可愛いライバル

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 ゴルベーザの背中が不穏な空気を醸し出していることに気づき、カインはそっと忍び寄った。彼は少し腰を屈め、低い棚に置かれた商品に手をかけている。大きな身体が陰になって見えないが、どうやら誰かと話をしているらしい。
 彼の低い声が響く。
「おい」
「……」
「手を離せ。私が先だ」
 彼との距離が縮まるにつれ聞こえてくる会話に揉め事の予感がしてカインは顔をしかめる。相手の顔を見ようと一歩左に回りこみ、首を伸ばす。そこに一人の女の子の姿を見て、今度は顔から火が出そうになった。

「振り払うことは簡単だが、それはしない。おまえが手を離すのだ」
「……」
「言葉はわかるな。離せ、と言っているのだ」
「……」
「口が利けんのか。聞こえなくとも、わかるだろう」
「……」
「子ども相手に何やってんだよ……」
 カインはゴルベーザの傍に寄り、ほとほと呆れ果てた様子でため息をつき、彼の腕を突付いた。きょろきょろと辺りを見回す。子どもの親と思しき人物は見当たらず客は自分たちだけで、店主もこちらに目を向けていない。
 カインは声を潜めてゴルベーザに詰め寄った。
「こんなときは、子どもに譲るのが当たり前だろ」
「子どもを甘やかしては、ろくなことがない」
「……大人を甘やかしてるくせに」
 弟、それも一国の王に対する態度をため息混じりで皮肉った。それにしても、セオドアに対する溺愛ぶりから子ども好きだと思っていたのに、単なる伯父バカだったのか。それとも、このくらいの歳の子は対象外なのだろうか。
 ゴルベーザと女の子は、棚に一つ残された菓子の箱を手にかけ睨み合っている。
 たいした度胸だ。
 年の頃なら双子の魔道士と同じかそれより少し上か。金の巻き毛に大きな青い眸。可憐な容姿とは裏腹に、大人でもその威圧感の前では怖気づいてしまうゴルベーザを相手に一歩も引かない子どもの様子に、カインは舌を巻いた。
「強情な子だ」
「どっちが。大人げない」
 再びため息をついて屈みこみ、カインは子どもと同じ高さに目線を合わせた。自分も決して得意ではないが、それでも彼よりはましだろう。
 カインは咳払いをしてから精一杯の愛想笑いを浮かべ、自分でも気持ちが悪くなるようなやさしい声を出した。
「ごめんな。怖かっただろ」
「怖いとは何だ」
「……」
 子どもの目を間近で見てカインは気づいた。これは、睨んでいるのではなく怯えているのだ。強情なのでなく身体が竦んで動けないのだ。まずい。泣かれたら困る。
 まったく、子どもを脅かしてどうするんだ……
 カインは件の菓子をひったくるように奪い取り、子どもの胸に押し付け、拳を握ったままの小さな手を取り箱を抱えさせた。
「おい、カイン」
「後で倉庫から出してもらえばいい」
「在庫切れかもしれんぞ」
「今度来たときに買えばいいだろ」
 彼の顔も見ずに素っ気無く応え、子どもの顔を下から覗き込み、唇がむずむずするのを堪え飛びっきりの笑顔を浮かべた。
「君のものだ。さあ」
「……」
 不満も露わに眉を寄せ腕を組み仁王立ちしているゴルベーザが、さらに低い声を出す。
「こら、礼を言わんか」
「……」
「親はどこだ。どういう躾をしているのだ」
「ちょっと黙ってて」
「……」
 視線をゴルベーザに据えたまま一言も発せずにこりともしない子どもにカインもこれ以上どう接していいのかわからず困り果て、首を傾げ笑顔を強張らせたまま、子どもに添えていた手をゆっくりと離した。

「きゃあ!」
 突然、子どもが叫び後ずさった。驚いて振り返り彼女の視線の先に目をやると、そこに、何かの欠片を咥えた一匹の鼠が棚の下から這い出てきた。
 大丈夫だ、とカインが子どもを宥めるよりも早く、ゴルベーザが目にも止まらぬ速さで鼠に弱いサンダーを放った。脳天を射抜かれた鼠は全身の毛を逆立て、ぱたりと倒れ動かなくなった。
「さすが……」
 久々に間近で見たゴルベーザの魔法にカインは見惚れた。彼が優れた魔道士であるのは、繰り出す魔法の強大さだけでなく、対象に応じて強弱や範囲を瞬時に自在に操ることができるからだとカインは考えていた。いまももう少し威力が強かったら、床板は破損し、鼠の毛や肉が焦げる臭いが狭い店の中に漂い、不快なことこの上なかっただろう。

「す、すごい……」
 子どもが初めて声を発した。彼女の目は驚愕で見開かれ、続いて憧憬の目がゴルベーザに向けられる。さすがにミシディアの子どもだけあって、ごく小さな対象に速く正確に魔法を放つことがいかに難しいかが理解できるらしい。
 この騒ぎに店主が、すみません、と駆け寄ってきた。
「早く片付けろ」
 ゴルベーザに何度も頭を下げながら、店主は鼠の屍骸を金バサミで掴み袋に入れた。
 いまが好機とばかりにカインは左手の掌を上にしてゴルベーザを指し示し、子どもに同調して、昂奮を抑えきれない様子を装った。
「な。このおじさんはこう見えてすごい魔道士なんだ。君も頑張って修行すれば、なれるよ」
 子どもを魔道士見習いと勝手に決め付け適当な言葉で励ますと、彼女は目を輝かせ、はい、と大きく頷いたので、カインも会心の笑みを浮かべた。

「レオちゃーん! 決めたの? 早くしなさい」
「はーい」
 こちらからは姿が見えないが、母親らしい女性が店の扉を少し開け外から声をかけた。子どもは母親に返事をしてカインに向き直り、頭をちょこんと下げた。
「あ、ありがとうございます。お、お兄さん、私、がんばります!」
 彼女は、はにかむように微笑んで小首を傾げ、カインの背後に立つゴルベーザをちらりと見遣り、頬を染めてまた俯いた。
「おじさーん、ここに置いておくね」
 彼女ははしっかりと握っていた小銭をカウンターに置き、一つに結わえた髪を揺らし、菓子の箱を抱え足取りも軽く店を出て行った。
 よかった、と安堵の息をつき笑顔で彼女を見送るカインの耳に、背後からゴルベーザと店主のやりとりが聞こえてくる。

「この一列全部だ」
「そ、そんな無茶な……」
「鼠の駆除代だと思え」
「そ、そんなあ……割に合いませんよ」
「では、二列とどちらがいいか選べ」
「滅茶苦茶だあ……」
「品数も充分に揃えていないくせに、何を言うか」

 何やってるんだ……
 カインは片手で顔を覆い今日何度目かのため息をつき、何も聞かなかったことにして、そっと店の扉を開けた。

「あ、ちょっと! お連れの方! 何とかしてくださいよ、この人!」
「おい、鼠屋。客は私だ」
「鼠屋、って……あんまりですよお……」
 救いを求めるような店主の声も聞こえないふりをして、二度と一緒にこの店には来ない、と心に決め、カインは扉を押し開け店を出た。







2009/08/17
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