犬も喰わない

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 主の部屋を訪れるためエレベーターを乗り換えの階で降りる。カインの部屋の前を通りかかり「どうしているだろう」と彼にぼんやり思いを馳せていたところで、ルビカンテは、廊下の向こう側から、全身を隠すように頭から布をすっぽりと被った者がやって来るのを目にした。
 背を丸めきょろきょろと辺りを見渡しながら忍足で歩くさまはいかにも不審で、塔のこんな奥深くまで闖入者がいるとは考え難かったが、見逃すわけにもいかず、ルビカンテはその者に声をかけた。
「おい」
 ルビカンテに気づいたそれがびくりと肩をそびやかした。
「何者だ。ここで何をしている」
 布の合わせ目から白い手が伸ばされ、ルビカンテに向かって振られた。
「ルビカンテ。俺だ、俺」
「……カイン? 何だその恰好は。何をしている」
 不審者の正体はカインだった。ルビカンテは驚きと戸惑いを隠せぬまま布の塊を見下ろした。
「見つかっちゃ仕方ない。話は俺の部屋で。早く」
 カインは自室の鍵を開けると扉を押さえ、さあ、とルビカンテを促した。わけのわからないまま誘われるまま、ルビカンテは彼の部屋へ足を踏み入れた。


「早く教えてくれんか。まだ報告が済んでいないのでな」
 初めて入る部屋の様子を観察することも後回しにして、ルビカンテは布を被ったままのカインに催促した。
「笑わないか」
「は?」
 恥らうようなカインの声音に思わず間抜けな声が上がる。見てもいないのに事前にそんな約束はできないが、とりあえずことを先に進めるため、ルビカンテは彼の望む答えを返した。
「ああ。笑わない」
 布の下でカインは小さく頷いたようで、ためらうような間を開けたあと、布を取り去った。
 彼の姿を見て、ルビカンテは目を丸くして驚き、絶句した。何故、という言葉で頭がいっぱいで、結果、笑いたくても笑えなかった。
「どうしたんだ、それは……」
「ゴルベーザ様が『今日からおまえはこれを装備しろ』って……」
 まるでべそをかいた子どものように、カインは兜の隙間から見える唇を尖らせた。
「またどうして……」
 何十年前のものだろうか。古い、いかつい、何よりとてつもなく野暮ったい、何万ギルやる、と頼まれてでも着用したくないような甲冑を、カインは身に着けていた。
 彼が愛用していた竜を象った兜、竜の鱗を模した甲冑は、たいそう独創的で彼によく似合い、惚れ惚れするほど恰好のよいものだった。あのすばらしい甲冑からこんなあかぬけない不恰好なものを着せられたカインが気の毒で、彼に同情してルビカンテは嘆息した。カインもそれに劣らぬ大きなため息をついた。
「こんなんじゃあ、跳べない」
「何故、断らなかったんだ。何故こういうことになったのだ」
「……甲冑を装備しようと思ったら見当たらなくて、ゴルベーザ様がこれを出してきた。嫌だったが、断ると裸で戻る羽目になるだろ」
「……」
 ルビカンテは房事後のカインを想像して顔をさっと赤らめたが、自分のそれは他人にわからないのをいいことに、平然と同じ言葉を繰り返した。
「しかし、ゴルベーザ様もどうして……」
「頼む! ルビカンテ!」
「な、何だ」
「俺も一緒に行く。元の甲冑を着れるよう、口添えしてくれ」
 縋るように腕を引いてきたカインが憐れで力を貸してやりたかったが、自分が役に立つとも思えない。ましてや、彼の寵臣に関することで、畏れ多くも主に進言することなどできるだろうか。
「ルビカンテ……」
 ルビカンテは、やれやれ、と大げさに肩をすくめて嘆息し、カインの両肩を軽く叩いた。たとえどんな面倒なことであっても、自分はこの男の頼みを断ることはできない。彼もそれを見越して言ってきているのだ。正直悪い気分ではない。 



