愛は惜しみなく奪う

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続編

 小ぶりのグラスに無造作に挿された小さな花は、手折ったときと変わらず、可憐な姿を保っていた。
 長い口付けの余韻に浸っていたカインは、顔を上げたゴルベーザの視線の先にあるものを承知しているようで、振り返りもせず、広い胸の中で頬を上気させ青い眸を潤ませたまま微笑んだ。
「とても長持ちしています」
 思いのほか掠れた声が照れくさかったのだろう。カインは何度か咳払いをした。
「やはり生命力がすごいです。あんなと……」
 言いかけた言葉を呑みこみ、カインはばつが悪そうに俯いた。
「あんなところで咲いていただけあるな」
 何の感慨も込めずカインの言葉を継いだゴルベーザは、抱擁を解き、ナイトテーブルの上に置かれた花に近づいた。
「でもいつかは枯れる。命ある限り」
 少し腰を屈め、艶々とした白い花弁を指で軽く弾く。薄い緑の茎がしなやかに揺れる。口許を覆うガードは開けたままだったが、ほのかな香りはもう漂って来なかった。
 さぞかし念入りに世話を焼いているのだろう、グラスは一点の曇りもなく磨かれ、水は澄んでいた。この花がいつか生気を失い花弁の端からちりちりと茶に変色し、やがて枯れてしまっても、カインはこれを捨てることができないだろう。
「枯れた花はみっともない。そのときが来たら、潔く捨てろ」
「……はい」
「浮かない顔だな」
 そんなことありません、とカインは首を横に振って俯いた。

「お掛けになりませんか。こいつらがうるさくて」
 そういえば退室しようと思い席を立ったのだった。足許にまとわりついていた二匹の魔物の仔は、後肢だけで立ち上がり寄りかかり、座れ、抱け、とうるさくせがんでくる。
「座れば膝に乗ってくるぞ」
 大丈夫です、とカインは微笑んでゴルベーザの肘を少し引いた。彼に勧められるままにベッドに腰を下ろすと、クーとアールは、待ってましたとばかりに膝の上を目掛けて飛び上がった。
 カインはいささか乱暴に二匹を払い除けると、当然のようにゴルベーザの膝の上に横向きに腰を下ろした。クーはカインの腰とゴルベーザの腹の間に入り込もうと鼻先を突っ込んだが、それさえ無情に跳ね除ける。宙に浮いたクーは、くるりと一回転して着地し、しゃあ、と怒りも顕に鋭く鳴いて牙を剥いた。カインはそれも意に介さず、ゴルベーザの首に腕を巻きつけ身体をぴったりと寄せた。
 いつになく能動的なカインにゴルベーザは少々面食らったが、臆することなく堂々と魔物をあしらった彼に、たいしたものだ、と金の髪を撫でてやった。
「大きくなりましたし、魔物ですから少々荒っぽくても大丈夫です」
 カインはくすくす笑いながら、彼の膝に前肢をかけ様子を窺っていたアールを、脚を動かして払い除けた。
「ゴルベーザ様」
「ん?」
「先ほどの話ですが……」
「何だ」
「……花は、その価値を失うと捨てられてしまいますよね」
「まあ、そうだな」
「……」
 ぴったりと抱きつき、自分の肩に顎を乗せたカインの表情は見えない。むしろ見られないようにこうして抱きついてきたのだろう。押し黙ったままの彼の細い腰に腕を回し、背をごく軽く叩いて話の続きを促す。
 カインは、すみません、と小さく頭を動かした。唾を飲み込む音が聞こえる。
「わ、私……も……」
 消え入りそうな声はこんなに近くでも聞き取れなかったが、ゴルベーザは、顔を見なくともカインの仕種、震える声音から言わんとすることを理解し、苦笑いを浮かべた。
 そんなことを気にしていたのか。
 背中にかかかるカインの長い髪を指先に巻きつけながら、ゴルベーザは小さく嘆息した。
 目端が利くのに融通が利かない。そんな不器用なところが他人に誤解されやすいのか。

