相談があるんだ、とセシルは重いため息をつき、ベッドでうつ伏せになって本を読んでいたカインの傍に寄った。カインがセシルへ顔を向ける。
「どうした」
「この間のパーティーで知り合った娘、いただろ。僕の隣の」
「ああ、ごついのな」
「あの娘が、積極的というか情熱的というか、すごいんだ……」
ああ、とカインは頷いて、再び本に視線を落とし、他人事のようにあっさりと言い放った。
「その気がないなら、早めに断っておけよ。ぐずぐずしてると後々面倒だぞ」
「わかってるけど……」
カインは再び顔を上げ、セシルの顔をじっと見た。
「『傷つけたくない』とかは、やさしさじゃないぞ。どっちつかずがいちばん悪い。『好きな娘がいる』でも『忙しくて付き合えない』でも、適当に言っておけよ」
「わかった。言ってみる」
セシルはまたため息をついて机に向かい、抽斗から便箋を取り出した。
「カイン、この前のことなんだが……」
窓辺の椅子に腰掛け読書をしていたカインは、おう、といつもの返事を寄越して本から視線を外した。
「どうなった」
「『彼女がいるから君とは付き合えない』って書いた。はっきりと」
「上等上等」
「そうしたら『来月の面会日に伺いますから、ぜひその方に会わせてください』だって」
「……食い下がるなあ」
カインは呆れたように小さな息を吐いた。
「どうする。ローザを呼んで、頼むか?」
カインの提案にセシルは首をぶるぶると横に振り、おまえには言ってなかったが、と前置きした。
「彼女、ビッグスの妹の友人なんだ。で、ビッグスが言うには、すごく気が強くて、もしローザにそんな役を頼んだりしたら、恨まれてたいへんなことになる、って脅かすんだ」
「誰が」
「ビッグスが」
セシルは、はっと気付き、ごめん、と小さな声で謝った。
「ビッグスにも相談した。以前から知ってるみたいだし」
「そんなこと気にしなくていい。それより、どうするんだ」
セシルは俯いて唇を緩く噛み、何度も舌で湿らせた。
「……それで、相談した結果、おまえに頼もうと思って」
セシルが顔を上げると、カインは無表情のまま小首を傾げていた。
「何を」
「だから……その、か、彼女の役を」
「意味がわからん」
「だから……おまえが僕の……恋人のふりをして……お、女の子の……」
はあ、とカインが素っ頓狂な声をあげ、自分とセシルを交互に指差した。
「……俺が? おまえの彼女に? 男の俺が?」
「してくれないかなあ、って……頼む!」
お願いだ、とセシルは両手を合わせ頭を深く下げた。話にならん、と吐き捨て、カインはベッドに移りどさりと身を投げ出した。
「そんなこと言わずに、頼むよお」
セシルは情けない声を出してカインのベッドに寄り跪き、彼の身体を揺らした。カインは首だけで振り返り、怒りも顕に眉を寄せた。
「バカか、おまえは! 何で俺がそんなことしなきゃならないんだ!」
「頼むよー! カイン! 俺たちからも!」
「ビッグス! ウェッジ! てめえらっ!」
セシルと同じ声色を出しながら、ビッグスとウェッジがノックもせずにがやがやと部屋に乗り込んできた。カインは身体を起こしてベッドの上で胡座をかき、三人を冷たい目で睨んだ。
「おまえらか。こいつに変な入れ知恵したのは」
ビッグスが、ここだけの話、と口に手を添え声を潜める。
「おまえは知らんで当然だけど、おっかない女なんだわ、これが」
「そうそう、ローザとかいう娘には無理だ。何かあったらどうする。ここにいる限り守ってやれないぞ」
ウェッジもビッグスに同意して眉を顰めた。
「何があるというんだ。大げさな」
カインは一笑に付したが、セシルは真剣な眼差しでカインをじっと見つめた。
「ローザに迷惑はかけられない。でも嘘をついたことがわかるとますます迫られる!」
「頼むわ、カイン。それしかないんだよ! 魔の手から逃れるには!」
「おまえならそこらの女以上に期待できるし、な!」
褒めたつもりか、とカインはぼやいて顔を背けた。セシル、ビッグス、ウェッジの三人は、頼むよ、と懇願しながらカインの身体を引っ張り、揺すった。
「ああ、鬱陶しい! 触るな!」
カインの怒声に三人は一斉に手を放した。ふうと大きなため息をついて、カインは三人の顔を順に睨んだ。
「おまえ、俺、いくらあると思う」
セシルがわずかに眉を寄せ、答える。
「一七八センチくらい?」
「もう一八〇越えた。そんなでかい女がいるか」
「大丈夫だ。俺の妹も一七八ある。そう珍しくない」
ビッグスが堂々と言うと、カインは彼をじろりと睨んだ。
「こんな低い声の女がいるか」
「風邪をひいて喉の調子が悪いことにすればいい。そんな怖い顔、するなよ……」
