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前編

「おめでとうございます。六週ですよ。だいたい」
 言われた意味がわからず、俺は首を傾げたが、雇われ科学者の男が祝いの言葉を述べる理由など一つしかない。もしかして、そういうことなのか? ついにきたの か?
「六しゅうって何が……」
「でかした!」
 訝る俺とは対照的に、声を弾ませた彼は俺の背後から、窒息しかねない勢いで抱きしめてきた。馬鹿力! 骨が折れちまう!
「ち、ちょっと! くるしい……」
「おおお、すまん、すまん。大事な身体を」
 彼は慌てて抱擁を解き、俺の顔を両手で挟みぐいっと自分の方へ向け、額に瞼に頬にキスの雨を降らせてきた。人前で何してくれてるんだ! 
 唇を尖らせて迫ってくる彼をなんとか引き剥がし必死に取り繕おうとしたが、科学者は男二人の暑苦しい戯れに見て見ぬふりをして書類をめくっていた。 
「何がって、おめでたですよ。最終月経から計算するわけにはいかないので、術後二週で受精したとして、六週というところですかね」
 科学者は、することしたんでしょあんたたち、とでも言いたげな口ぶりだった。

 俺、妊娠したのか……
 ふらっと気が遠くなりかける。手術を受けるには受けたが、本当に妊娠可能な身体になったのかは半信半疑だったのだ。科学者が何やらくどくどと話しているが、 頭は空回りして、まったく耳に入ってこない。

「――なりますから、忘れないでください」
「なるほど」
 何の話か聞き逃したが、彼がちゃんと聞いているようなので、後で聞けばいいだろう。
「出産予定日はこれまでの事例でいきますと平均で二十四週ですから……一二六日後です。魔物の種類によって差異が出ますが、まあ、そんなところでしょう」
 赤ん坊ってそんなに早く生まれるものなのか? ローザはもっと長かったように記憶しているが。
 思わずそう口にすると、科学者は何やら書類を見ながら鼻息を荒くした。
「そこが、魔物の素晴らしいところです。栄養吸収率が高いため成長も早く、妊娠期間が人間に比べて格段に短いんですよ」
 最悪の不安がむくむくと膨れ上がる。
「いや、それじゃあ魔――」
「大丈夫ですよ。まごうことなくお二人の子ども、人間の胎児です。ただ――」
「ただ、何だ?」
「ただ、何だ?」
 俺と彼は同時に問いただした。彼は答えを急かすように、俺はもったいをつけるため一旦言葉を切った男を非難するように。
「調べましたところ、ご主人の遺伝子が少々変わっていまして……それが原因なのかはわかりませんが、六週と言っても八週いや、九週くらいの成長と考えていただ いたほうが……」
 そんなことか、とばかりに彼は、ふん、と鼻を鳴らした。
「私は半分宇宙人だからな」
「……これは!」
 科学者はくしゃりと顔を崩し、ご冗談を、と声を上げて笑い出した。
 いや、冗談でも何でもないんだが。
 俺と彼は顔を見合わせ、どうする、と視線だけで会話を交わしたが、彼は静かに首を横に振った。

「それはともかく、他に注意することはないか」
 男は馬鹿笑いをやめて何度か咳払いしたあと、机の上に置いてあった冊子を彼に寄越した。
「一般的な女性の妊娠と少々異なりますので、こちらにまとめてあります。よく読んでおいてください。予定日も、先ほどの理由から、一〇〇日前後に設定しておき ましょう」
 男は俺に向き直った。
「それと、奥さん」
 誰が奥さんだ。口には出さず不快を顔に出してやる。
「妊娠中はストレスが大敵です。心穏やかに過ごしてください」
「……わかった」
「ご主人、大事なことが」
「何だ」
「妊娠期間中、性交は厳禁です」
 彼は明らかにショックを受けたようにうろたえた。
「納得いかん。安定期なら構わないだろう」
「短いだけに、その安定期が無いのですよ。奥さんとお子さんが大事なら我慢してくださいよ」
「……言われるまでもない」
 彼は不承不承聞き入れた。

 腹にそっと手を当てる。本当にこの中にいるのか? これからどんどん膨らんでいくのか? 
 意識したからなのか、急にぐるぐると目が回り吐き気を催し口を片手で押さえた。青ざめる俺を見て、彼も慌てた。
「もう、つわりか!」
「順当ですな。成長具合からすると」
 科学者は俺に撥水加工を施した袋を差し出した。