 絶望の地で人目を忍ぶように咲いていた小さな白い花。それを手折り、彼に与え、彼に喩えた。手渡された花の意味を理解した彼は、こぼれんばかりの笑顔を見せた。そうして大事に持ち帰り、今日まで枯らさずに愛でてきたその花を「枯れたら捨てろ」と言われたことで、自分に置き換えてしまったのだろう。
 自分の放った言葉の意味をひとつひとつ説明し、納得させ理解させる。正直面倒な作業だが不愉快でも煩わしいわけでもない。むしろ、彼はどんなときにも自分を楽しませてくれる。
 だがいまゴルベーザは、カイン自身が鬱々とした気持ちを抱えているというのに自分はおもしろがっているという状況に落ち着かない気持ちを抱いた。これまでも彼の愚かな勘違いを正してやったことはあるが、こういった感覚を抱くことはなかった。
 何故だ。
 いつものようにからかい交じりに諭すように言ってやると、彼は頬を染めはにかみながら白い歯を見せて愁眉を開くだろう。それで済む話だ。それだけでいいではないか。
 それでは何かが足りない。だがそれが何なのかわからない。
 頭の中をざわざわと蟲が這う。それ以上考えるな、と本能が警鐘を鳴らす。心を無にするため、ゴルベーザは静かに息を吐き目を閉じた。
 さいわいにも頭痛は起きなかった。ゴルベーザは安堵し、腕の中のカインの背中を軽く押さえた。
 沈黙は彼を不安にさせる。早く何か言ってやらねば。
 そう思ったことさえゴルベーザには新鮮な驚きで、配下に対しここまで心を砕く必要などないと思われたが、彼は既に一介の配下ではなく、それに見合う相手であることは紛れもない事実だった。
 不思議な男だ。いや、不可思議なのは自分の心か……

「おまえのここは思った以上に単純だ。子どもだ」
 カインの頭を撫でながら彼の耳許で、ゴルベーザは低く穏やかな声で囁いた。
「花が槍を手に私のために戦ってくれるか。花が閨で私を楽しませてくれるか」
 俯いたままカインはぶるぶると首を横に振ったので、子どものようなその仕種に、ゴルベーザは鼻先で笑った。
「花が私を救ってくれるか」
 その言葉に弾かれるように、カインはゴルベーザの肩から顎を外し、青い目を見開いて正面から黒い兜を直視した。
 何故そんなことを口にしたのか自分でもわからない。ゴルベーザ自身も呆気に取られ口を小さく開けていたが、ガードを開けたままであることに気付き、動揺を悟られぬよう、ゆっくりと口を閉じた。
 さらに大きく見開いて、黒い兜を射抜かんばかりに見つめてくる青い眸。そこに映る自分の姿は、ガードを開けているためか、見慣れぬ奇妙なものに思えた。
「私が……救う……ゴルベーザ様を……」
 ふっくらとした唇を震わせ、声を震わせ、カインは困惑と驚愕が入り混じった表情を浮かべた。
「配下が主を守り助ける。当然のことだ」
 そんな意味で放った言葉ではないと聡い彼は気付いただろうか。気付いても、彼がそれ以上何も言えない立場であるのをよいことに、それ以上言及されることを避けるために、ゴルベーザは話を切り上げようとした。
「機嫌は直ったか」
 白いローブの裾を割り彼の内腿を撫で、手をさらに奥へと潜り込ませる。カインの身体がびくりと跳ね、ゴルベーザの肩に額をつけて喘ぎを漏らした。
「べ、別に機嫌を損ねていたわけでは……」
 彼の膝の内側を軽く叩く。カインは少しためらったあと、黙って俯いたまま脚を開いた。

 ゴルベーザは自分が口走ったことを反芻した。
 自分は救いが必要なほど弱い不安定な存在なのか。そんなはずはない。ならば何故。 

 魔物の仔たちが細く高い声を上げた。我に返ったゴルベーザが二匹を見やり、あっちへ行ってろ、と顎をしゃくると、カインは顔を伏せたまま、くすりと笑いを漏らした。
「邪魔するわけじゃありませんし」
「ならば、おとなしくしていろ」
 顔を寄せ、耳に軽く口付け顔を覗き込む。長い睫を瞬かせ、目許まで紅く染めてカインは眉尻を下げた。
「い、いつもそうしているはずですが……」
「飼い主を守ろうと、襲い掛かってこられても困るからな」
 手の動きを早めると、カインは、ゴルベーザの首に回した手に力を入れ唇を噛み締め、首を横に振った。
「あっ……わ、私よ……りなついている、ん、のに……」
「何がきっかけで技を発動するかわからん」
「そ、それに……ゴルベーザ様……には効かない、です、きっと……」
「おとなしくしていろと言っただろう」
 カインは顔を上げ、下唇をちろりと舐めた。じっと見つめてきた青い眸は早くも欲望に濡れている。
「……おとなしくさせてください」
「……欲深い奴だ」
 ゴルベーザはふっと息を吐き、左手をさらに奥へ忍ばせた。カインが短い声を上げ口を開いたのを見計らい、ふっくらとした形の良い唇に深く深く口付けた。








2009/01/25

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