この階で降りて、階段で昇らなければならない」
 ゴルベーザ様専用のエレベーターはあるが、とルビカンテは付け足した。
「それで『乗り換え』なのか」
 訊き損ねた言葉の意味を理解することができ、少し気分が晴れた。
「ぞろぞろと部屋の前を通られると、落ち着かないな」
 わずかに口を尖らせたカインに、あまり気にしなくともよい、とルビカンテは応えた。
「しばらく留守にされていたので、我々の報告やら待命やらが重なっているだけだ」
「報告……それぞれが下部組織を持っているのか」
「そうだ。いつかおまえが率いる隊も魔物で構成されるだろう。確かに、一筋縄ではいかない連中だが、おまえのように端から魔物を蔑んでいては巧くいくものもいかなくなる」
 握手の際の逡巡は見透かされていて、カインはばつの悪さに俯き唇を歪めた。
「……すまない。俺が悪かった。改める」
「素直だな」
「あ、あんたの言うことが、一理あると思ったからだ」
 顔を赤らめカインは、失礼する、とそそくさと扉を開け部屋に入った。後ろ手に扉を閉め、少し考えてから再び扉を開け、頭だけ扉の外に出し首を伸ばした。
「あ、あの……」
 背中を向けて歩き出していたルビカンテに呼びかけると、彼は立ち止まり振り返った。
「ルビカンテだ」
「ルビカンテ、いろいろと教えてくれてありがとう。じゃあ」
 ルビカンテは少し驚いた顔をして、たいしたことじゃない、と咳払いをして応え、踵を返した。








2008/11/30

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