召喚士の村

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後編

 前を歩くゴルベーザの黒いマントが風に煽られ翻るのをぼんやりと眺めながら、カインは口を開いた。
「どういう風の吹き回しなんだ。迎えに来るなんて言ってなかったし」
「そのつもりだったが、見ておきたいところがあってな」
 少し歩くぞ、とゴルベーザは飛空艇の前を通り過ぎ、村を挟むようにそびえる岩壁の、かろうじて足をかけられる場所を探し始めた。カインも黙ったままそれに続く。
 行く手を阻む岩を魔法で打ち砕き、人一人やっと通れるような細い道を作りながら緩い勾配を二人は無言のまま上っていく。
 ゴルベーザは高さのある大きな岩を長い脚で一跨ぎに登り、カインに手を差し伸べた。跳躍が本業のカインには助けなど借りずとも容易く飛び乗れる高さだったが、それはゴルベーザも重々承知の上のことだろうと思い至り、少しはにかんで俯き、彼の手を借りて岩を登った。
 手を繋いだまま道のない狭い岩場を彼のあとについて歩き進める。屋外で手を繋ぐことも手を繋いで歩くことも初めてで、彼の大きな手を握りながら、異性に初めて触れた思春期の少年のように胸がどうしようもなく高鳴ることにカインは戸惑った。繋いだ手の指先から胸の震えが伝わるのではないかと思えば気恥ずかしさも増す。
 カインが頬に含羞の色を浮かべ俯きがちに歩くのを知って知らずか、ゴルベーザはただ黙々と歩みを進め、村の裏手の山肌の、少し開けた岩場で立ち止まった。

「おまえ一人なら、中から跳んで、早かっただろうが」
「中」とは村の中のことだろう。カインは眼下の村に目を向けた。落石防止の柵を兼ねて山際に植えられた木々はまだ若く、心地良い木陰を作るには枝葉が足りないようだ。木々が囲むように設けられた一画に、磨き込まれた四角い石の数々と花輪が見える。それらは新たに移された墓で、あの中の一つはリディアの母のものだろう。ここに足が向かなかった理由を見せつけられ、カインは目を伏せ、胸の中で手を合わせた。
「村は以前より低くなったようだな。地層が随分変わった」
 ゴルベーザの言葉にカインは顔を上げて応える。
「隆起した地面を造成することがいちばん大変だった、とセシルが――」
「そうらしいな」
 聞いていたのか、とカインは声に出さず呟いた。

 弟が言いたがるのか、兄が聞きたがるのか。
 いずれにせよ、カイン自身はミストはおろかダムシアンのこともファブールのことも話題に出さないように努めていただけに、兄弟間でミストの復興について話をしていることは心外だった。それは彼らの絆の深さを物語っているようで、疎外感に近いものさえ憶える。
 俺は……
 頭の中に浮かんだ愚かな嫉妬を、不貞腐れた自分を恥じて、カインは首を竦め襟巻きで口許を隠した。
「どうした」
「なん……」
 何でもない、と言いかけてカインは言葉を飲み込み少し考え、舌で唇を湿らせた。
「あいつには言うんだ」
 カインは珍しく負の感情を隠さずに応えた。足りない言葉を理解したのか、ゴルベーザは何も応えず、無言のまま前方を指差す。彼が指し示した場所には何もなく、ただ大きな石がいくつか転がっているだけだった。
「兜はひしゃげ、骨は何箇所も折れ内臓も潰れ――」
 ゴルベーザが前起きなく語り始める。
 あの地震の後自分を見つけたときのことだとすぐに気づき、自分から訊こうとした話を図らずも先に語られ、カインは小さな驚きと不安に身をわずかに強張らせ、話の続きを待った。
「――生きているのが奇蹟だった」
「もし死んでいたら、捨て置いた?」
「仮定の話をしても仕方がない」
 ゴルベーザは、ふ、と笑いを漏らし顔を背けた。
「もし地震が起きなければ、村を焼き払わなければ……もし私が操られていなければ……」
「……すみませ――」
 余計なことを言ったと恐縮するあまり以前の口調に戻ってしまい、カインはいたたまれなさに語尾を濁し目を伏せた。
 繋いでいた手に力が込められる。気後れしてしまった自分を無言で慰撫する彼のやさしさに、カインは気持ちを奮い起こし顔を上げ、こちらを向いた彼と目を合わせた。
「も、もう少し聞かせて欲しい」
「もうたいして無いぞ」
 え、とカインは眉を寄せ首を傾げた。不満に思う気持ちは伝わったのだろう、彼は息を漏らしわずかに肩を竦めた。
「……泥まみれでぼろぼろだったが、装備から竜騎士だとわかった。とにかく連れ帰り、治療を施した」
「わざわざ自ら出向いて?」
「ゾットに戻る途中に地震の報せを受け、立ち寄った」
 わざわざじゃない、と意地悪く笑って付け加えた彼に応え、カインも笑いながら、照れ隠しに、下唇を緩く噛む。
「城で見かけていたからな。遠目から」
「全然気づかなかった……」
「おまえは人目を引く」
 ゴルベーザはさきほどセシルに言ったことと同じ言葉を繰り返して顔を背け、指差した場所を再び見つめた。
「もっと近くで見てみたいと思い、それが叶ったときは瀕死だったというわけだ」
 まだ二人に距離があった頃に思いを馳せているからか、ゴルベーザは顔を背けたままこちらを見ようとしない。
 カインは繋いでいた手を一旦離し、指を絡めて素早く握り直した。
 髪を撫で頬を包んでくれる大きな手、節張った長い指。自分のものとは違う体温。手を繋ぐのは、身体が離れていても温もりを伝え合うためだろうか。常に触れ合っていなければ不安に思うほど依存しているつもりはないはずなのに。

