日々是好日

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3

 数日後カインは、一日の大半を中央司令室と呼ばれる部屋で過ごすようになっていた。見慣れぬ機械や装置に戸惑いながらゴルベーザの傍らに立ち、彼に対して行われる報告の内容にじっと耳を傾けたり、立体ホログラムで投影された世界地図を塗り分け、ポイントを印す機械操作を「世捨人」と自称した技師――人間だそうだ――に教わったりしていた。
 陽もとうに傾き一人また一人、職務を済ませた配下の者が退室して行き、広い部屋にゴルベーザとカインだけが残された。

「おまえの言ったとおりに進めてみた」
 書類の束をとんとんと机の上で揃えながら、ゴルベーザが切り出した。
 唐突に話かけられ、カインは背筋を伸ばし少し緊張してゴルベーザを見た。先日自室で披露した城砦の攻略のことだと気付き、息を呑んで彼の言葉の続きを待った。
 黒い兜の奥から注がれる視線がどこに向けられているのかまるでわからない。むしろ、いかなるときでも、自分の一挙手一投足を見られていると考える方が、振る舞いにも間違いがないだろう。
 それは多大な緊張を強いることであるが、元来そのような緊張感の中に身を置くことは嫌いではなかったので、いまもカインは胸を高鳴らせて彼の言葉を待った。
「軍師も務まりそうだな」
 褒められたのだとわかり緊張がほぐれ、カインは安堵の息を吐き、もったいないお言葉です、と頭を下げた。
「ですが、私は実戦の方が得意ですので……」
「おまえが出て行くまでもない相手ばかりだ。まだ、いい」
 その言葉はカインの頬を緩めるには充分だった。喜色が顔に出ないよう俯き奥歯を噛み締めていると、ゴルベーザは手にしていた書類の束をカインに差し出してきた。
「これからも遠慮なく、進言するがいい」
「恐れ入ります」
 頭を下げて書類を受け取った。彼は何も言わないが、目を通しておけ、ということだろう。パラパラと紙をめくっていると、ゴルベーザが問い掛けてきた。
「活字は好きか」
「はい。好きです」
 カインは即答した。本当に読書は好きだったし、この程度の量の書類を読むことは大儀ではないというアピールもあった。
「『竜騎士の歴史』は読んだか」
「はい。子どもの頃父から譲られて、何度も読み返しました」
「その原本があるが、読んでみるか」
 カインは驚きで目を見張った。その本は歴史だけでなく、原理、心得、戦法、武器や防具の解説に至るまで詳細に綴られており、竜騎士はもちろん竜騎士を目指す者にとっても必読の本だった。その原本ともなれば、数百年は前のものだろう。
 旧い字体を読めるだろうか、文法は大きく変わっていないだろうか。何より、自分の読める言語で書かれているだろうか。なぜそれをゴルベーザが所有しているのかと考えるには及ばす、逸る心を抑え切れずあれこれ思い巡らしていたカインだったが、まだ彼に返事をしていないことに気付き、慌てて応えた。
「ぜ、是非とも、お願いします!」
 ゴルベーザは、ふっと息を吐き出し、ついて来い、と立ち上がり、黒いマントを翻した。
 カインも書類の束を小脇に抱え、ゴルベーザに従って中央司令室をあとにした。


