もしゼムスによる洗脳が成人後だったら

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再会

「僕は兄さんを信じてる」
「俺もだ」
「兄さんがそんなことするはずない」
「ああ。たちの悪い噂だ。気にするな」
「きっと無事で帰ってくる」
「もちろんだ」
「それまでうんと鍛えて力をつけて、バロン一の騎士になろう」
「ああ。おまえには負けない」
「そのときまだ戻ってなかったら、二人で探しに行こう」
「二人で……」
「ああ。最強の騎士が二人。陛下も認めざるを得ないだろ。どんなに反対されたって構うもんか。今度こそ」



 ***



 バロン王はセオドールがその礎を作った飛空艇の大量生産に成功し、国はますます隆盛を誇った。
 セシルは新設された飛空艇団「赤い翼」の部隊長に抜擢された。超人と呼ばれた兄に近づくため、唯一無二の暗黒騎士となったが、セオドールが消息を絶って六年、その威光も消えかけたいま、セシル自身の誠実で温厚篤実な人柄にもかかわらず、その駆使する闇の力は忌み嫌われ世間の風当たりも強く、彼は以前に増して口数も少なくなり暗い影を引きずっていた。
 カインは希望どおり竜騎士団に配属され、亡き父と同じく、隊長にまで上り詰めた。部署が違ってもセシルと変わらぬ友好を深め、幼馴染の白魔道士ローザと共に彼を頻繁に訪れ励まし、三人でセオドールの無事を祈り、彼の帰還を信じて待った。
 
 バロンは日に日に強大さを増し周辺諸国を従えていく。セシルとカインは、思慮深く穏やかだった君主の強引かつ非情な変貌ぶりに疑問を抱くことが間々あったが、何か深い考えがあってのことだろうと思い直し職務を全うし、忠臣として変わらぬ献身を捧げていた。
 あの忌まわしい炎を目の当たりにするその日まで。



 ***



 髪をやさしく撫でられ、額を頬を撫でらる
 カイン
 誰かが俺を呼んでいる。低く穏やかに響く声
 カイン
 懐かしい声。そうだ、これは……この声は……



 目覚めは突然訪れた。弾かれたように身体を起こし、何度も瞬きして大きく息を吐く。眠っていたというのに息は荒く動悸も激しい。何か夢を見ていた。心地良くてそれはしあわせな夢を。なのにこの焦燥感は何だろう。

「気分はどうだ?」

 突然声を掛けられカインは肩をそびやかした。人の気配に気づかなかったことに動揺したが、それよりも、聞き憶えのあり過ぎるその声に衝撃を受けた。
 どくんと心臓が脈打つ。喉が渇き、目の前がちかちかと瞬く。ごくりと唾を飲み込む音。振り向きたくて堪らないのに振り向くのが怖い。手許の毛布をぎゅっと握り締め静かに息を吐きながら、ゆっくりと、殊更にゆっくりと声のした方向へ顔を向ける。
 そこにいたのは、黒い厳(いかめ)しい甲冑を装備した銀の髪の大きな男だった。

 カインは驚きの余り声も出なかったが、男が口許に笑みを浮かべたので、口を開けたまま何とか声を絞り出した。
「セ、セッ、セオ――」
「久しいな、カイン」
「セオドール! よかった……生きて――」

 勢いよくベッドから飛び出そうとしたが、男に目を据えたまま、すんでのところでとどまった。目の前にいるのは少し歳を取ったセオドールで、自分が彼を見誤るはずなどないのに、ほんのわずかな違和感がその姿に付き纏う。

「……ほ、本当にセオドールなのか?」
 眉を寄せて訝るカインに、セオドールらしき男はくつくつと笑った。
「疑い深い奴だ。だがそれでいい。お人好しでは軍人は務まらんからな」
「……」
「さて、どうやったら信じてもらえるかな」
 男は長い腕を組んで少し俯き、左手で顎を擦った。やがて唇の片端をわずかに上げカインに目を合わせると、低く穏かな声から一転して、幼い子どもの声音を真似た。
「『手、繋いで。シェオドール』」
「セオドール! 本物だ!」
 幼い頃の自分の真似をされ、からかわれたことの羞恥と昂奮で顔を真っ赤にして、今度こそカインはベッドから勢いよく飛び出し、セオドールに抱きついた。歓喜のあまり声を上擦らせながらカインは恋焦がれたひとの名を呼び、何度も、よかった、震える声で繰り返す。
 セオドールもカインをしっかりと抱きとめ、背中を撫で金の髪に頬擦りを繰り返す。

