もしゼムスの洗脳が成人後だったら

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悲劇の幕開け

 突然の喚び出しに戸惑いながら、セシルとカインは揃って静まり返った城の中を王の間へと足を進めていた。昼間見れば何と言うこともない観賞用の甲冑が、夜間では不気味なものに見える。灯りの数は最低限にまで減らされ長い廊下の先は暗闇で何も見えない。守衛の数も城門から奥まれば奥まるほど少なくなっていることからも人払いされているのは間違いない。こんな夜半に喚び出されることすら初めてで、これは尋常ではない。二人は同じ不安を抱いていたがそれを口にすることなく、手にした小さな洋燈を頼りに足を速めた。


 王の間にはバロン王と傍らに大臣が一人がいるだけで、セシルとカインを驚かせた。
 国王は、挨拶を済ませ顔を上げた二人をやさしい言葉で労ったが、カインは、君主の表情が暗く硬いことを見て取り、この喚び出しが決して良い話ではないだろうと予感した。

 いつまでも話を切り出さない君主を訝り、カインが「陛下」と促すと、王は嘆息し、ようやく重い口を開いた。
「落ち着いて聞いて欲しい……セオドールの率いる隊が消息を絶った」
 予想だにしなかった報せにセシルとカインは目を見開き、顔を見合わせる。
「……ど、どういうことですか」
「わからぬ。いま調べさせている」
「一体、何が……」
「に、にい――あ、兄は!?」
「……目撃者によると、突如現れた黒い霧と共に消えたそうだ。もっとも、その者も錯乱状態にあるので正確なところはわからぬ」
「そ、そんな……」
 セシルはがっくりと膝から崩れ落ちた。カインは慌てて彼の身体を支える。頭を掻きむしり「嘘だ、嘘だ」とうわ言のように繰り返す親友の肩を抱きながら、カインは、こうしてセシルが取り乱すことも王の想定内で、そんな親友に付き添うために身内でない自分も一緒に呼ばれたのだと理解した。
 カイン自身の動揺も激しくあまりの気分の悪さに吐き気を催すほどだったが、自分の役割を知り、それに応えるため、努めて冷静を装わねばならなかった。酸の味がする唾を何度も飲み込み、大きな息を吐いて呼吸を整え顔を上げる。

「陛下」
「うむ」
「もう少し詳しい話をお聞かせ願えませんか。彼ほどの人物が易々とやられるとは思えません」
「うむ……」

 国王の話は、バロンからはるか南のある村で人々が忽然と姿を消す事件が相次ぎその後魔物が頻繁に現れるようになったため、一週間前セオドールが現地へ調査に向かった、というものだった。

「僭越ながら申し上げます。宰相が自ら赴くような案件には思えないのですが」
 カインの言葉に国王は重いため息をつき、指でこめかみを押さえた。
「セオドール自身の希望だ。自分が行くと申したのだ。私の反対を押し切って」
「……」

 眉を顰めカインはじっと考え込んだ。セオドールは何か危険を察知して部下には任せられないと判断し、自分が彼(か)の地へ向かったのだろうか。もしかしたら、それは彼にそう仕向けさせる罠だったのかもしれない。だが、誰が何の目的で、どうやって。


 傍らに立っていた大臣が君主に何やら耳打ちした。王は咳払いをし、カインの位置から喉の動きが見えるほど、大きく唾を飲み込んだ。

「セシル」
 名を呼ばれ、セシルは虚ろな目のまま顔を上げた。
「言い難いことだが……最近、セオドールに変わった様子はなかったか。何か、こう……不審な――」
 言われた意味がわからず呆然としていたセシルが、かっと目を見開き眉を吊り上げる。
「陛下! まさか兄さんを疑って……」
 いやいや、と王は手を振りセシルを宥めようとした。
「セオドールに限ってそんなことがあるはずはないが、あらゆる可能性を考えね――」
「兄さんはこの国のために尽くしてきたのに、それを、それを――」
「セシル!」
 大きな声を上げて立ち上がり拳を振るわせるセシルの肘を引き、無理矢理に跪かせる。
「御前(ごぜん)だぞ。謹め!」
「カイン……ひどい……兄さんが……兄さんが……」
「大丈夫だ。大丈夫だから……」
 カインはセシルを抱き締め、銀の髪をやさしく撫でてやった。 
「大丈夫だ。セオドールは無事だ。そうに決まってる、必ず帰ってくるから……」
 セオドールと同じ銀の髪に頬擦りしながら、カインはセシルだけではなく自分自身に言い聞かせた。胸の中で啜り泣くセシルに引き込まれ、溢れそうになる涙を目を見開き紅い絨毯を睨みぐっと堪え、続いて君主の傍らに立つ痩身の大臣に目を向けた。
 彼が君主に何か言ったあと、王はあの非情な問いをセシルにぶつけた。この男がそうけしかけたに違いない。
 彼は王が右腕と頼む重臣だったが、セオドールにその座を奪われ次席に甘んじていると聞いている。セオドールを妬み孤児だと蔑み、彼が閨で君主をたぶらかしいまの立場を得た、など根も葉もない噂を立てたのもこいつだろう、とカインは憎悪を滾らせた目で大臣を睨んだ。