 通された部屋で先ず目に飛び込んできた布張りの長椅子が、自分の部屋のそれと色違いであることに気づき、カインは口許に微かな笑みを浮かべた。
「南の国のものだ」
 ゴルベーザが背中を向けたまま放った言葉にカインは吃驚した。自分の関心が椅子の布地に向けられていることにどうやって気付いたのだろう。「後ろに目が付いている」とはまさにこのことだな、と感心したが、色の少ないこの部屋で一風変わった模様に目を奪われるのは当然のことで、彼がそれを言い当てたからと言って驚くに足ることじゃない、と思い直した。
「私も好きです、この模様」
「わかっている」
 え、とカインは思わず訊き返したが、ゴルベーザはそれに応えず、こっちだ、とさらに部屋の奥にある、重厚な木製の扉へ向かった。
 椅子の柄が気に入っていると伝えたことがあっただろうか、と訝りながらカインはゴルベーザに続き扉をくぐった。
 部屋はたいそう暗く、明かりを探すためにカインが目を凝らしていると、ぼっ、と何かを燃す小さな音が聞こえた。薄闇の中、ゴルベーザの指先で小さな炎がゆらゆらと揺れている。彼がその指を、すいっと弾くように動かすと、暗闇の中真っ直ぐに投げられた火の玉が三つに分かれ、燭台の三本の蝋燭に見事命中し、部屋に暖かな明かりが灯った。
 部屋の主ならば当然、どこに何があるかなど把握しているだろうが、カインは嘆息した。黒魔法を使う彼は魔道士なのだろうか。黒い重装備からは想像もしなかった考えがよぎる。彼が時折見せる不思議な力は、魔道を極めた者に贈られる証(しるし)なのだろうか。そんなことを考えながら、カインは明るくなった室内をぐるりと見渡し、その佇まいに感嘆の溜息を吐いた。
 部屋に窓は無く、扉を除いて部屋の四方に、カインの上背を遥か超える高さの書架が並べられ、部屋の中央には布張りの安楽椅子、スタンド式の書見台と燭台が置かれていた。
 部屋の大きさにしては天井が高く、窓が無いと思ったが、明り取りの天窓があった。今日はあいにくの天気で、降るような星も二つの月も見えなかった。
 仰向いていちばん高い棚に並んだ本の背表紙を睨んでいると、これだ、とゴルベーザは低い位置の棚から分厚く大きな本を取り出した。
 片手ではとても持てそうにないのでカインは両手を差し出して受け取ろうとしたが、彼が本から手を離した途端、予想以上のその重さを受け止めきれず、腕と身体が沈みそうになったのをなんとか持ち堪え、顔をしかめて本を持ち上げた。
 ゴルベーザはくっくと喉許で押し殺したように笑いを漏らしながらカインに手を貸し、本を書見台の上に置いた。
 彼が背中を向けて身を屈め、台の脚の部分をごそごそといじり始める。何をしているのか、カインが覗き見しようと首を伸ばしたところで、ゴルベーザは振り返り顎をしゃくった。示された方を見ると、書見台の高さが一段低くなっていた。それが自分の背丈に合わせたものだとわかり、カインは彼の気遣いがうれしくて顔を綻ばせた。
 主が立ったままなのに配下である自分が腰掛けていいものか。ぐずぐずためらっていると、ゴルベーザは、構わん、とカインを促した。
 失礼します、とカインは安楽椅子に腰掛け、書見台に置かれた本に手をかけた。
 中に金属の板が入っているのではないかと思えるほど皮に包まれた表紙は硬く、強度を増すためか、四方に金具が嵌め込まれている。旧い装飾文字の下には輝石が竜の鱗を模して貼り付けられているため、扱いに細心の注意を払わねばならなかった。
 表紙を開き目次に目を通す。旧い文体だが容易に読むことができる。カインは逸る心を抑え、ページをめくった。
「見たことのない記述がたくさんあります」
 導入部分を流し読みしたカインは昂奮気味に応えた。自分が所有しているものとは違い、絵画として鑑賞し得るほど豪華な挿絵がふんだんに盛り込まれていて、それに関する解説も詳細に記されていた。
「普及版を刷る際、挿絵や挿話を大幅に割愛したようだな」
 ゴルベーザの言葉にカインは、そうだったのですか、と大きく頷いて、再び本に視線を落とした。
 どのくらいの時間が経っただろう。貴重な旧い本に没頭していたカインははっと我に返り、傍らに立っているゴルベーザを見上げた。
「すみません。つい夢中になってしまいまして……」
「構わん」
 ゴルベーザは腕を組んだまま、旧い本を指差した。
「当分読むこともない。貸し出そう」
 カインは顔を綻ばせ、ありがとうございます、と頭を下げながらある考えをよぎらせていた。この重い本を自室へ持ち帰り、書見台の無い部屋でそっと扱うことはたいそう気苦労が必要だということは想像に易い。それ以上にこの書斎がいたく気に入ったので、いちかばちか、思い切って願い出てみた。
「ゴルベーザ様」
「ん?」
「もしご迷惑でなければこちらで読みたいのですが、よろしいでしょうか」
 ふむ、と腕を組んでいたゴルベーザが、黒い兜の顎の部分に片手を当てた。
「もちろん、ゴルベーザ様のご都合のよろしいときで結構ですので……」
「私が自分の都合を、いちいちおまえに告げねばならんのか」
「……」 
 カインは自分の厚かましさを恥じ頬を赤らめ俯き、下唇を噛んで乾いた唇を舐めた。
「差し出がましいことを言いました。申し訳あり」
「暗証番号を教えてやろう」
 謝罪の言葉を遮られ、わけがわからずカインは、え、と首を傾げた。ゴルベーザが四桁の数字を口にしたので、カインは反射的にそれを復唱した。
「好きなときに好きなだけ読むといい。書斎の鍵は開けておく」
 数字を口の中で呟きながらカインは、ゴルベーザが自室に入室する際、壁に取り付けられていた小さなパネルを触っていたことを思い出していた。
「あれは鍵になっている。いまの数字を打ち込むと扉が開く」
 カインはまた目を丸くした。自分の考えていることがことごとく見透かされている。
 心が読めるのだろうか……
 ゴルベーザの底知れぬ力に畏れを抱いたが、それよりも、ことの重大さに改めて狼狽した。
「い、いえ。それは、あまりにも……」
「何だ。嫌なのか」
「そういうわけでは……」
 まだ取り立てて彼の役に立っているとは思えないのに、自由に部屋を出入りすることを許されるという厚遇に、カインは恐縮し冷や汗をかいた。
「わ、私の勝手な我がままで……そのような……」
「星の降る夜など、なかなかのものだ」
「ですが……」
「背もたれの角度も変えられる。いまも好きなだけ読むといい」
 椅子を指差してカインにそう告げると、ゴルベーザはさっさと書斎を出て行ってしまった。
 本当にいいのだろうか……
 惑いが無いわけではなかったがすぐに引き上げることはせっかくの彼の心遣いを無にすることになるので、開き直ったカインはひとつ大きな息を吐いて、再び本の世界に没頭した。

