拍手御礼

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08

 戻りましょう、というカインの声も聞こえていないかのように、ゴルベーザはうろうろと、もう住人はとっくに逃げてしまった民家の扉を開けたり、垣根に沿って並んだ樽の隙間を足で広げたり、井戸の端に置かれた甕(かめ)を覗き込んだりしている。
 ここは国境にほど近い田舎の小さな村。関所を兼ねた城砦を造る目的で、村の明渡しを求めるために訪れたのだが、交渉をするまでもなく、村長をはじめ村人たちは、着陸態勢に入った飛空艇を見るなり早々に逃げ出してしまった。


「何かお探しですか」
 貧しい村に宝などあるはずもない。もっとも、主の興味はそんなものに向いていないことをカインはとっくに承知していた。 
 茂みを足で掻き分けていたゴルベーザは、カインの方を振り返りもせず、答えた。
「聞こえぬか」
「え」
 主の言葉にカインは耳をそばだてた。ひゅうひゅうと風の音、かさかさと草の鳴る音。彼が指しているのは、もちろんそんなものではないだろう。
「特に、何も……」
 顔を上げたゴルベーザは、ふいと方向を変え、粗末な小屋に向かった。小屋の裏側に周り、立て掛けられた農機具の一つを退かせると、彼は屈みこんで、またすぐ立ち上がり、カインの方に向き直った。
 ゴルベーザが掌の上に乗せているものを見てカインは、またか、と主に気付かれぬよう嘆息した。
「腹を空かせているようだ」
 掌に乗せた魔物の赤子が、主の革手袋の指先をちゅうちゅうと吸っている。猫に似た魔物の銀色の額を撫でながらゴルベーザは、よしよし、とまさに猫撫で声であやし始めた。
 嫌な予感がふつふつと沸き上がる。
「……どうされますか」
「クーと生き別れの兄弟だとしたら、おもしろいと思わんか」
「はあ……」
 全然おもしろくない。
 自分のわずかな表情の変化をも読み取ってしまう主に顔を見られないように、カインは片手で口を覆い咳払いをしながら心の中で呟いた。
 ゾットの塔には既に一匹のクアールの赤子がいる。今ごろ我が物顔でカインの自室のベッドに横たわっていることだろう。最近になって排泄と爪研ぎの場所を憶え、ようやくカインの言うことを聞くようになったが、油断すると、すぐ小ばかにした態度を取るクアールの赤子クーを相手に、カインは日々悪戦苦闘していた。
 もしこの拾い上げた赤子の世話を言い渡されたとしても断固拒否しよう、それによって損ねた主の機嫌は、他にどんな無理難題を言われてもそれをこなすことで取り戻そうと、カインは心に決めた。
「遊び相手がいると、おまえの負担も軽くなるだろう」
「……仲良く遊ぶとは限らないと思います」
 同意しないカインを訝って、ゴルベーザは視線をクアールの赤子からカインに移した。カインは怯むことなく毅然と言葉を続けた。
「もし飼われるのでしたら、世話は他の者にお願いします。正直に申し上げて、二匹の世話は私の手に余ります」
 カインの決死の訴えに何か応えるわけでもなく、ゴルベーザは再び視線を赤子に戻し、ふわふわとした銀の毛を掻き分けた。
「見てみろ。飼われていたようだな。人馴れしている」
 赤子の首には青いリボンが巻かれていた。
 なるほど、カインが視線を注いでも、この赤子は、初めて会った日のクーのようにカインを敵視せず、黒目がちの大きな目をまっすぐカインに向け、みゃあみゃあと甘えた声をあげている。
「……そ、それでも無理です」
「無理か……」
 ゴルベーザは両手で赤子を掴みカインの顔の前に差し出し、赤子の背後から前肢を操って、肢の裏をカインの両頬にぺたりとつけた。
「無理か?」
 頬から顎のラインを、主が操る赤子の前肢で撫でられ、ぺたぺたと触れられる。肉球のなんともいえない感触に、背中にぞくぞくとしたものが走り、カインは小刻みに震える両手の指を握ったり伸ばしたりしていたが、ゴルベーザの目前であるにもかかわらず、ああ、と苛立った声をあげて、慌しく革手袋を外した。
「無理か?」
 ゴルベーザがもう一度、同じ問いを繰り返す。
「む、無理じゃないです! みます! 全部まとめて私が面倒みますから! アーでもルーでも、何でも!」
 そういうやいなやカインは手を伸ばし、赤子の後肢の肉球をぐにぐにと触り、自ら顎を突き出し顔を振って、肉球が肌に吸い付く感触にうっとりと目を閉じた。
「『アー』は紛らわしいな。『アール』にしよう」
 なにと紛らわしいのか訊き返すことよりも、決意をあっさりと覆したことを恥じるよりも、いまは、肉球の弾力を存分に味わうことが優先だった。
 おまえも好きだな、と勝ち誇ったように笑うゴルベーザのからかいもどこか遠くに聞こえるほど、カインは、昂奮が過ぎて握りつぶしてしまいたくなる衝動を何とか抑えながら、頬と指に触れる肉球の柔らかな感触に耽溺した。









08/10/21〜08/12/20
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