頼りなく若い日々

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2

 ミシディアからの団体を迎えて行われた異文化交流は無事全日程が終了し、夕食後の自由時間を俺は窓辺で本を読んでくつろいでいた。少々行儀が悪いが、足を窓枠に投げ出して、ゆったりとしたソファとはいかない固い椅子に浅く腰掛け重心を後ろへ倒し、セシルがいつも「神のバランス」と呼ぶ椅子の後足二本だけで支えた態勢が俺のお気に入りだ。
 しばし本の世界に没頭していると、セシルが息を弾ませ部屋に飛び込んできた。
「カイン! パーティーに行かないか」
「パーティ? 何の?」
 いきなり現実に引き戻された俺は、唐突な誘いに無愛想に返した。
「ミシディアの団体の」
 俺たち士官学校生がその団体の滞在中の警護にあたっていたので大まかなスケジュールは知っていたが、パーティーのことは知らなかった。第一パーティーって夕食後にするものか?
「それ義務か?」
「いや、ウェッジとビッグスに誘われた。来てくれって」
「なら、行かない」
 俺はまた本に目を落とした。
「なんで!」
「おまえ、行ってこいよ」
「おまえが行かないなら僕も行かない」
 俺はブラブラさせていた椅子を元の位置に戻し、セシルの顔を見上げた。
「何だ、それ。俺は関係ないだろ。行きたけりゃ行ってこいよ。自分で決めろ」
「関係ある。おまえが行くなら僕も行く。行かないなら僕も行かない。僕がそう自分で決めた」
 俺は思わず大きな声を出しそうになるのをぐっと堪えた。普段素直でお人よしのセシルだが、妙に頑固なところがあって理屈が通らないときがあるから、敢えて静かにゆっくりと言ってみた。
「俺は、パーティより読書がしたいから、行かない」
「じゃあ、僕も行かない」
「『じゃあ』じゃないっ!」
「何怒ってるんだ」
 俺は頭を抱えた。このままやり過ごしてもよかったのに、確かに俺はムキになっていた。セシルが踵を返しドアノブに手をかけた。
「ウェッジとビッグスに断ってくる」
「……何て?」
 まさかとは思うが……
「何って、そのまま。カインが行かないから僕も行かない、って」
「ちょっと待て」
 俺は椅子から立ち上がりセシルのそばに寄った。
「俺はいい。俺は『頭が痛いらしい』でも『読みたい本があるらしい』でもいいから何とでも言っといてくれ。おまえはおまえ自身の理由を言え」
「だから、さっきから言ってるじゃないか」
「じゃあ訊く。何でおまえは俺と一緒でなきゃ行かないんだ?」
 俺は口数の多い方ではないし座を盛り上げるタイプでもない。一緒にパーティーに行って楽しいはずはないのだ。セシルにとって俺が唯一の友人というわけでもない。入学当初はともかく、人当たりのやわらかい彼は皆に好かれ、友人の数もそれなりのはずだ。
 セシルは少し驚いたような顔をして、戸惑ったように、答えにならない答えを返してきた。
「何でって……おまえと一緒のほうが楽しそうだし」
「俺は、騒がしいのは楽しくない」
「そんなに騒がしくないって。十対十だから二十人くらい」
「充分騒がしいって……」
 ふと引っ掛かりを感じた。
「十対十って?」
「んーと、男女比」
 そうか。これはパーティーというよりむしろ……
「ウェッジたちに『本当はおまえは呼びたくないんだけど』とか言われなかったか」
「カインすごい! 当たり。正確には『おまえらは』だったけど」
 俺はため息をついた。何のことはない。頭数合わせにされただけだ。ならば尚更、気乗りしないものに行くわけにはいかない。
「おまえ、どんな集まりかわかってるか?」
「どんなって、ビッグスの妹の友達があれに来てて、きれいな娘たちがいるからって」
「昼間見たけど、いたかあ?」
「あ、僕、それはあんまり関心ないから。ビッグスにも言ったし。そんなことより楽しく話ができる友達ができればいいかなって。世界各地に友達がいるのって素敵だと思わないか」
 どうやらセシルは他の奴らのように下心があるわけでなく、純粋に友人を欲しているのだとわかり少し安堵した。お人よしで純粋な彼が世俗に染まっていくことを良しと思う気持ちと残念に思う気持ちが俺の中にある。人は純粋なまま生きられない。特に軍人になる俺たちにはそれが命取りになることもある。命まで取られないにしても、セシルはいつかきっとひどく傷つく。
「カイン?」
 黙ってしまった俺の顔をセシルが覗き込んできたから、そうだな、とだけ返した。セシルは満面の笑みを浮かべた。
「第一、カインよりきれいな娘、いるわけないだろ」
 俺は、手にしていた本をうっかり落としかけた。掴み損ねた本が空中で跳ねる。セシルの手がすっと伸びて本をしっかり捕らえ、俺に手渡してきた。
「ビッグスにも言ったんだ。『カインよりきれいな娘なんていないだろ?』って」
 頭がくらくらしてきた。何故そんなことを訊くんだ。俺はこめかみを押さえながら尋ねた。
「で、何て」
「いない、ってビッグス即答。何か困った顔してたけど」
 あたりまえだ。困惑したビッグスの顔が目に浮かぶ。というか真面目に答えるな、ビッグス。もうセシルを諭す気力も失せてきた。
「そうか……」
「だから、行こう」
「嫌だ」
「じゃあ行かない」
 これでいいのだろうか。彼が広く友人を作る機会を俺の頑なさが奪っているようで、小さな罪悪感さえ生まれてきた。
「セシル、よく考えろ。本当にいいのか? 友達、欲しいんだろ?」
「十人の友達より一人のおまえ、だから。百人でも千人でも」
 うれしくないはずはないが、面と向かって言われると面映いことこの上ない。それが冗談ではないことは、セシルの真顔を見れば明らかで、俺は頬が紅く染まるのを見られないようにゆっくりと俯いた。
「僕がわいわいやってるのに、おまえはこの部屋でひとりなんて、考えても嫌だ」
「お、俺は好きで残るんだ。そんなこと考えなくていい」
「だから行かない」
「俺は本の続きを読むから。おまえの相手はしないからな」
「いいよ。子どもじゃあるまいし」
「勝手にしろ」

 俺はベッドに身を投げ出し、先ほどまで読んでいたページをめくった。勝手にするよ、とセシルもベッドの下から箱を引き出し作りかけの模型を取り出すと、組み立てに没頭し始めた。
 特に言葉を交わすでもない時が流れる。それは居心地の悪いものではなく、気心を許した者同士が持つ空間で、俺はすぐ近くに彼の存在を感じながら、先ほどのやりとりを思い巡らす。
 彼は純粋さ故にいつか傷つく。純粋さ故にいつか誰かを傷つける。

「あ! 断るの忘れてた!」
 突然立ち上がり模型を箱に収めるとセシルは、ちょっと行ってくる、と慌てて部屋を飛び出して行った。
 そのままビッグスたちに捉まって参加させられるのもいいかもしれない。それとも、皆の誘いを振り切って戻ってきた彼に「顔だけ出してみるか」と持ちかけたらどうするだろう。「せっかく断ってきたのに」と口を尖らせるか、破顔して俺の袖を引っ張り「早く早く」とはしゃぐのか。
 想像すると自然に笑みがこぼれたので、俺は本の位置を上げて、だらしなく緩んだ口許を隠した。








2008/03/20

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