「セシル。カイン」
 君主に名を呼ばれても返事もせず、主の言葉も待たず、非礼を承知でカインは口を開いた。
「陛下。霧ならば、天候不良故、遭難の可能性もあると思われます」
「も、もちろんだ」
「先ほど『目撃者』と仰いましたが、兵士ですか。一般人ですか」
「……兵士だ」
「隊の一員と理解してよろしいですね。帰還したのはその者だけですか」
「そ、そうだ」
「何故その者だけ無事だったのでしょうか」
「ん……調べているところだ」
「……」

 王のこの歯切れの悪さは何だろう。君主もショックと動揺を隠し切れないだけかもしれないが、何かが引っかかる。
 険しい顔のままカインは下唇を親指の爪先で何度も弾き、思案した後、意を決した。

「陛下……俺、私を捜索隊に加えてください」
 親友の言葉を聞き、セシルもカインの胸から顔を外し君主を仰ぎ見た。
「僕も! お願いします!」
「ならん」
「陛下!」
「どれほどの危険があるのか、まだわからぬ。年若いおまえたちをそんなところへ遣るわけにはいかん。慢心するでない」
「ですが――」
「わかってくれ。セオドールだけでなくおまえたちにもしものことがあったら、私の心は悲しみで壊れてしまうだろう」
「……わかりました」
「で、でも!」
「セシル、やめろ。陛下もおつらいんだ」
「カイン……」
「どんな些細なことでも、何かわかりましたら、教えてください」
「約束しよう」
 それと、と国王は咳払いをした。
「夜半に呼び出したことからもわかるように、これはまだ内密だ」
「承知しています」
 いずれ知るところになるだろうが、と付け足して国王は右手を挙げた。

「カイン。セシルを頼んだぞ」
「はい……」
「西の塔に部屋を用意してある。今夜はそこでやすみなさい。場所はわかるな?」
「はい」
「ご苦労だった。下がってよいぞ」
 君主に深々と頭を下げ、力の抜けた親友の身体を支え、カインは王の間をあとにした。


 暗く長い廊下をとぼとぼと歩く。親友にかける言葉も見つからずカインは押し黙り、セシルもあれから口を閉ざしたままだった。重苦しい沈黙が陰鬱な夜気と混じり合い身体に纏わりつくが、胸の内側を押される痛みや喉許までせり上がってくる熱い塊に比べればまだ耐えられる。

 あの日から遠目に眺めるだけで、目が合いそうになれば顔を背け視線を逸らした。無礼な自分に呆れ、愛想を尽かされたかもしれない。それでいい、それでもいい、そのほうがいいと必死に自分に言い聞かせてきたというのに、いまはその弱気が恨めしい。
 身体が重い。闇はどこまでも続き夜が明けることがないのではとさえ思える。
 なぜこんなことになったのだろう。不安と心配で胸が塞がり息をするのも苦しい。彼にもしものことがあったら、彼がもし死んでしまったら……
 恐ろしい仮定に身が震える。じっとなんかしていられない。
 セシルが寝入るのを見届けたらすぐに発とう。命令違反で罰せられるのは自分だけでいい。
 カインが悲壮な決意を胸に秘め、無意識に足を速めようとしたところで、セシルの小さな声が耳に入った。 

「……とう、カイン」
 え、とカインがセシルに顔を寄せ、聞き取れなかった言葉をもう一度言うように促すと、彼は顔を伏せたまま洟を啜り、消え入りそうな涙声で吐き出した。
「おまえがいてくれなきゃ僕は……」
「……」
 親友の腰に回していた手に力をこめカインは、うん、と頷いた。

 彼のたった一人の肉親であるこいつを差し置いて勝手な真似はできない。こいつを支えてやらねばならないのに、放って行くことはできない。明朝目覚めたとき自分がひとり置き去りにされたと知れば、こいつはいま以上つらい思いをするだろう。
 それだけじゃない。俺もセシルに支えられている。いま俺たちにできることは、互いに支え合いこの悲しみに耐え、セオドールの無事を信じて待つことしかない。

 ごめんな。

 カインは声に出さずセシルに詫びた。
 抜け駆けしようとしてごめん。おまえの最愛の兄さんを好きになってごめん……



 若者たちが退室したあと再び静寂に包まれた王の間で、バロン王と大臣は同時にため息をついた。それを話の糸口に、大臣は敢えておどけた調子で肩を竦め、口を開いた。
「ご覧になりましたか、カインのあの目。どうやら嫌われてしまったようです」
「そなたには損な役回りをさせてしまったな」
 滅相もございません、と大臣は首を横に振り、頭を下げた。
「恨みの矛先を陛下に向けられては敵いませんから、私からお願い申し上げたことです」
「賢い子たちだ。わかってくれるだろう」
 王は放心したように呟き、嘆息した。大臣が主君を気遣うように、恐る恐る口を開く。
「あの……仰らなくてもよかったのですか。消える前、セオドールが自軍にファイガを放ったことを」
「……いずれ知るところになるだろう」
 バロン王は沈痛な面持ちで眉間を指で押さえて目を閉じ、大臣が促しても、玉座から動こうとしなかった。










2011/02/04

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