召喚士の村

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前編

 ミストの村は、旧きよき時代の面影を残しつつ、狭い土地を巧く活かした無駄のない機能的な造りに生まれ変わっていて、セシルを始め復興に携わる各国の首長の尽力に感嘆せざるを得ない。
 積荷のすべてが運び出された後、いちばん最後に飛空艇を降り、カインは、美しくも素朴な家並みを見渡しながら、談笑しているセシルとリディアの許に歩み寄った。
「カイン!」
 長い緑の髪をなびかせ、リディアが満面の笑みで駆け寄りカインに飛びつく。
「会いたかった!」
「元気そうだな」
 カインも笑顔を浮かべ、首にしがみついてくる彼女の腰に腕を回した。意外に豊かな胸がためらいもなく押し付けられることをなるべく意識しないようにして、小さな子どもにするように、彼女の頭を撫でてやる。
 大人の身体に子どもの心。彼女に想いを寄せるエッジでなくとも、この無防備は何かと心配だ。セシルに顔を向けると、彼も苦笑いを浮かべて頷いた。どうやら思いは同じらしい。
「カインは相変わらずきれいね」
「……男にかける言葉じゃないぞ、それ」
「え、どうして」
 心底不思議そうに見つめてくる澄んだ緑の眸を見ていると、細かいことを言うのも無粋な気がしてきて、カインは目を細め、ありがとう、と頷いた。
 じろじろと不躾な視線を感じる。
 セシルがバロンから運んできた物資を取り囲みそれぞれの仕分けを済ませた人々が、口々に「誰」と顔を見合わせながらぞろぞろと集まってくるのを視界の端に見て、カインはリディアとの抱擁を解いた。
 人々の群れの中から、二人組の若い女が顔を赤らめ互いを肘で突付き合いながら近づいて来る。
「リディア。こちらは?」
「カインよ。セシル、バロンの王様の友だちで、私の仲間」
 リディアはカインに腕を絡めしなだれるように寄り添ってきた。カインはわずかに身を引いて胸が密着するのを避けようとしたが、彼女はそれも構わず、にこにこと見上げてくる。
 左腕にリディアをぶら下げたままではまともな口上を述べることもできず、カインは周囲を見渡しできるだけ多くの人と目を合わせ、「よろしく」と短い言葉で頭を少し下げるだけの簡単な挨拶を遣した。
 ざわざわとどよめきが起き、黄色い声がそこに交じり、みるみるうちに人垣に囲まれる。ゴルベーザの勧めに従い、顔を隠せる竜騎士の装備で来るべきだったと後悔しつつ、カインは苦し紛れの愛想笑いを振り撒いた。
 こんな風に大勢に囲まれ視線を注がれることは久々で、慣れているつもりだったがどうにも照れくさく、カインはセシルに縋るように視線を向けた。
 彼は聡く助け舟を出す。
「リディア、立ち話も何だから……」
「これは失礼いたしました、陛下。リディア、さあ」
 初老の男がセシルに頭を下げながらリディアを促す。
「カイン、こっち。私の家もセシルがきれいにしてくれたのよ」
 皆の視線を気にも留めず、リディアはカインの手を引いて、さあ、と弾むような足取りで自宅へ向かった。


「今日は、ゴルベーザは?」
 カップに三人分の紅茶を注ぎながら、リディアが尋ねる。
「……」
「誘ったんだが……」
 セシルが代わって答え、肩を竦めた。
「あ。ポロムみたいに『ゴルベーザさん』って言わなきゃだめ?」
 窺うように小首を傾げる素直なリディアに、思わず笑みがこぼれる。
「好きに呼べばいい」
「好きに、って言っても、パロムみたいに『おっさん』はだめでしょ?」
 そりゃあだめだよ、とセシルが笑い、カインも笑って付け加える。
「まあ、本人がよければいいんじゃないか」
「よければ、って、怒らないの?」
「怒るよ。毎度拳骨」
 やっぱり、とリディアは楽しそうに笑った。

