・ゴルカイ同棲ネタ
・ゴルさんに異変が起き……
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どいてくれ、と人の波を掻き分けながら輪の中心へと急ぐ。何十人もの人だかりの中、やっとたどり着いた先で目にした光景に、セシルとカインは言葉を失った。
そこには申し訳程度の布だけを纏ったゴルベーザが放心したように座り込んでいた。
バロン王の兄らしき人物が試練の山近くの森で行き倒れている、との報せが城に入り、セシルは慌ててカインを呼び寄せた。
確かにこの数日間ゴルベーザは不在だがこの世で無敵の魔道士である彼にそんなことなどあるはずがないと言い張るカインを宥め、とにかく行ってみようと、二人
は半信半疑のままミシディアに向かったのだった。
「兄さん!」
「……」
慌てて駆け寄ったセシルが身体を揺すっても、ゴルベーザの目は虚ろで何も映していないようだ。
「ゴル――セオドール……」
「……」
衆人環視の中であるため呼び方に気を配ったカインの声にも反応を示さない。セシルとカインは顔を見合わせ困惑の表情を浮かべた。
「この姿はいったい……」
「月でこんな恰好をしていたが……」
そうなのか、とセシルは頷いたが、それで疑問が晴れるわけでもない。
呆然としていたゴルベーザが何か言いたげに唇を歪めたので、二人はいっそう彼に寄り添った。
「兄さん! 大丈夫?!」
「……うう」
ゴルベーザは苦悶の呻きを漏らしながら救いを求めるように両腕を伸ばし、セシルをしっかりと抱き寄せた。
「兄さん……」
肉親なのだから当たり前だとわかっていても、自分ではなく弟を抱き締めたことは、カインには少なからずショックな出来事だった。
「記憶喪失ですな」
「記憶喪失!?」
「記憶喪失!?」
医師の診断に、セシルとカインは声を揃え鸚鵡返しにした。白髪の医師は眼鏡の奥で眉を顰め、首を捻る。
「原因がわかりませんので、しばらく様子を見るしかありません」
「記憶喪失って、強いショックを与えれば治ると聞いたことがあるが」
「俗言ですな。お兄上様に効果があるとは申し上げられません」
「白魔法はどうですか。ロー、王妃なら――」
カインの言葉を最後まで聞かず、医師は首を横に振りながら応える。
「既に試しました。この国で王妃に次ぐ白魔道士でしたが、無駄でした。おそらく王妃でも……」
そうか、とカインは嘆息し肩を落とした。
「記憶がどこまで退行しているか、問診を重ねなければわかりません。くれぐれも刺激しないように、話を合わせてください」
「わ、わかった」
「……」
医師が面会に際しての注意事項をセシルのほうばかり見て告げることも、侍医なのだから仕方がないと頭で理解していても、カインにはどうにも不快だった。
精密検査を受けるためゴルベーザは城内の診療棟にしばらく入院することになり、セシルとカインは彼を見舞うため、そこで最も豪華な病室の扉を少し緊張しなが
らゆっくりと開けた。
「母さん!」
「え……」
ベッドの上で身体を起こしていたゴルベーザは、セシルを見るなりはしゃいだ声を上げた。
「どこ行ってたんだよ。ここ、どこ?」
あまりの出来事に二人は入口で固まってしまい、すぐにゴルベーザに応えることができなかった。彼に一旦背を向け、小声でひそひそと話し合う。
「おまえのこと、母親だと思ってるみたいだな」
「子どものときまで退行してるのか……」
「……ドクターが言ったとおり、話を合わせないと」
「え! 僕が母さんをか! 無理だって」
「仕方ないだろう。腹を括れよ」
ねえ、とゴルベーザが甘えた声を出したので、セシルは顔を引き攣らせながら振り返った。ゴルベーザがセシルの腹を指差す。
「ねえ、赤ちゃんは? 生まれたの? おなか、ぺっちゃんこ」
「え……」
セシルは咄嗟に自分の腹を押さえ、困惑の表情を浮かべたが、カインは背後からセシルの腰を突付き、彼の耳許で声を潜め「セオドア」と言った。
「……あ、ああ。明日、連れてくる……わ」
「生まれたの! やったー!」
