「準備できたって」
いま行く、とセシルは答えたが、自分を呼びに来たリディアの表情が曇っていることに気づいて、どうしたんだ、とやさしく声をかけた。リディアはさらに眉尻を下げてセシルの顔を見つめた。
「カインとエッジが……」
またか。セシルが嘆息するとリディアも、またなの、と溜息をついた。
「ローザは?」
「放っておきなさい、って」
さすがにわかっているな、とセシルは幼なじみの恋人の器量の大きさに再び嘆息した。だが、目の前のリディアは不安げに眸を曇らせている。自分に訴えて来た彼女にローザと同じ言葉をかけるのは酷だと思い、セシルは整理していたアイテムを袋にしまい立ち上がった。
「で、今日の原因は?」
「夕食のチキンがどうとか」
「……子どもか」
目を潤ませて睨んできたリディアに、セシルは慌てて「リディアのことじゃないよ」と言い添え、隣に並んだ彼女の髪を撫でながら、三たび嘆息した。
知り合って間もないエッジは仲間思いの熱い男だが、いかんせん口が悪い。カインは絶望的に愛想が悪い。二人は些細なことでしょっちゅうぶつかっていた。二人の皮肉の応酬も、彼らなりのコミュニケーションの取り方だろう、とセシルとローザは気に留めていなかったが、幼いリディアはまともに受け取ってしまうようだ。
「セシルは心配じゃないの」
「ん? ああやって遊んでいるんだよ、二人とも」
「エッジはカインのこと、嫌いなのかな……」
むしろその反対だろうね、と答えようとしたが、リディアの真っ直ぐな質問と追求に、彼女が納得する答えを言ってやる自信はないので、これは彼女が誰に教わることなく自分で学ぶことなのだ、と自分に都合よく結論付けて、セシルはリディアに向かって曖昧な笑みを浮かべた。
今夜は野営で、エッジとカインが夕食の当番だった。炊事のできるできないにかかわらず公平に当番を決めていたので、今夜の食卓にそれほど期待していなかったセシルだったが、並べられた皿に目を丸くして驚いた。カインが調理が得意でないことは知っている。となれば、これはエッジの仕事か。
「すごいな。エッジ」
王子という高い身分にありながらこんなに巧く料理ができるのだ、と感心したが、褒められた当人はいつものように軽口で応えるのではなく、きれいに盛り付けられたメインディッシュを前に、カインとなにやら言い争いをしていた。
争いというより、むしろ、エッジが一方的にまくし立てていて、カインは適当に聞き流している。彼の態度がさらにエッジの怒りを買い「信じられねえ!」と連発していた。
まあまあ、とセシルはいつのもように二人の間に入り、先ずはエッジの言い分を聞いてやる。
「どうしたんだ。カインは余り得意じゃないんだから、役立たずでもあまり責めないでやってくれ」
「そんなんじゃねえよ!」
「話も聞かずに適当なことを言うな」
カインが背後からセシルの肘を軽く引いた。見当違いを二人同時に責められ、セシルは照れ隠しの咳払いをしてその場をごまかそうとした。
「えー、チキンがどうしたって」
チキンと聞いてエッジが鼻息を荒くした。
「そう! こいつ皮を捨てやがったんだ!」
「え……」
エッジは鉄製の長い捧を持って、焚き火の灰を突付き始めた。
「肉を食うことは命をもらうことだから、骨、皮に至るまで粗末にしちゃあいけねえんだ!」
「う、うん。そうだな」
「なのに、焼きあがった肉を見たら皮がねえんだ! 訊けばこいつは、あろうことか、焼く前に皮を剥いで捨てたんだとさ! 俺が丹精込めて香辛料を塗りこめた皮を、ポイっとな!」
灰にまみれた鶏皮の焼け焦げが、エッジが手にした捧に掻き出されてきた。カインは悪びれる様子もなく顔を背けている。
カインは、確かに、鶏の皮が嫌いで、士官学校の寄宿舎で一緒だったときも、カインは皿に盛られた肉から皮を剥がして、それをセシルの皿に移していた。そんな具合だから、自分が調理する側になれば、これさいわいと最初から皮を取り除いてしまうだろう。もちろんエッジがそんなことを知る由もない。
