「カインちゃぁーん」
頭上から降ってくる明らかに小馬鹿にした呼びかけに聞こえない振りをして、カインは階段を駆け降りた。
「おい、無視すんなよ」
少し語気を荒げた男の言葉に、カインは振り返りもせず足を止めた。
「俺に用があるのなら、呼び方から正せ」
「そう素気無くするなよ、カインちゃん」
悪びれる様子もなくカイナッツォが言葉を続けると、隣でスカルミリョーネがフシュルルとどこからか空気が漏れているような笑い声を上げた。
「四天王様二人に挨拶もなく、たいそうなご身分じゃねえか」
「用がないのなら、急いでるんでな」
冷ややかな一瞥をくれて階段を降りかけたカインの腕を、スカルミリョーネがぐいと掴んだ。
「随分別嬪さんだそうじゃないか。俺たちにも見せてくれよお」
「俺に気安くさわるな。離せ」
顔を背け後ずさるカインを、カイナッツォが伸ばした両腕の中に閉じ込め、踊り場の壁際まで追い詰めた。
「俺たちとも遊んでくれよお、カインちゃん」
二人はそれぞれ不気味な声を上げて笑った。カインは舌打ちをして、カイナッツォに向き直り、口の端を少し上げて笑った。
「いいぜ」
え、と二人は驚きの声を上げた。
「ゴルベーザ様に願い出てみろよ。『カインと遊びたいんですがよろしいでしょうか』ってな。御許しが出たら遊んでやるぜ」
できるもんなら行ってこいよ、とカインは高らかに、大げさに笑った。カインの突然の承諾に戸惑っていた二人は、からかうつもりがからかわれたとわかり、色をなし息巻いた。カイナッツォはカインの肩を壁に強く押し付けた。
「てめえ、この野郎!」
「なあ、カイナッツォ。御許しはともかく、もしかしてこいつったらやる気満々じゃねえの」
スカルミリョーネの思いつきに、カイナッツォはにたりと笑い、カインよりもさらに大きな声でクカカカカと笑った。
「なるほど、照れ屋のカインちゃんは俺たちと遊びたいけど、ゴルベーザ様が怖くて素直になれない、と」
「貴様!」
頬に朱を上らせたカインは握った拳をカイナッツォの腹に当てようとしたが、その手をスカルミリョーネが掴み壁に縫いとめた。その隙にカイナッツォはカインの両脚の間に自分の脚を入れ、太腿でカインの股間を擦り上げる。
カインは、冷めた視線はそのままに、歯を食いしばり顔を背けた。
「離せ! タマ蹴られたいのか!」
「おまえにいくら腕があろうと、魔の力を得た俺たちに力で敵うわけないだろうよ」
「どっちにする? 兜か甲冑か」
「そりゃあこっちだろ」
「どっちだよ」
二人が揃って下卑た笑い声を上げるのを、カインは忌々しげに睨みつけた。
「いいかげんにしないか」
「ルビカンテ!」
紅いマントを身に纏ったルビカンテが、怒りを込めてというより呆れたような顔をして、階段を上ってきた。カイナッツォは舌打ちをして、カインから手を離し身体を離した。
「カイナッツォ、定例報告は済んだのか」
「あ、ああ」
「だったら持ち場に戻れ」
「はいはい」
「おまえも」
「はいはい」
またな、とカインにウィンクをしてカイナッツォとスカルミリョーネは、それぞれ独特の笑い声を上げながら階段を降りて行った。
二人の声が聞こえなくなるまで視線を階下に向けていたルビカンテだったが、やれやれとため息をつき、大丈夫か、とカインを見やった。カインは、礼は言わないぜ、とルビカンテに目を合わせぬまま掴まれていた手首をごしごしと擦った。
「あんたの監督不行届きだからな」
「私はそんな立場ではない」
「あんな下品な奴らが四天王って、冗談だろ」
「……おまえを妬む奴が少なからずいる。あまり派手に回らぬことだ」
カインは顔を上げルビカンテの顔を見ると、喉許で押し殺すような、くっくっとくぐもった笑いを洩らした。
「冗談は言っていないが」
「あんたもか?」
「何」
「あんたも妬んでいるのか?」
ルビカンテは、カインの頭の先からつま先までをすばやく見やり、皮肉を込めて歪めたカインの口許を見つめながら、そうだな、と返した。
ふん、と鼻で笑ってカインは腕を組み壁にもたれた。
「じゃあ、俺が憎いか」
「いや」
「……大人の余裕ってやつか」
目を伏せ短いため息をついて、カインは組んでいた腕を解き、壁から離れた。
「いや」
さらに同じ短い答えを繰り返すルビカンテに、カインは小首を傾げた。
「ゴルベーザ様を妬んでいるかもしれん」
ルビカンテの言葉に眉をひそめたカインは、やがて目を見張り、口許を緩めた。
「あんたでも冗談言うんだな」
「冗談のつもりじゃなかったんだが」
「……あんたもお願いしてみるか?」
「考えておこう」
「……」
わずかな笑みを浮かべることもなく平然と答えるルビカンテに、カインは、準備があるから、と背中を向け、階段を一段ずつ降りることなく、次の踊り場まで一気に飛び降りた。
ルビカンテは何事もなかったように書類を小脇に抱え、ゆっくりと階段を上り、彼からの報告を待つ主の部屋へ向かった。
到着を知らせるチンと澄んだ音が狭い空間に響き、エレベーターのドアが開いた。屋上に降り立った途端、ガラガラと何かが転がる派手な音が聞こえた。ルビカンテはその音を頼りに、整然と駐機された飛空艇の間を歩き回った。そうして屋上の東の端にある小さな倉庫の前で、空になった燃料の樽を蹴り飛ばしているカインを見つけた。
「荒れているな」
明らかに八つ当たりとわかるカインの態度に、ルビカンテは苦笑いを噛み殺して声をかけた。
顔を向けたカインは、あんたか、と興味なさげに呟いて、また視線を元に戻し、転がっていく樽を見つめた。
「何の用だ。俺はいま猛烈に機嫌が悪いんだ。近寄らない方が利口だぜ」
思いもよらない忠告にルビカンテは、緩く握った拳を口に当て、肩を震わせた。カインはルビカンテを眼光鋭く睨みつけた。
「何がおかしいんだ。俺を嗤いに来たのか」
「いや、すまん。さぞかし落ち込んでいるのだろうと思っていたんでな」
「やっぱりおもしろがりに来やがったな」
吐き棄てるように言い放って間近の樽を蹴ろうとしたカインを、ルビカンテは制した。
「誰が片付けると思ってるんだ」
「……堅いな、あんた」
勢いをそがれたカインは、ふう、とため息をついて、その場にどかっと座り込んだ。ルビカンテは、所在なさげに膝を揺らすカインを見下ろした。目の前の青年の苛立ちは彼自身の不甲斐なさに向けられていて、怒りをあらわにすることで他の感情を押し殺しているようで、自分がまだ人間だった頃の若い日々を思い起こさせる。
ぐずぐずと落ち込まれるよりはましか。
随分と差し出口を利いている自分がおかしくて、ルビカンテは口を歪めた。
予告もなくマントをぐいと引っ張られ、ルビカンテは訝しげにカインを見下ろした。カインが自分の隣のスペースをぽんぽんと叩き、座れと促してきたので、ルビカンテは黙って腰を下ろした。
「暖かいな」
「何」
「あんたがそばにいると暖かいな」
「火を司っているからな」
「すまない。少しの間こうさせてくれ」
そう言うやいなや承諾も得ず、カインはルビカンテの肩に頭を預け寄りかかった。
2008/04/13