 この村を訪れることはカインも正直なところ気乗りしなかったが、自分に会いたがっているというリディアを思う気持ちが勝り、今日の訪問を決めた。
 一方で、ゴルベーザはセシルの誘いを一も二もなく断り、おまえたちだけで行って来い、と留守番を決め込んだ。
 カインはゴルベーザの心中を推し量り、この村についてあれこれと思い巡らす。
 言わばミストは「出会いの場」でもある。とは言っても、ロマンチックな逸話などあるはずもなく、瓦礫の下で気を失っていたカインは、当時の詳細を知らされていなかった。
 いまさらとも思うが遠慮なく話せる間柄になったのだから、帰ったら訊いてみよう。
 わずかに胸躍る決意を胸中に秘め、芳しい紅茶の香りが鼻腔をくすぐるのを愉しんで、カインは琥珀色の液体を口に含んだ。
「カイン、どうしたの。ゴルベーザのこと、考えてるの?」
 嚥下しかけた紅茶を気道に詰まらせそうになるのを危うく逃れ、カインは大きな息とともに茶を飲み込んだ。
「な、何だ、いきなり」
「だって笑ってたもの。ここが、にっ、って」
 リディアは両手の人差し指で自分の唇の端を少し押し上げた。彼女の観察眼に感心するよりも、その勘の鋭さにカインは狼狽した。
「い、いや。美味い茶だな、と思って……」
 リディアが声を弾ませる。
「でしょ! エッジにもらったの。エブラーナのものって変わってておもしろいの」
 彼女の興味の対象が逸れたのをこれさいわいと、カインは畳み掛けるように話を繋いだ。
「そうか、エブラーナ産か。美味すぎて笑ってしまったよ。俺もエッジに頼んでみるか」
 隣で肩を震わせ笑いを噛み殺しているセシルの脚をテーブルの下で蹴り、カインは咳払いをして、取り澄ました顔で紅茶を啜った。


 憶えのあるエンジン音が戸外から聞こえてくる。カインは、まさか、と立ち上がり窓辺に寄った。少し離れた上空に、所有する銀の機体の飛空艇が着陸態勢に入っているのが見える。
 どういう風の吹き回しだろうか。突然やって来たゴルベーザの意図を量りかねカインは眉を寄せたが、それは直接尋ねることにして、セシルに顔を向け無言で訴える。彼はカインの視線の意味を正しく汲み取って頷いた。
「案内するように言うよ」
 セシルは扉を細く開けて付添いの衛兵の一人に声をかけ、兄をこの家まで案内するように指示した。

 ゴルベーザの到着を報せる衛兵の声が響くとセシルは慌てて扉を開け、兄を出迎えた。
「兄さん、ごめん。迎えに出なくて。来たときにカインが人に囲ま――」
 わかっている、とゴルベーザはセシルを遮り、顎を少ししゃくってカインを指し示す。
「常に人の目を引く。まあ、誇らしくもあるが」
 人前で何言ってるんだ。
 カインは気恥ずかしさに頬を染め、出迎えようと浮かせていた腰をどさりと下ろした。
 リディアも立ち上がり、兄弟の許に寄っていく。
「いらっしゃい」
「変わりないか」
 愛想には期待していないが、せめてリディアの前では威圧感は抑えて欲しい。カインは、はらはらと気を揉んで二人に視線を送った。
 リディアが目を丸くしながらまじまじとゴルベーザを見上げる。
「やっぱりよく似てる。それに、大きい……」
 リディアはセシルを振り返った。
「セシルももっと大きくなるの?」
「……残念ながら」
「え、どうして。兄弟でしょ」
 カインが席に着いたまま横槍を入れる。
「二十歳過ぎたら、そう伸びない」
「……おまえとこんなに差がついたのは、少なからずショックだったんだぞ」
 口を尖らせるセシルをからかって、こんなに、と親指と人差し指で二人の身長差を測る真似をすると、彼は腕を組み冷たい目で睨んできた。
 セシルとカインをよそに、ゴルベーザはリディアを見下ろし声をかける。
「身体は何ともないか」
「え?」
 リディアがきょとんと首を傾げる。
「幻獣界で過ごしていたと聞いた。身体に違和感や体調不良はないか」
 顎に軽く握った拳を当て少し思案してから、リディアは大きく頷いた。
「んー、前は頭痛がしたり関節が痛むことがあったんだけど、いまは大丈夫。元気」
「あまり行き来しないほうがいい」
「え?」
「カイン。行くぞ」
「え、もう帰っちゃうの? もっといっぱい話したいのに。ねえ、座っ――」
「迎えに来ただけなので、これで失礼する。セシル、おまえはゆっくりしていけ」
 ああ、とセシルは頷いてリディアの背中にやさしく手を当てた。リディアは不服そうに唇を尖らせたが、立ち上がったカインがマントを羽織るのを見て、二人を引き止めることを諦め、小さなため息をついた。
「また来てね。今度はもっとゆっくりしていって」
 リディアは、隣に並んだカインではなくゴルベーザの顔を見上げ、彼の腕を少し引いた。彼女のこんなところが生来の頭の良さなのだと、カインはセシルと顔を見合わせ微笑み合う。
 人懐っこくねだるように首を傾げるリディアに、ゴルベーザも穏やかな笑みを浮かべ、ああ、と応えたので、カインは、彼にしては上出来だ、と安堵の息を吐いた。







2009/11/04
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