カインの強い視線にセシルは肩をすくめた。
「妹のドレス貸してやるって。なんならあいつも呼んで、髪も結い上げて化粧もしてもらえばいい。な、ウェッジ」
「ああ。絶世の美女誕生だ。よかったな、セシル」
「まだ了承してないぞ! おまえら、絶対、面白がってるだろ!」
「『まだ』だってよ。語るに落ちたな、カイン君」
「あああ、鬱陶しい!」
カインは枕を掴み、ビッグスを打ち付けた。ビッグスも隣のベッドのセシルの枕で笑いながら応戦する。どたばたと騒ぐ彼らを尻目にウェッジが目配せをしてきたので、セシルは彼に顔を寄せた。
「セシル、台本を練って練習するぞ。新しいノート、ノート」
「わ、わかった」
絶対面白がってる……
ウェッジの催促に素直に頷いたが、カインの言うとおりだ、とセシルは嘆息した。
面会日はどうなることだろう。
おっかないという彼女を巧く騙せるかは心配だったが、カインの女装を見られるのは正直楽しみで、セシルはウェッジと楽しげに当日の台本作りに精を出した。
四ヶ月に一度の面会日はいつも賑やかだった。家族や友人、恋人を披露する機会であるだけでなく、普段女性に接する機会の少ない寮生にとっても絶好の出会いの場だったので、皆が胸をときめかせ、いつも以上に念入りに髪形を気遣い身だしなみを整え、品定めをするように、来校者を見守っていた。
「来たぞ。セシル、準備はいいか」
窓から外を窺っていたビッグスが大きな声を出した。
「あ、ああ。カインは?」
「妹がなんか企んでるらしくて、見せてくれないんだよ」
兄の依頼を受けたビッグスの妹は、ドレスの入った大きな箱を携えて開門と同時に寄宿舎を訪れ、カインをセシルの恋人に仕立てるべく、いそいそとビッグスたちの部屋へ篭っていた。自分の困った友人のせいだからお役に立ちたい、と殊勝な顔つきでセシルに挨拶してきたが、口許には隠しきれない笑みが浮かんでいて、セシルは、やはり兄妹して面白がっている、と見抜き苦笑いを浮かべた。ともあれ、彼女の助け無くては今日の計画は進まない。セシルは会心の笑顔で自分よりも大柄な彼女に、よろしく頼む、と頭を下げた。
「お待たせしましたあ!」
彼女が明るい声をあげて扉を開け部屋に入ってきた。待ってました! とウェッジが調子よく囃す。
「見て驚いてよ! お兄ちゃん、私、完敗。女、やめたくなったわ」
「おお、楽しみだ」
向かいのビッグスたちの部屋からはほんの数メートル。皆は固唾を飲んで扉が再び開くのを見守った。
ギイという音を立てて扉が開く。
そこに現れたカインの姿に、皆は言葉を失った。
背中まで伸びた金の髪は上半分が結い上げられ下半分はきれいに巻かれている。耳の横の髪が一束分垂らされ、ふんわりと巻かれ、やわらかで華やかな印象を与える。青いドレスは彼の眸と同じ色で、色の白さをいっそう際立たせる。ドレスと同じ色の石が散りばめられた首飾りは、喉仏を隠すために巻かれているのだろう。
俯いていたカインが顔を上げる。涙形のイヤリングが小さく揺れる。彼の顔を正面から見てセシルはさらに驚き、思わず声が出た。
「おばさん……」
「おまえ、何言ってんの!」
ウェッジが呆れてセシルの腕を肘で突付いたが、当のカインはにんまりと微笑んだ。
「やっぱり、似てるか」
「……ああ。驚いた。心底」
目の前のカインは、セシルの幼い日の記憶に残る、彼の母にそっくりだった。二人の様子を察したウェッジが、ああ、と納得の声を上げた。
「ああ、母上様ね」
「そういうことだ」
それにしても歩きにくいな、とカインはドレスを蹴飛ばすように大股で歩き、椅子に腰掛けた。
「カインさん、脚! 言ったでしょ!」
ビッグスの妹が声を荒げると、カインは慌てて大きく開いていた脚を閉じて揃えた。
「手でに口許を隠すように。そうそう。笑うときとか、忘れないでね。扇子を使ってもいいわ」
「面倒くさい」
カインはうんざりしたようにため息をついて、机に肘をつき頬を支えた。
「どうしたの、みんな。言葉もないの」
「も、もしかして、化粧……」
「ええ、ほとんどしてないのよ。奇蹟でしょ!」
妹が鼻息を荒くした。
「だってするところ無いんだもの。眉が凛々しいから少し剃っただけ。肌は抜けるように白くてすべすべだし、睫毛は長いし、頬はほんのり薔薇色だし、唇もぷるんぷるん色づいてるし。もう、嫌になるわ……」
これだけ美しく装っているのに、カインは素顔だった。髪を結い上げドレスを着るだけで、本物の女性のように見えるカインに見惚れ、男たちはさらに感嘆の息を吐いた。
「あまりじろじろ見るな」
照れ臭さにさっと頬を染めた顔もいつにも増して美しく、男三人はもじもじと俯いた。
