彼に捧げる歌

BACK | NEXT |

 セシルと無事再会を果たし、渡したひそひ草から届いた竪琴の調べのおかげで難敵を倒したとの吉報を受けてから、僕の身体は日に日に快方に向かった。
 迷惑と心配をかけた分早く復帰して皆の役に立ちたいと焦る一方で、見舞いに立ち寄ってくれるたび強く逞しくなっていく彼を頼もしく思い、僕なんかが戻っても、と気後れしてしまう。そんな後ろ向きの気持ちをひた隠しにして、今日も笑顔で彼らを出迎える。


「ローザ! 無事だったんだね!」
 セシルの後ろに彼女の姿を見て、僕は思わず叫んだ。彼女は少し疲れた様子だったが元気そうで、僕たちは手を取り合って再会をよろこび互いを労った。
「セシル。どうしたんだい? 浮かない顔して」
 はしゃぐ僕たちの隣で、セシルの様子が少しおかしいことに気づいた。最愛の人を取り戻したというのに、彼の表情は暗い。
「ん……実は……」
 彼はこの数日の間に起こったことを語り始めた。


「そうか……話してくれてありがとう」
 テラさんが死んだことを聞かされた。渾身のメテオはゴルベーザを撤退させるまで追い込んだが、老いた彼の身体は究極の魔法の発動に耐えられなかったそうだ。
 僕は重いため息をついた。
 彼は僕を憎んでいた。でも、最後には分かり合えたと思う。この戦いが終わったら、アンナの分も彼を大切にしたいと思っていたのに、それも叶わぬ夢になってしまった。
 窓から空を見上げる。
 天国で彼女に会えただろうか。二人空から、僕を見守ってくれているのだろうか……

 窓から視線を戻す途中で、扉の傍で腕を組み、壁に背中を預けもたれかかっている男に気づいた。竜の兜に鱗を模した甲冑。あれは確か……
「彼は、カインだね?」
 僕の問いに、セシルはうれしそうに頷いた。
「洗脳が解けたのよ」
 幼馴染というローザも目を細め、彼にやさしい顔を向けた。
「カイン。彼がギルバートだ」
 セシルが僕の背中に軽く右手を添え左腕を大きく広げたが、カインは僕と目が合うと、少し頭を下げ、ふいと背中を向け部屋を出て行ってしまった。側に来て握手を求めてくれるものだとばかり思っていた僕は、想定外の彼の行動に呆気に取られ、思わず呟いた。
「随分恥ずかしがりなようだね」
「すまない、ギルバート。あいつ、なんというか、無愛想で……」
 セシルが申し訳なさそうに謝る。
「悪気はないのよ。気まずい、ってこともあると思うの。ちゃんと言っておくわ」
 ローザは彼のことが心配でたまらない姉のようだ。
「なあに。若いもん同士、直に慣れて打ち解けるわい」
 シドはいつも明るく頼もしい。
「そうだね。そうなるといいな」
 傍らに立っていたヤンに同意を求めて見上げると、彼はあごひげを摘み撫でながら、しかめ面のまま頷いた。


 その夜、僕はベッドを抜け出して中庭に出た。さわやかな夜風が心地よい。噴水と花壇が見渡せる大樹の下。ここが僕の気に入りの場所で、そんなに遅くない時間、ここに座って竪琴を奏でることが、退屈な療養生活での楽しみの一つになっていた。最初の頃は夜の演奏に神官たちにいつ小言を喰らうかとびくついていたけれど、どうやら目こぼししてもらっているらしく、ときには「楽しみにしている」と声をかけられることもある。
 今夜は天国の二人へ鎮魂歌を捧げよう。
 大きく盛り上がっている樹の根に腰掛け、僕は竪琴を取り出した。

 歌い始めてほどなく、風が木々を鳴らすのとは明らかに異なる音が頭上に聞こえ、僕は弦を爪弾く手を止めた。こんな樹の上に、こんな時間に、誰かがいる。
「誰かいるのか?」
 かさりと枝葉が揺れる音がして、風が僕の顔に吹き付け何かが視界を塞いだ。
 音も無く僕の前に降り立ったのは、長い金の髪の男だった。顔にかかる前髪を後ろに払い、すっと背筋を伸ばした美しい青年に、僕は一瞬見とれてしまった。
「邪魔をした」
 この声、ファブールで聞いたことがある。ということは……
「君はカイン?」
「……ああ」
 竜の兜の下にこんな素顔が隠されていたなんて。僕は心底驚き、咄嗟に、傾国の美青年の歌を思い出した。一国の王が妻の弟に恋慕して政を怠り、ひいては国を滅ぼしてしまった、そんな古い古い異国の歌を。

 彼がこんな時間に樹上で何をしていたか、気にならないといえば嘘になるけれど、僕は、やはり竜騎士は高いところが好きなんだな、くらいに考えて、彼を問い質すようなことはしなかった。昼間の態度からもわかる。彼は口が重く、親しみをもって人と接することが苦手なようだ。だからここは、話しかけたりせず僕が退(ひ)くのが正解だろう。
「僕のほうこそ」
 うるさかったろ、と僕は立ち上がり、敢えて彼と目を合わせず、尻に付いた土を払い落とした。嫌味に聞こえないように言えたはずだが、彼の応えはまたもや僕の想定外だった。