「失礼します。報告の前にお話があります。よろしいでしょうか」
 主の部屋に入室したルビカンテは、挨拶を済ませるや本題を切り出した。
「何だ」
 机に対して身体を水平に向け、椅子にゆったりと腰掛け長い脚を組み、分厚い計画書の束に目を通していたゴルベーザが顔も上げずに返した。
「カインの甲冑のことですが」
 主が顔を上げたのと、ルビカンテの背後からカインが姿を現したのは同時だった。
「ベッドカバーが見当たらないと思ったら、おまえの仕業か」
 申し訳ありません、とカインは頭を下げ、頭から被っていた布を取り去り、無骨で不恰好な兜を脱いだ。髪の乱れを素早く整え主に向き直った彼の横顔に一瞬目を奪われそうになったので、ルビカンテは不自然に見えない速さで視線をカインから逸らせた。

「ルビカンテに泣きついたのか」
「泣きつ――」
 色をなし大きな声を上げかけたカインを片手で制し、ルビカンテは頭を下げた。
「僭越ながら申し上げます。この甲冑では彼の最大の武器である跳躍が活かせません。是非お考え直しいただければと存じまして」
 ふん、とゴルベーザは鼻で笑い、書類の束を投げるように机上に置いた。
「おまえはどう思う。あの竜の甲冑は」
 唐突に話を振られ、ルビカンテはうろたえた。
「そ、それは恰好もよく洒落ていて、申し分ないと思いますが」
「艶っぽいだろう」
「え」
「あでやかで美しいだろう」
「え……それは、まあ、そうですが」
 ルビカンテの返答に頷いて、ゴルベーザはカインに向かって顎をしゃくった。
「やはりおまえはそれを着ておけ」
「ルビカンテ……」
 カインは恨めしそうな声を上げ、ルビカンテをじっと睨んだ。強い視線が身に突き刺さるようで、ルビカンテは困惑した。

 何なのだ。自分は何かまずいことでも言ったのか。何だ、この空気は。

「ゴルベーザ様!」
 カインが机に寄り、天板に両手をついてゴルベーザに詰め寄った。
「うるさいぞ」
「あの甲冑の着用を、お許しください!」
「言っただろう。あれはとても美しいものだが扇情的過ぎる。現に、そいつも釘付けだったではないか」

「そいつ」とは自分のことだろうか。釘付け? ルビカンテは内心首をかしげながら二人のやりとりを見守った。

「俺、わ、私はずっとあの型の兜と甲冑を着用して来ましたし、それで何の問題もありませんでした」
「そう言い切れるか。一方的に懸想され、困ったことはないのか」
「そんなこと数え切れません。いちいち気にしていられません」
「そんなにあるのか」
「お訊きになったから答えたまでです。ゴルベーザ様こそ、どうなのですか」
「私がどうだと言うのだ」
「あんな手練手管、相当数をこなしていないと身につくものではないと思われますが」
「わ、私のことはいい」
「よくないです!」
「才能と言うことにしておけ」
 カインは前屈みになっていた身体を少し起こし、ゴルベーザにじっとりとした視線を浴びせた。
「この間も、偵察に訪れた村で物乞いの少年に『親がいないなら、うちに来るか』と声をかけていらっしゃいましたよね……」
「あ、あれはだな、バルバリシアが『小回りの利く者が欲しい』と言っていたのを思い出したまでだ」
「……まあまあ可愛らしかったですからね」
 見ていたのか、と小声で呟いた主に、カインは視線を据えたまま片眉を上げた。

 ルビカンテはカインの、普段とはまるで違う、配下とは思えぬ態度に開いた口が塞がらなかった。
 何なのだ、これは。何なのだ、この二人は。

「おまえこそ、出入りの仕立て屋に腹を触らせていただろう」
「あ、あれはですね、私の甲冑の素材を興味深げに尋ねてきたので見せていただけです!」
「随分とサービスのよいことだ」
「ゴルベーザ様こそ、その彼の連れていた若い弟子に『これはどうなっているのだ』と服をめくっていらしたでしょう!」
「あ、あれは、おまえに似合うだろうと思い、デザインを尋ねていただけだ」
「ほら、同じことじゃないですか!」
「同じではない。あの甲冑を着ていなければ、避けられた事態だ」
「だから『事態』と仰るほど、何も起きていませんって!」
「今後あるかもしれん」
「何があると仰るのですか」
「本気で訊いているのか」
 ゴルベーザはふっと息を吐いて、おいで、とカインに向かって腕を伸ばした。頬をわずかに膨らませたままのカインが主の傍に立つと、ゴルベーザはカインの腰を抱き寄せ、ぽつりと呟いた。
「……抱き心地が悪い」
 でしょう、とカインが嬉々とした声を上げた。ゴルベーザは咳払いをして、無骨な甲冑の最も細くくびれたところをごそごそと探した。
「これでは私の外貌はまったくわかりません。つまりそれは『ゴルベーザ様ともあろうお方が、何故あんな不恰好な臣下を侍らせているのだ』と評判に関わります」
「なるほど」
「皆が羨望の眼差しで見る者を所有するからこそ、ゴルベーザ様も鼻が高い、というものでしょう」
 