 空腹がカインを本の世界から現実へ引き戻す。無意識に腹を押さえ、書見台に掛けられていた栞を読みかけのページに挟み、重い表紙を慎重に閉じた。
 旧き良き時代の竜騎士の活躍譚に知らず知らず自分を重ねていたのか、身体には力がみなぎり、いまならどこまでも高く跳べるような気がする。高い書架を見上げ、カインはジャンプした。書架の天板にほんの一瞬足を着けただけですぐ着地する。
 槍が欲しいな……
 しゃがみこみ片膝をついたままじっと左の掌を見る。読書もいいが身体がなまりそうだ。ぎゅっと拳を握り槍を最後に手にした記憶を辿っていたところで、きゅるると腹が鳴った。
 空腹には何ものも勝てないな……
 立ち上がったカインは苦笑いを浮かべて燭台の火を吹き消し、書斎を出た。

 メインルームに戻ったが、ゴルベーザの姿はなかった。
 ゴルベーザの部屋は、大きな机と長椅子のあるメインルームを中心にして東に寝室、西に書斎という造りだった。寝室の扉が開け放たれていたので、カインは恐る恐る中を覗いてみた。ゴルベーザの体格に合わせたと思われる、縦と横が同じ長さの大きなベッドはきれいに整えられたままだった。
「ゴルベーザ様」
 主の名を呼んでも、部屋は静寂の音を返すだけだった。
 不在ならば仕方がない。机の上にあった小さな紙の束から一枚拝借し、礼と退室する旨を走り書きした。時刻を記入しようと思い壁に掛けられたクラシカルな型の時計を見上げて、思わず、わっ、と声を上げた。
 食堂の閉鎖時刻が迫っていた。それほど長い時間が経っていたとは夢にも思わず、走り書きした紙を机の上に置くと、カインは大慌てで主の部屋をあとにした。

 階段を踊場ごとに飛び降りながらカインは考えた。
 あの書斎で過ごすときは時計が必要だ。だが、あの濃密な空間で時間を気にすることはひどく無粋にも思える。
 時計が欲しいと言えば下賜されるか、それとも「必要ない」と言われるか。槍が欲しいと言えば……
 カインは頭(かぶり)を振った。彼は心が読めるかもしれないのだ。物欲しそうにしてはいけない。カインは左頬をぴしゃりと叩き、顔を引き締め、残り二階分を階段の吹き抜けから一気に飛び降りた。








2008/12/07

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