「どこ行ってたんだよ……俺もセシルも、どんなに心配――セシル! セシルは!?」
 広い胸から頭を起こし、自分のものより少し薄い青い眸を見つめ、カインは必死で訴える。
「大丈夫だ」
「セシルは!? セシルはどこだ!? 地震が、あいつは無事なのか? 早く、早く知らせてや――」
「落ち着け」
 セオドールは、何も聞こえていないかのようにまくしたてるカインの唇に、伸ばした人差し指をそっと押し当てた。どくんとまた心臓が跳ねる。カインは目を丸くしたままおとなしく口を噤んだ。
 そうだ、とセオドールは頷き、人差し指をそのまま自分の唇に当て、声の調子を一段落とした。

「セシルは召喚士の子どもと共にダムシアンへ向かった」
「召喚士の……ああ、あの子も無事だっ――」
 安心したせいか、急に目の前が暗くなり意識が遠のくような感覚に襲われる。セオドールは力が抜けたカインの身体をいとも軽々と片腕に抱え直しベッドに腰掛けさせた。

 カインは額を押さえ、はあ、と大きな息をついた。 
 聞きたいことも言いたいことも山のようにあるというのに、巧く言葉が出てこない。彼がここにいてくれることがうれしくて、よろこびで胸がいっぱいで、言葉など必要ないとさえ思えてくる。
「セオドール……」
「もう少し眠れ。まだ万全ではない」 
 カインは、嫌だ、と聞き分けのない子どものように激しく首を横に振り、傍らに立つセオドールの腕に縋った。
「話はそれからだ」
「嫌だ。目が覚めたらこれは夢で、あんたはまた居なくなってるかもしれない」
「大丈夫だ」
「それに、それに……昂奮して眠れるわけない」
 今更ながら、彼に抱きつくという衝動に駆られた自分の振る舞いに羞恥を憶え、カインは頬を染め、セオドールの腕に掛けていた手を離して俯いた。
 左手で顔を覆う。頬が熱い。感情の起伏を抑制し表情に出さない術(すべ)は身についているはずなのに、彼の前では、何年経っても、少年のときのように心が揺さぶられる。

「カイン」
 セオドールは少し腰を屈め、カインの肩に手を置き顔を覗き込んだ。
 息がかかるのではないかと思うほど間近に見つめられ、カインは頬をいっそう紅く染めてうろたえ、両手を腿に軽く挟んで背筋を伸ばした。
「大丈夫だ。寝入るまで傍に居てやろう。手を繋ぐか?」
「もう言うなよ……」
 わずかに口を尖らせるカインに、セオドールは息を吐くだけの笑いを漏らし、カインの頭を素早く撫でた。子どものように扱われることは本意ではなかったが、いまはただ、彼の大きな手で触れられることが心地良くて、カインは少しはにかんだ笑顔を彼に向け、なすがままに任せた。

 ベッドに横たえられ毛布を胸許まで掛けられる。
「セオドール、一つだけ。ここはどこだ?」
「バロン城の私の部屋だ」
 だから安心しておやすみ、とセオドールは低く穏やかな声で言った。
 セオドール、本当に帰ってきたんだ……
 城のどこかまではわからないが、自分がよく見知った場所に戻っていたことに安堵し、彼の口から国の名を聞いたことに安らぎを憶えた。
 やさしく見つめてくる薄い青の眸。温かい大きな手。子どもの頃の懐かしい思い出と重なり、カインの胸に温かなものが広がっていく。
 髪をやさしく撫でられているうちに、うとうとと眠気がさしてくる。眠れるはずがないと思ったのに、彼が言ったとおり、やはり体調が万全ではないのだろう。彼は常に冷静で正しい判断を下すことができる。彼の言うことに間違いはない、とそんな些細なことでさえ心浮き立つ。

 目を閉じた刹那、何か気がかりが胸をよぎったが、眠りの淵に落ちかけていたカインには、もうそれを追うことはできなかった。










2011/02/28

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