拍手御礼

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11

 主はこのところバロンから足が遠のき、めったなことではお越しにならない。それは、カイナッツォ様に統治の全権を委ねられたからだ、と言えば側近として誇らしくもあるが、実際は、手中に収め邪魔立てする者もいなくなった一国に主が長期に渡って滞在する理由などなく、それよりも、本拠であるこのゾットの塔で世界全体を統括されることが重要であるからだろう。
 カイナッツォ様はバロン王に変化していてあまり自由の利く身ではないので、さして重要でもないと思われることを伝えるときは、こうして私を呼びつけられる。
 前回見参したとき、主の不興を買ったのではないかと恐れおののいていた私に、鷹揚で泰然とした主は職務以外のことは何も仰らなかった。私は胸を撫で下ろし、主に深い感謝を捧げさらなる忠誠を誓った。
 それでも、ここに来ることは正直気乗りしないが、そうも言っていられない。
 どこか重い気持ちを抱え俯いたままエレベーターに乗り込むと、その気乗りしない理由の張本人と出くわしてしまった。

「おや、お久しぶりですね」
 私は動揺を悟られぬよう、何も思うところはないと見せつけるように、自分から話しかけた。
 以前の見慣れたものよりも凝った細工が施してある竜の兜を被った青年は、唇の端をわずかに上げて、ごくろうさま、と私に労いの言葉をかけた。彼の余裕に満ちた態度に、自分の小心を思い知らされるようで、私は密かに苛立った。
 彼は主の信頼と寵を一身に受け、いまや四天王に勝るとも劣らぬ立場にある。もう昔のように接することはできない。もしいま彼の機嫌を損ねたとしても、彼がそれを逐一主に告げるような男でないことはわかっていたので、今後のために、私は自分の不快をひた隠し、彼にとっては忌まわしいことかもしれない例の件を謝罪し、友好を示すことにした。
「いつぞやは申し訳ないことをしました。私としたことが、年端もいかない若造のよう――」
「なんのことだ」
 言葉の続きを遮られ、私は驚きとともに彼を見た。竜の兜に覆われた彼の表情は変わらない。あのときの彼の反応、憶えていないはずがない。とぼけているのか。無かったことにしようという暗黙の訴えか。あるいは、主があの不思議な力で何らかの術をかけ、彼の記憶を抜いてしまったのか。
 呆然とする私に、彼がぼそりと言い放った。
「バロンでの俺は、捨てた。それだけだ」
「……」
 彼の言葉に私は、ほっとしたような物寂しいような想いに駆られた。彼に、いや彼らにとって私は取るに足りない路傍の石で、何ら気に留める存在ではないのだ。彼にとっては主がすべてで、他の者に煩わされることすらないのだろう。
 真新しい見事な甲冑を身に着けた目の前の青年は、相変わらず一分の隙もないように凛然としている。この取り澄ました彼の、いまや主だけが知る一面を一瞬でも垣間見られたことは私の密やかな幸甚で、彼がそれを自らの記憶から抹殺しても、消えない事実としていつまでも私の胸を焦がすだろう。
 私は落ち着きを取り戻し、静かに息を吐き、彼に尋ねた。
「いま、しあわせなのですね」
 彼は顔を背け俯き、ややあって小さく頷いた。それはほとんど見逃してしまいそうな微かな頷きだった。
「私も、自分があの方のお役に立っていることに、しあわせを感じていますよ」
 彼は顔を上げ私をじっと見つめてきた。兜の向こうの、空と同じ色の青い眸。それをさらに鮮やかに思い出すために、私はそっと目を閉じた。
 エレベーターの到着を報せる澄んだ音が鳴った。私は、お先に、と彼に会釈をしてエレベーターを降り、足取りも軽く、主の待つ司令室へ向かった。









08/12/21〜09/02/20
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