セシルは腕を組んで唸った。これはエッジが正しい。カインの取り分をいつも引き受けるほどカリカリに焼けた香ばしい鶏皮が好きなセシルは、エッジに同意して何度も頷いた。カインは、自分の我がままで皮を捨てる前に、ひと言エッジに断ればよかったのだ。エッジはもちろん反対しただろう。そして皮付きのままこんがりと焼かれたチキンの、カインの取り分だけ皮を除き、自分にくれればよかったのだ。
カインが悪い。セシルはくるりとカインに向き直り彼の言い分は聞かずに、そう告げようと口を開いたそのとき。
「私も、皮、嫌いだからよかったあ」
セシルは驚いて声の主を振り返った。リディアがとびっきりの笑顔をカインに向けている。
「皮って、ぐにょぐにょしていて気持ち悪いの」
「だろう、俺もだ」
カインは大きく頷き、これ以上ない強力な味方を得て勝ち誇ったように、セシルとエッジをちらりと窺い見て、口の端を少し上げ笑みを浮かべた。
「リ、リディア……かりかりに焼けた皮はぐにょぐにょしていなくておいしいよ」
「パ、パリパリで美味いぞ」
セシルとエッジが必死で鶏皮の美味さを説いても、リディアは、ぶつぶつが気持ち悪いもん、と首を横に振った。
「皮にはコラーゲンと言って、肌を美しくする成分が豊富に含まれているんだ」
「そうなの?」
リディアは首を傾げてじっとセシルの目を見つめた。
「そうだよ。食べるときれいになるよ」
「そんなもの食わなくても、リディアの肌は瑞々しくてきれいだ」
えええ! 歯の浮くようなカインの台詞にセシルは度肝を抜かれた。あのカインが!
痛っ。腕の痛みに振り返れば、エッジがセシルの二の腕を握りつぶさんばかりにぎゅっと掴んでいた。落ち着け、エッジ。カインに下心は決して無いから!
「いやーん、カインったら。でも、カインの肌もきれいよね。男の人なのに」
「な。コラなんとかなんて関係ない」
「お、おまえら! いい加減にしろ!」
「何怒ってるの? 変なエッジ」
お前もなんとか言え、と肩をぐらんぐらん揺すってくるエッジの肩をぽんぽんと叩いて宥めながら、セシルは嘆息した。
「いい匂いね」
「ローザ!」
絶望の淵で天使に出会ったように、セシルとエッジは最後の望みを賭けて、食卓にやって来たローザの許に駆け寄った。
「君は鶏の皮、好きか?」
「好きに決まってんだろ!?」
「な、何なの。出し抜けに……」
いきなりセシルとエッジに詰め寄られ、ローザは顔をわずかに引き攣らせ、後ずさりした。
「鶏の皮、好きだろ?」
「皮? 好きでも嫌いでもないわ」
「肌にいいから食べるだろう!」
「コラーゲン? いちいち気にしないけど」
「あのね、今夜のチキンに皮がないの」
「ふうん。別にどっちでもいいけど」
彼女の言葉にセシルとエッジはがっくりと肩を落とした。
「三対ニ。勝負あったな」
カインは片手で蝿を追い払うような仕種をして、ほくそ笑んだ。
「勝負じゃねえ! つか、負けてねえ!」
「そうだ! 『嫌いでもない』って言ったじゃないか! 引き分けだ!」
「どっちだっていいじゃないの、そんなこと」
ローザの言葉に勢いを殺がれたセシルとエッジは、何か言いたそうに口を開けたまま、顔を見合わせた。
「二人とも何を昂奮しているの。さあ、食事にしましょう。座って」
「俺たち、間違ってないよな」
隣のエッジが小さな声で耳打ちしてきたのでセシルは、間違ってない、と大きく頷いた。間違っていないのに、この肩身の狭さと敗北感はなんだろう。セシルは首を傾げながら、切り分けたチキンを口に入れた。香辛料たっぷりの鶏皮に代わり急遽作られたエッジ特製のソースが肉に絡み、これまで味わったことない酸味と旨味が口の中に広がった。
「うまい! エッジ、おいしいよ、これ」
エッジが横目でぎろりと睨んできたので、セシルは慌てて言い方を変えた。
「あ、ああ。皮付きならもっとうまかったのに……な」
だろう、とエッジが顔を寄せ、信じられねえ、と繰り返す。
何であっちもこっちも気を遣わなきゃいけないんだ……
おいしい、と声が挙がるたびそちらをぎろりと睨むエッジを横目に見て、セシルは、大きな溜息をチキンとともに飲み込んだ。
2008/11/09