「なんとか蘇生させ、確かめたかった」
「何を?」
 珍しく彼が言葉足らずだからか、それとも自分の気持ちが逸るからか。カインは間髪を容れず問いかけた。
 気持ちが先走るカインを宥めるように、ゴルベーザは再び繋いだ手に力を込める。 
「その髪の色ならば、眸は青に違いないと」
「……俺の目と髪、好きだよな」
 それだけではない、と振り返ったゴルベーザは穏やかに微笑んで、繋いでいた手を胸許へ引き寄せ膝を少し折り、カインの手の甲に恭しく口付けた。
 思いも寄らない彼の行動にカインは狼狽し、首を竦め一歩後ずさった。羞恥に耐え切れず手を振り解こうとしたが、いつものからかいか真摯に敬愛の情を示したものか判断がつかないのに、それはあまりにも素気無いだろうと思い直し、空いている方の手の甲で口許を覆い、耳まで紅くして身を硬くした。
 ゴルベーザは唇を手の甲から手首へと滑らせ、服の上から前腕に軽く歯を立てる。
「すべて挙げてやろうか」
 彼の声音にからかいが混じっていることに気づき、、カインは口許に当てていた手を退け顎を少し上げ、負けじと応える。
「全部聞いていたら日が暮れるだろうから、遠慮する」
「……」
 ゴルベーザは呆れたようにカインをじっと見つめ、やがて堪えきれないように口許を緩めると、ふっと息を漏らした。
「確かに、ここで夜を明かすわけにはいかんな」
「そんなに……」
 素直な反応にゴルベーザは低い声を上げて笑いながらカインの手を解放し、細い腰を抱き寄せた。

「帰るか」
「用は済んだ?」
 ゴルベーザは無言で頷いた。何だったのか、と首を少し傾げ視線だけで訊ねるカインに、彼は思いも寄らない応えを返す。
「回顧と……墓参だ」
「あ……俺もさっき――」
 同調しかけたが、ある考えが過ぎり、カインはぱちぱちと瞬きをして口篭もった。
「高いところから失礼だったかな……」
「……中は人目に付く」
 そうか、とカインは小さな声で呟いた。
 この村には自分でさえなかなか足が向かなかったのだから、彼なら尚更のことだろう。リディアの心からの笑顔も彼の慙愧の念を晴らすことはできないのだろう。平凡な日常のしあわせに、ともすれば忘れてしまいそうになる忘れてはならない過去の事実は、ときに彼を苛み、ときに自分の心を曇らせる。
 俯いてしまったカインの愁いを絶つように、ゴルベーザは、腰に回した手でカインの腹を軽く叩いた。 
「例えば――」
 一旦言葉を切り、青く澄んだ空の彼方を見上げる。
「遠く月から祈ることは失礼か」
 カインは、失礼じゃない、と大きく横に首を振った。
「高い低いなどは些末なことだ」
 そうだな、とカインは大きく頷いて彼の腕の中から抜け出し数歩前に進み出た。半身で振り返り、彼に向けて笑顔で手を差し出す。
「帰ろう」
 過去を振り返ることがあっても、決して戻ることはない。前に進むことに迷いはない。たとえ月に帰る日が来たとしても、二人は何も変わりはしない。
 ああ、とゴルベーザは愛情に満ちた眼差しをカインに向け、腕を伸ばした。見つめ合い手と手を重ね指と指を絡め合う。彼の手をしっかりと握り「足許、気をつけろよ」と労わりの言葉をかけて、今度はカインが先立って、来た道を降って行った。








2010/06/20
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