 自分でそこまで言えるなら、何故私に口添えを頼んだのだ。
 ルビカンテは呆気に取られた。

「おまえの言うことももっともだ。だがな、あの甲冑は素顔も素肌も隠しているというのに、おまえの魅力をいかんなく発揮している」
 ゴルベーザはカインの胸甲をなぞり、指を徐々に上へ滑らせた。昂奮のため紅く染まった頬を撫で、親指で瞼の下の膨らみを撫で、憤りで吊り上がった目尻を指でぐいっと下げた。
 カインが苦笑いを浮かべる。当然のように主の膝の上に乗ると、長い睫毛を瞬かせ鼻先が黒い兜に付きそうなほど顔を寄せ、先ほどまでの尖った声でなく、囁くようにゆっくりと甘えた声を出した。
「私は、朝も昼も夜も、ゴルベーザ様のことで頭がいっぱいです。他の者が入り込む隙など一ミクロンもございません。それなのに……」
 カインは恨めしそうに、黒い兜の奥にあるはずの双眸をじっと見つめた。
「いや……私もおまえの心を疑っているわけではないが、何というか……」
 ゴルベーザは、若い肉の弾力を確かめるように、カインの頬に当てた指をそのままゆっくりと押し込んだ。
「いくらおまえが腕が立つといっても、集団で来られたり薬を盛られたりすれば敵わないだろう。思いつめた奴は何をするかわからない。それが心配なのだ」
「私だって、ゴルベーザ様に擦り寄る者が多い中で、いつか私よりお気に召す者が現れるのではないかと思うと気が気ではありません。ですが、もしそんなことになっても……私はゴルベーザ様のお傍を離れません」
「杞憂だ。私がおまえ以外の者に心奪われることなどあるはずもない」
「ゴルベーザ様……」
「カイン……」
「あの……」
 自分の存在が完全に忘れられていると判断して、ルビカンテは恐る恐るゴルベーザに声をかけた。
「なんだ。居たのか。何用だ」
「……報告が」
 そこに置いておけ、とカインを抱いていないほうの手で低いテーブルを指差すと、ゴルベーザは再び、カインの頬へ愛撫を加え始めた。
 顔を寄せ合いくすくす笑いながら睦言を交わす二人の様子に呆れ返り、報告書をテーブルの上に置き、失礼しました、とルビカンテはそそくさと部屋をあとにした。


 何だったのだ、あれは。自分は何をしに行ったのだ。
 二人の仲は知っていたとはいえ、目の前で見せつけられる居心地の悪さは何とも名状しがたい。
 結局、彼は再び竜の甲冑の着用を許されたのだろうか。あの様子では、黒い兜の下で、主は鼻の下を長くしていて、カインに軍配が上がったように見えたが。いずれにしても、力なく項垂れていた彼が、ああして機嫌良くなったのだから、自分がそのきっかけになったと思えば腹も立たない。もとより、腹を立てていたわけではなく、呆れ果てていただけだが。
 なんとかは犬も喰わない、と言ったな。まるでそれだ。
 仲がいいのは良いことだ、といささか乱暴に結論付けて、ルビカンテは大きなため息をついた。







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けいさんからのリクエスト
「角砂糖に黒蜜を掛けて煮詰めたようなバカップルな痴話喧嘩をかますゴルカイ」でした。

ルビカンテ、またこのパターン! ですみません(汗)
バカップル、大好き! 極甘かは甚だあやしいのですが、とても楽しかったです。
ありがとうございました。








2009/02/15
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