両手の拳を握り、よろこびを身体いっぱいに表すゴルベーザの仕種は子どものそれと同じだが、微笑ましいと思えるはずもなく、カインは眉を顰めながらベッドに
寄って跪き、自分のものより薄い青の眸をじっと見上げた。
「お、俺のこと、わかるか」
ゴルベーザは眉を寄せ小首を傾げた。
「お兄さん、誰?」
「……」
予想はしていたが、心のどこかで「自分は特別な存在なので、憶えている」と淡い期待を抱いていたので、事実を突きつけられ、カインはがっくりと項垂れた。セ
シルがカインの傍に寄り、肩に手を置く。
「か、彼は僕……か、母さんの友だちのカイン……よ」
そうなんだ、とゴルベーザが大きく頷く。
「こんにちは。僕、セオドールです」
「……やあ、こんにちは」
大きな図体の男が低い声で子ども言葉を話す違和感と気味悪さよりも、自分をわからないことのほうがショックで、カインは頬を引き攣らせ、自分を見つめる眸か
ら目を逸らせた。
その夜、無用だという医師の言葉を押し切って、カインはゴルベーザに付き添った。
暗闇の中わずかな灯りに照らされた彼の寝顔をじっと見つめる。
眠っている顔は毎夜見慣れた顔と同じだった。そっと頬を撫でる。無精髭が伸び、指先をちくちくと刺激する。明日の朝「髭を剃ってやる」と言えば、自分が子ど
もだと思いこんでいる彼はどんな顔をするだろうか。いっそ鏡を見せてやればどんな反応をするだろうか。もっとも、それは医師から固く禁じられているのだが。
どうしたんだよ。何があったんだよ……
シーツに投げ出されていた彼の手を取り指を絡めて繋ぎ、顔を寄せてそっと唇を合わせる。口付けても応えてくれない寂しさに、抱き返してくれない腕の逞しさ
に、泣きたくなるような気持ちを堪えて広い胸に頭を預け、明日には事態が好転していることを願って、カインは目を閉じた。
「わあ、可愛い! 弟だね! 僕、弟が欲しかったんだ!」
翌朝、ゴルベーザはローザに抱かれ淡い水色の服を着たセオドアを見て歓喜の声を上げた。義兄の異変に彼女も一瞬目を見張ったが、夫に聞いていたからだろう、
すぐにこやかな笑みを浮かべた。
ゴルベーザが両腕を差し出したので、ローザは慎重に息子を手渡した。
身体が憶えているのか、セオドアを抱くゴルベーザの手つきには危なっかしいところはひとつもなく、夫婦を安堵させた。
カインがぽつりと呟く。
「生まれたての赤ん坊がこんなにでかいわけないのにな」
「わからないんだろう。十歳の子どもだから」
ゴルベーザは「お兄ちゃんでちゅよ」とセオドアを高く抱き上げた。何もわからないセオドアは、いつものように伯父にあやされているものと思い、きゃっきゃと
喜んでいる。
カインはセシルを横目で見た。昨日とは一転し口許に笑みさえ浮かべてゴルベーザとセオドアを見つめる彼は、きっと息子に自分を重ねているのだろう。あの不幸
な出来事さえなければ、自分が赤ん坊のときもこうして兄に愛され可愛がられ、しあわせで穏やかな日々を過ごしていただろう、と思い描いているに違いない。
こんなゴルベーザを目前にして、セシルと自分の決定的に違うところはそこだ、とカインは確信し、みっともないと自覚しつつ苛立ちを抑えられなかった。
「あやすの、上手ね」
セオドアを右腕に抱き直し、ゴルベーザは声をかけてきたローザに得意げな笑顔を向けた。
「おばさんも母さんの友だち?」
「……」
ローザはセシルを肘で突付き、眉間に皺を寄せて声を潜めた。
「カインはお兄さんで、どうして私はおばさんなのよ」
「そ、それは、ほら、子ども産んでるから……」
フォローになっているようでなっていない夫の慰めに、ローザは唇をわずかに尖らせたが、すぐに義兄に笑顔を向けやさしく話しかけた。
「そうよ。赤ちゃんの世話をお手伝いしているの」
「そうなんだ。ありがとうございます」
ゴルベーザはぺこりと頭を下げた。
「礼儀正しくていい子だったのね……」
ため息混じりに呟いたローザにも、カインは冷たい視線を寄越した。
いつまでこんな状態が続くんだ。もう我慢できない。
