「いちばん欲しいものをやろう」
房事の後、眠りの淵に落ちかけていた彼にそう言うと、重い瞼を開け長い睫毛を何度も瞬かせた。
息のかかる近さでもう一度同じ言葉を繰り返す。
しっかりと目を開けたものの、距離が近過ぎて像を結べなかったのだろう。当てていた枕から頭を外し、後頭部をシーツに強く押し付け距離を取り、じっと見上げ
てきた。
眠りを妨げたことを詫びるため、宥めるように口付ける。
唇を合わせたまま、もう一度同じことを言った。
応えはすぐに返らない。
一つに絞ろうとあれこれと考えを巡らせているのか。
下手なことは言えない、と真面目に考えているのか。
やがて、未だ夢心地の表情のまま口を開いた。
「ゴルベーザ様を」
返された応えの凡庸さに、もう与えているだろう、と息を漏らして笑ったが、それは早計だった。
「ゴルベーザ様……の……」
「の」と言ったのか。所有している何かが欲しいのか。
「命を……」
おもしろいことを言う。
鼻で笑ったつもりだったが、青い眸に映る自分の顔は困惑に満ちていた。
余裕を示すため口許を緩め、湿った金の髪を撫でてやりながら、口の中で短い呪文を唱える。
掌上に現れた氷の柱を掴み、その切っ先を自分の左胸に向けた。
「こうして胸を引き裂いて取り出した心臓を差し出したなら、喜んで受け取ってくれるのか」
彼はゆっくりと首を横に振った。
見上げてくる青い眸は静謐な光をたたえている。
「二つ必要です」
意味がわからず眉を顰めると、彼は腕を伸ばして氷柱を奪い、その先端を己の左胸に当てた。
「その前に、私の胸を裂く氷が、もう一つ必要です」
氷柱の先端を己の左胸に押し付け、すっと縦になぞった。
まだ熱の冷めない身体に氷が溶け水となり、水滴が脇腹へ流れ落ちる。
「私の心臓を取り出して、ぽっかりと空いたそこにゴルベーザ様の心臓を収めてください」
死なば諸共か。
死に魅了される年頃でもなかろうに。
「ばかばかしい」
つい口をついて出た。
言いたかったのは、そんな言葉ではないはずなのに。
苛立ちを誤魔化すように呪文を唱え炎を起こし、氷柱を消し去った。
「私にはやるべきことがある。おまえのために命を落とすわけにはいかん」
彼は、もちろんです、と慈母のように微笑んだ。
ばかばかしい。
何という喩えだ。
今度は自分を罵った。
女と見紛うのは美しい顔立ちだけで、触れれば適度な弾力を返す鍛えられた痩躯も、少し掠れた低い喘ぎも、何よりその豪胆さも男でしかない彼を、よりによって
母に喩えるとは。
慈しみの母も知らぬ身で愚かなことを。
「ゴルベーザ様の命が果てるときに私がまだ生きていれば、の話です」
眉を顰めて彼を見る。彼は笑みを絶やさない。
何がそんなにうれしいのか。
一見気難しそうなこの男は、実は意外に単純で、その感情の移ろいは手に取るようにわかる。
なのにこうして時折、私を困惑させる。
「世の理でいくと、私が先に逝くだろうが……そうか……」
突如、理解できた。
「そうです」
いつまでも傍に、と彼は言った。
傍を離れるな、と私は言った。
そういうことなのだろう。
私の命が尽きても傍を離れない、と。
「……おまえが先に逝ったなら、私はどうすればいい」
そんなことを臆面も無く尋ねる男の顔は、その青い眸に、さぞかし滑稽に映ることだろう。
「私の亡骸を抱いて、少し泣いてくださればうれしいです。そして、ご自分の成すべきことをなさってください。立ち止まらずに」
それが正解だろう。
何一つ間違ったところなどない模範解答だ。
だがそれをひどく悲しいことだと思う自分に、また苛立つ。
「祈っていてください」
神など持たぬ身で、何を祈るというのか。
長い睫毛を瞬かせ下唇を緩く噛んだあと、小首を傾げ、口を横に広げはにかむように微笑む。
これはよく知っている。
小さな企みを抱いている顔だ。
「私が地獄に堕ちるように、と。先にお待ちしていますから」
目を細め、口許を綻ばせ、彼は微笑んだ。
地獄ですら、二人ならばしあわせだとでも言いたげに。
「……ばかばかしい」
思わず顔を背けると、彼は身体を起こし勢いよく首にしがみついてきた。
それをしっかりと抱きとめ、温かな血、脈打つ鼓動を伝え合うように胸を合わせる。
細い身体が小刻みに震えているのは、忍び笑いを堪えているからか。
「もう、つきあいきれん」
呆れて言い放った言葉とは裏腹に、何故か視界が滲み胸は熱く押し潰されそうだった。
いちばん欲しいものは何だ。
自分自身に問い掛ける。
それはきっと彼と共に生きる「永遠」なのだろう。
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飛海さんからのリクエスト
「ゴルカイ、シリアスで切ないもの」でした。
なのにラブラブ(?)ポエムになってしまいました……(私のカテゴライズは非常に下手なのですが)
ありがとうございました。
2009/02/22