愛しくて狂おしい

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 喉に渇きを憶え目が覚めた。隣で眠る男を気遣い、できるだけ静かに身体を起こそうとしたが、気配を感じたのか、彼は眠ったまま、まるで子猿が母猿の腹にしがみつくように長い手足を絡ませてきた。
 ゴルベーザは水を飲むことを諦め苦笑いを浮かべ、カインの背中に腕を回し金の髪に頬を寄せた。
 規則的な寝息が聞こえる。長い髪を後ろに撫でつけ額を顕わにし、少し仰のかせ寝顔を眺める。
 長い睫毛、凛々しい眉、細い鼻梁。白磁の肌、少し開いた形の良い唇。
 睡眠中という最も無防備なときでさえ、偶像のように美しい。月の明かりが差し込むだけの薄暗い部屋で一際白く艶めく頬に指を当て、ゆっくりと押し込む。滑らかな肌触りと若い肉の弾力を指先で楽しんでいると、それを嫌がり眉を寄せ、赤ん坊がむずかるような息を漏らし首を振り、指を振り払われた。起こしたかと思ったが目を覚ます様子はなく、さらに懐に入り込み頭を摺り寄せてくる。
 温もりが恋しいほど肌寒いわけではなかったが、触れ合う箇所から伝わる熱の心地よさとくすぐったさに、これも「しあわせ」と言うのだろうとゴルベーザは頬を緩め、カインの白い額にそっと口付け目を閉じた。



 何とか朝までやり過ごそうとしたけれど生理現象は己の力でどうすることもできない。カインは内心舌打ちをして薄目を開け身体を起こそうとしたが、隣で眠る男の長い手足が背後から絡みつき、起きるに起きられなかった。
 少し首を捻ればその鼻先に唇が触れそうなほど近くで、静かな寝息が聞こえる。
 大きなベッドを選んだ意味がないな。
 カインは苦笑いを浮かべ、首を少し傾げ銀の髪に頬擦りする。
 そっと抜け出そうとすればするほど、戒める腕の力は強くなる。我慢も限界に近づく。ちょっと、と囁き声を出して腹に回されている彼の腕を引き剥がすと、さらに勢いをつけて抱き締められそうになったので、致し方なく彼の腹に肘打ちを喰らわせた。
 うう、と呻き声が響き、身体が自由になる。腹を押さえて丸くなる姿に申し訳なく思うよりもとにかく排尿を済ませることが先決で、カインはベッドを降りバスルームに駆け込んだ。



 灯りの代わりに指先から放った小さな炎を頭上に浮かべ、ゴルベーザはベッドの上で胡座をかき、すっきりとした表情で寝室に戻って来たカインに、じっとりとした視線を浴びせた。静かな怒りを滾らせるゴルベーザに、カインは片手の掌を顔の前で垂直に立て、声に出さず口を、ごめん、と動かし片目を瞑った。
 思ったより軽い調子の謝罪にゴルベーザは首を横に振り、苦り切った顔で口を開く。
「水を汲んで来てくれ」
 はーい、とその場の空気の悪さをふざけてごまかすような抑揚で返事をし、カインは踵を返した。