「続けてくれ」 
「え?」
「レクイエムだろう? 続けてくれ」
 彼は噴水に寄り縁石に腰掛け、立てた片膝に頬を乗せ、水面を指でなぞり始めた。
 断る理由は何もない。僕は再び樹の根に腰を下ろし、二人の御魂を、この戦いで失われた多くの魂を鎮める歌を歌った。

 歌い終えると、彼は控えめな拍手をくれた。
「……偉そうに聞こえたらすまない」
 僕と目を合わせず、雫を垂らした指で石の上に何やらいたずらに書きながら、彼はそう前置きした。
「きれいな歌だ。いい声だ」
 僕は礼を言おうとしたが、「だが」と彼が言葉を続けようとしたので口を噤み、その続きに密かな期待を持った。
「途中からはレクイエムというより……愛の歌のようだった」
「そうだよ」
 自分の言葉に自信が無かったのか、彼は、あっさりと肯定した僕を、少し驚いたように見つめてきた。月明かりだけでもよくわかる、なんて鮮やかな青い眸。
「アンナ、僕の死んだ恋人。彼女を想うとき、僕の心は悼みだけじゃなく、感謝と愛に満ちている。でもあくまで鎮魂の歌だから、それはぼかしてあるんだ」
「……なるほど」

 彼女を想うと、いまでも泣きたくなる。鈴が鳴るような美しい声、僕に向けられるやさしい笑顔、いだいた身体の温かさ。何もかも恋しくてたまらない。もう二度と会えないと思えば、涙が止まらない。
 でも、涙に暮れるだけじゃだめだと、稚い緑の眸が教えてくれた。非力な僕でも力になりうると、廉直な暗黒の騎士が教えてくれた。
 勇気を出して!
 アンナの声が胸に響く。
 誰もが剣の達人というわけじゃない。強靭な肉体を持つわけじゃない。僕は僕にできることを懸命にやればいいのだ。僕の勇気を、皆の力を借りて、僕は自分で見つけた。気後れすることなど何もないのだ。

「いままで誰にも気づいてもらえなかったから、うれしいよ」
「そうなのか」
 俯いた彼の口許が微かに緩んだ。
 
 彼ほど容色に恵まれていれば、言い寄る者も多いだろう。愛し愛され、恋多き日々を送ってきたのかもしれない。だから、鎮魂の歌に秘められた慕情にも気づいたのだろう。

「さぞかしモテたんだろうね」
 その場の空気を少し軽くしたくて、僕はわざと茶化すように言った。彼が応えてくれないなら、それはそれでかまわない。今度こそ、ご清聴ありがとうございました、と言って去るのみだ。

「ああ。家の前は常に行列ができていた」
「……」
 しれっと言ってのける彼に僕は唖然としたが、ややあって、それが冗談だと気づいた。口数は少ないけれど、陰気でつまらない男じゃないようだ。
 だが、時機を逃した僕は、いまさら笑っていいのかこのまま感心したそぶりを続けたほうがいいのか迷ってしまい、そうこうしているうちに変な沈黙が流れ、軽くしようとした空気は気まずいものになってしまった。
 彼は俯いたままうっすらと頬を染めた。長い睫毛、彫刻のように整った横顔。つくづく絵になる男だ。

「照れてるのかい?」
 今度は率直に思ったことを口にした。
「さ、さっきのは、冗談だからな!」
 さらに紅くなった顔をぷいと背けて立ち上がり、彼は噴水を一跨ぎに跳び越えて行った。
「わかってるよ!」
 僕は笑いながら、駆けて行く彼の背中に向けて叫んだ。彼はそのまま振り返ることなく建物の中に消えてしまった。

 いい夜になった。交流とも呼べないささやかなやりとりでも僕は満足だった。
 彼はセシルの親友でローザの幼馴染なのだ。いい奴で当たり前だ。洗脳され、利用されたのも弱い面を持っているからで、見目麗しいバロンの誇る竜騎士といえ、完璧で近寄り難い人物というわけではないのだ。

 好奇心に駆られカインが腰掛けていた縁石まで寄り、彼が水で書いた落書きの跡に目を凝らした。乾きかけていたそれは、「愛」と「殺」に読めて、僕は、彼の抱える葛藤に触れた気がして、胸を締め付けられるような切なさと息苦しさを憶えた。これが「殺」でなく「死」なら、僕もこれほど動揺はしなかっただろうに。

 愛する人を殺す
 愛されないなら殺してやる
 殺したいほど愛している
 愛しているなら殺してくれ
 ……
 
 いくつか思い浮かべてみたけれど、どれが正解かはわからない。どれも僕がこれまで持ち得なかった感情で、歌にすることはもちろん、想像すら難しい。
 竪琴をポロンとかき鳴らす。高くなった月を見上げながらしばらく弦を玩んでみたけれど、旋律は何も浮かんでこなかった。
 彼のことをよく知らないくせに、その感情を想像もできないくせに、ある考えが僕を捉えて放さない。
 彼はいつか自ら手を下した相手のために、あの鎮魂の歌を歌うだろう。













----------------------------

 初対面だからギルに勘違いや思い違いがあり








2010/08/19

BACK | NEXT |