「ど、どうだ、セシル」
ウェッジが隣のセシルを肘で突付いた。
「や、やっぱりきれいだな」
「くっそー、何でおまえ男なんだよっ!」
歯噛みするビッグスを、何言ってんの、と彼の妹がけらけらと豪快に笑った。
セシルはカインの豊満な胸を指差した。
「む、胸は?」
カインはふっと微笑んで、胸許に手を突っ込み「詰め物」を取り出した。
「これだ」
「パン!」
「あとで希望者に進呈するか」
カインの言葉に男たち三人は反射的に手を挙げ、互いに顔を見合わせた。
「おまえら! 冗談を真に受けるな! こっちが照れるわ!」
カインが大きな声を出すと、ビッグスの妹が、しとやかに、と彼をたしなめたので、カインは口に手を当て、おほほ、と白々しく笑った。
「やり過ぎですって」
「面倒くさいな」
カインは取り出した扇子で火照った顔をバタバタと扇ぎ、勢いよく立ち上がった。
「セシル、行くぞ。早く終らせて、この鬱陶しい服をさっさと脱ぎたいからな」
「え! 最終の練習は?」
「俺は本番に強い男だ」
大股でどかどかと歩き出したカインだったが、廊下に一歩出るなりセシルを前に押し出し、その半歩後ろからセシルと腕を組んでしとやかに寄り添った。おお、と他の学生たちのどよめきとざわめきが走る。
「満更でもなさそうじゃないか……」
「今日の面会日の話題、独占ね」
兄妹は顔を見合わせにやりと微笑んでから、ウェッジと共に二人の後を追った。
ことの顛末を聞いて、ローザは声を殺して笑いながら目尻に浮かんだ涙を拭った。
「カインのドレス姿、見たかったわ」
「二度とするか」
カインは憮然としたまま紅茶を啜った。
「それでどうなったの? その人、納得したの? 諦めたの?」
「それが……」
セシルも笑いを耐え切れず肩を揺らした。
ガタンと大きな音を立てて椅子を引いて立ち上がり、カインは、来い、とローザの愛猫に手招きしてキッチンへと消えてしまった。
「あーあ。怒っちゃった」
「いいよ。ほっとけば」
「それで、それで?」
好奇心丸出しで尋ねてくるローザに、セシルはわずかに眉を寄せた。面白がっているだけなのか、少しは妬いてくれているのだろうか。
「それで『二人きりにしてくれ』って言われて、僕はその場を離れた。もちろん僕たちは隠れて見ていたけどね」
「直接対決ね」
「ああ。そうしたら、なんと……」
セシルはわざと言葉を切ってもったいぶり、ローザに意地悪く微笑んだ。
「ああん、早く早く!」
ローザに先を急かされ、セシルは女の声音でしなを作り、両手で自分の左胸を押さえた。
「『なんて美しいの! 私、あなたのような素敵な人は初めて! お友だちになってくださらない?』って、カインの手を取って、こうやって、自分の胸に押し付けたんだ」
「え、胸に? どういうこと?」
「『ね、ドキドキしているでしょう。あなたのも触っていいかしら』って。もちろん、パンを触らせるわけにはいかないから、カインも大慌てで仰け反って……」
「え! ということは、女の人も好きなの? その人」
セシルは思い出し笑いに腹を押さえながら、そうらしい、と頷いた。
「カインは堪らず逃げ出して、それを彼女が追いかけて、カインはドレスを踏んづけて転ぶし、そこに馬乗りになった彼女をビッグスが後から羽交い絞めにしたのに、ぶん投げられるし、で、もう大騒ぎさ」
「すごい! それ、おかしい!」
ローザも両手を口に当て、声を引き攣らせて笑ったあと、ぜえぜえと息を整えながら、お代わりをもってくるわ、とポットを手に席を立った。災難だったわね、とローザがカインに声をかけ、キッチンで猫に餌を与えているであろう彼が、ひどい目にあった、とうんざりして応える声が聞こえてきた。
ローザには黙っていた、あの日の二人の会話を思い出し、セシルは頬を緩めた。
「セシルさんを愛してらっしゃるの?」
「……愛とかまだわからないけれど、お、私にとってかけがえの無い大切な人だ、なの」
あれは演技などではなかった。
少しはにかんで、だが毅然と彼女に告げたカインの言葉を思い出すたびに、セシルの胸には温かなものが満ちてしあわせな気分になるのだった。
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そらさんからのリクエスト
「女装……仕官学校時代、男子いっぱい校ゆえに文化祭めいたイベントでお約束のミスコン、的な」でした。
楽しそう! と書き出したら全然ミスコンになりませんでした(汗) FFシリーズおなじみのビッグス&ウェッジとはいえオリキャラ度高し。なんという女傑!
書いている本人ノリノリでした。ありがとうございました。
2009/03/08