 水の入ったグラスを受け取りそれを一気に飲み干して、ゴルベーザは大きなため息をついた。
「喉が渇いたので水を飲みに行こうとしたら、おまえがしがみついてきて行かせてくれなかった」
「あー」
「それなのに、おまえときたら……」
 鳩尾を押さえわざとらしくさすってみせると、カインは肩を竦め胸の前で片手を大きく振った。
「大げさだな。強くしてないって」
 当たり前だ、とゴルベーザは呟いて顔を背けた。過ぎたことにいつまでも恨み言を言うつもりはない。夜はまだ深い。寝るぞ、と身体を横たえ上掛を引上げようとしたところ、カインもベッドに上がり獣のように這い寄り、片手をゴルベーザの腹に当てた。
「悪かった。必死だったんだよ。水は我慢できても小便はできないだろ」
「……」
 カインは眉尻を下げ無言のまま首を少し傾げた。その情けない顔が歳不相応に見えて噴き出しそうになるのをなんとか堪え、ゴルベーザは無表情を取り繕った。
 彼が言いたくても言えない台詞はわかっている。無言の問いかけは不精なわけでも傲慢なわけでもない。ただ甘えているだけで、口にするには照れ臭く女々しいと思っているのだろう。返事の代わりに腹を擦ってくる彼の手に自分の手を重ね軽く握ってやったが、言葉を得られないことに不安を憶えたのか、カインはさらに低く身体を寄せ、上目遣いにじっと見つめてきた。
 単純でわかりやすい、と言ったことをまるで逆手に取るように、言葉少なにいろいろな表情を見せてくる。どこまでわかっているかを試されているようだとも思い、存外、それがそれほど嫌でない自分にも少し驚く。
 ゴルベーザは観念したように、ゆっくりと瞬きをして見せた。
「怒っていない」
 その言葉にカインは堪えきれない笑みを浮かべ、大きな身体の上に覆いかぶさり、下唇を舐めるような小さなキスを遣してゴルベーザの首にしがみついた。首筋に唇をつけたまま、ごめん、と囁き声で謝ってくるカインにゴルベーザは小さな笑いを漏らし、大きな手で長い髪を撫で背中を撫でた。カインも笑いながら、彼曰く「しっくりくる位置」とやらを求めて身体をずらし何度も頭を擦りつけてくる。
 彼が動くたびに長い髪が素肌をくすぐる。その体温、匂い、甘えた仕種に己が兆してくるのを感じ、自分でも呆れるほどの欲深さに彼への執着を思い知らされる。
 ゴルベーザは片手で細い腰を抱き直し、赤ん坊を寝かしつけるように背中を軽く叩いていた左手を下衣に潜り込ませ、締まった尻の丸みを撫で回した。
 カインがくすくすと声を殺して笑う。
「寝るんじゃなかった?」
 返事の代わりにまだ熱の冷め遣らぬそこに指先で触れると、カインは、また、と呆れたように笑う。
「『寝る』とは言ったが、『眠る』とは言っていない」
「……理屈っぽい」
 指をじりじりと埋め、浅いところで緩慢な抜き差しを繰り返す。カインは息を詰め長い睫毛を震わせ声を出すまいとゴルベーザの肩口に噛み付いた。ぎりぎりと歯を立てられじんわりと広がる痛みが不思議な陶酔に変わっていくことにゴルベーザは戸惑い、カインの中を撫で擦っていた指の動きを止めた。
「やめておくか」
 カインは口を離し、くっきりと歯形のついたゴルベーザの肩を撫でながら大きく息をつき、吐息交じりの声で応える。
「……心にもないことを」
 努めて冷静を装っているが、青い眸は潤み声は上擦り、腰はねだるように指の動きを追い始める。
 ゴルベーザは満足げに頷いて、再び中を探りさらに指を増やして捻じ込んだ。前触れのない愛撫の再開に、カインは短い声を上げ、すぐさまそれを悔やむように唇を噛んで喘ぎを押し殺した。
 今度は噛まれまいと首の後ろを掴み少し仰のかせ、扇情的な表情を眺めようとしたが、カインは頭を振り、肩にではなく唇にむしゃぶりついてきた。
 唇を吸い、舌を吸い、唾液を吸う。唇を吸われ、舌を吸われ、唾液を吸われる。音を立てて何度も何度も繰り返し、息を継ぐことも許されず、どちらのものともわからない唾液に塗れ舌を絡ませる。
 伸ばした舌を合わせたまま、カインが何かを呟く。
「……っと」
 顔を離し、名残惜しそうに尖らせる紅い唇を緩く噛み、掠れた喘ぎに耳を傾ける。
「ん?」
「お、奥に……っと……して……」
 忘我の境に浸り要求を素直に口にする彼が、愛しくてたまらない。瞼を小刻みに震わせ目許まで紅潮させ快楽に身を委ねる彼が、愛しくてたまらない。
 空いている手で彼の目の下の膨らみを撫で頬を撫で、紅く色づいた唇を何度も指で弾く。
 悦楽に耽る美しい顔をいつまでも眺めていたかったが己の忍耐も限界で、ゴルベーザは指をずるりと引き抜いた。カインが小さく呻く。ゴルベーザは大きな息を吐き、花のような唇を何度も啄ばみながら、己の猛りをゆっくりと沈めていった。







2009/10/26
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