カインはマントを翻し、無言のまま扉に手をかけた。
「カイン? どこに行くんだ?」
「すぐ戻る」
「おい、カイン!」
セシルの呼びかけに振り返りもせず部屋を出たカインは、飛空艇の駐機場へ向けて駆け出した。
程なく戻ってきたカインの左手にはフライパンが握られていた。セシルとローザが驚愕の目でカインを見つめる。
「カイン……ま、まさか……」
「カイン! 早まらないで!」
「もう我慢できない。ダメでもともとだ」
「ま、まだ二日目じゃないか。焦り過ぎだ。もっと気長に――」
「うるさい! おまえに俺の気持ちがわかるか!」
セシルの説得にも応じずカインは、セオドアと遊び疲れて眠っているゴルベーザのベッドまで歩み寄った。
「お、落ち着け。もし打ち所が悪かったら――」
「ヤンだってこれで治っただろ。あ、これはもちろん俺が家で使ってるやつだ」
「わ、わかった。じゃあ、ヤンのおかみさん、じゃなくてファブール王妃に使い方を訊いてからにしよう」
「使い方?」
「そ、そうだ。力の入れ加減とか頭のどのあたりとか、コツがあるかもしれないだろ?」
「そうよ、カイン。やるなら一発で決めなきゃ」
「ちょ、ローザ……」
いや、とカインは首を横に振り、フライパンの柄を両手でしっかりと握りなおした。
「ヤンのおかみさんにできて俺にできないはずがない」
「カイン!」
「必要なのは愛情だよ、って言うさ、彼女も!」
「ま、待て! カイン!」
ローザの悲鳴が響く中、カインは眠っているゴルベーザの頭にフライパンを力任せに振り下ろした。
「痛む?」
いや、とゴルベーザは短く答え、最後の一匙を口に入れた。ナプキンで口許を拭い、空の食器が乗ったトレイをカインに差し出す。
「大げさなのだ。あの医者が」
ゴルベーザは包帯でぐるぐる捲きにされた頭に手をやり、患部をそっと押さえた。
「結構腫れてたから……」
「余程憎らしかったのだろう」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
カインはばつが悪そうに俯き、下唇を緩く噛んだ。
カインに殴られ意識を失ったゴルベーザは、目覚めと同時に記憶も取り戻した。記憶を失っていた間のことも、自分の身に何が起きたのかも憶えておらず、結局真
相は何もわからずじまいだったが、大事を取って、病室にもう一泊することになった。
「外見ごと幼くなるならともかく、中身だけっていうのは結構きつ、いや、気持ち悪っ、いや、不気味だった」
「ひどいな、おまえ……」
「まあ元に戻ったからいいけど、原因はわからないままだしスッキリしないな」
カインは小さなため息をついて肩をすくめ、受け取ったトレイを給仕用のワゴンの上に置いた。
「私の想像だが」
ゴルベーザは一旦言葉を切り、両腕をカインに向けて広げた。ベッドの傍に寄ると腰を抱き寄せられたので、カインは包帯を避けて銀の髪を撫で、広い肩に手を置
いた。
「試練の山で、父が私に子ども時代の記憶を新たに植えようとしたのではないか」
え、と首を傾げるカインに構わず、ゴルベーザは言葉を続けた。
「その途中で失敗したか、中断せざるを得ない事態が起こったか。それであんなところに放り出されてしまったのだろう」
想像に過ぎんがな、とゴルベーザは息を吐くだけの笑いを漏らし、抱いていた腕をさらに引き寄せカインの胸に頭を預けた。
「そんなことをされては困る、と私が拒絶したのかもしれん」
「……それって……」
「おまえと過ごした日々の記憶まで改竄されてしまっては困るだろう」
「……うん」
彼がゴルベーザであったからこそ二人は邂逅した。他者に操られるという不名誉で不幸な過去を記憶の外に追い遣るのではなく受け容れることができるのも、いま
が穏かでしあわせだからだろう。
銀の髪を指先で弄びながらカインは、記憶を失っていた間もう少しやさしくしてやればよかったと、ほんの少し後悔して、それを詫びるように、ガーゼが何重にも
貼られた患部にそっと唇を落とした。
おしまい
11/2/21〜16/5/6