 結局、朝食ったものも全部吐き出したというのに、胸のむかつきは止まず身体のだるさが尋常ではない。彼はぐったりとした俺を、何度も断ったのに、横に抱き上 げ、挨拶もそこそこに辞して飛空艇に戻った。
 初めての感覚に俺は苛立ったが、とにかく気分が悪すぎて、愚痴の一つも言えなかった。それよりも、心配そうな眼差しと口許に笑みを湛えて甲斐甲斐しく俺の世 話を焼く彼を見ていると、愚痴なんてどうでもよくなってきて、目一杯わがままを言って甘えてやろうか、と考え始めた。
 俺のつわりは一週間ほどで収まった。後でローザに尋ねたら、それは驚くほど短い期間だったらしい。



 その後はあっという間に日々が過ぎた。
 すぐ腹が減るのでいつも以上に食っていたが、腹の中の子に栄養を取られるからか、さいわい心配したほど太らなかった。むしろ、動けないぶん筋肉が落ちて痩せ てしまった。「まるで寄生虫を飼ってるみたいだ」と言ったら、彼に怒られた。


 腹の内側がうねるように動いた。「もぎゅ」とか「もこっ」といった、これまで経験したことのない感じだ。
「動いた」
 俺の呟きを聞きつけ、夕食の支度をしていた彼がキッチンからすっ飛んできた。床に跪き大きな手を俺の腹に当て、じっと意識を集中させている。ぼごん、とまた うねった。彼は感極まったように俺の腹に口付け、ゆったりと抱き締めてきた。そうしてしばらく俺たちは長椅子の上で抱き合っていた。言葉を交わさずとも、穏や かで満ち足りた時間が流れていく。
「火は?」
 一足先に現実に戻った俺が尋ねたのと同時に鍋の噴く音が聞こえてきて、彼は慌ててキッチンに駆け込んでいった。横着してここからブリザドを唱えなかったの は、進歩といっていいだろう。


 週に一度俺はバブイルの塔を訪れ診察を受けた。もちろん彼も付き添った。経過は順調で問題なし。
 その日は新しい機械で腹の中の様子を見せてもらった。そんなこともできるのかと感心したが、モニタの中の映像は何がなんやらよくわからない。それでも科学者 の男は画面を指差し「男の子ですね」と言った。
 そりゃそうだろう。男同士から女が生まれるなんて不毛過ぎる。二人ともそれは信じて疑わなかった。


 最後の一ヶ月、俺はほとんど寝たきりだった。体調が悪いわけでなく、心配性の彼によって寝室に軟禁されていたと言っても過言ではないだろう。育児書を読む以 外する こともなく退屈だったが、結果、それでよかった。しょっちゅう訪れるセシルは、ベッドにいる俺を見て「腹のでかいおまえを見たかったのに」と不満を露わにし、 出産準備品を持ってきてくれたローザは「お腹を触らせてもらおうと思ったのに」とぼやいたからだ。
 俺の膨らんだ腹を見て触っていいのは彼だけだ。彼は「父親の声を憶えさせるのだ」とか何とか言って、毎晩俺の腹に顔を寄せ、せっせと話しかけていた。てっき りセオドアに接しているように幼児言葉ででれでれと話すかと思ったらそうではなく、大人に話しかけるように理路整然と、自分がいかに心待ちにしているかとか、 早く一緒にどこそこに行こうだとか、月の民と青き星の民の違いだとか、黒魔法を唱える心構えまで語っていた。
 なるほど、無責任に可愛がるだけの甥と違い、きちんと「教育」を念頭に入れてやってるのか。早過ぎるだろ。


「溜まってんだろ」
「問題ない」
「手でしようか。口がいい?」
「……大丈夫だ。楽しみは取っておく」
「辛抱強いことで」
 俺が先に口にしたことだが、断られて内心ほっとした。まったく性欲が湧いてこないからだ。産後の反動が怖いな…… 自分のことながら背筋が寒くなった。


 こいつは遠慮なくぼこぼこと俺の内臓を蹴り上げる。胃を蹴られて吐き気を耐える。世の母親は皆こんな経験をしていたのか。彼女らに敬意を払うとともに、俺は ふと、死んだ母親のことを思い出し、乳母の一人が言っていたことを思い出した。身体の弱かった母の妊娠出産は命に関わると反対されたが、彼女の意思は固く「命 に代えてでも産む」と毅然とした態度で周囲を説き伏せたそうだ。
 毎夜腹の中の子に、夫に愛され自分がどんなにしあわせか、彼を愛してどんなにしあわせか、を語って聞かせていたという。
「あなたもいつか大切な人と巡り会えますように。その人を愛し愛され、しあわせになりますように」
 その言葉は、俺の目頭を熱くした。もし母親が生きていたら、男同士だとか関係なく、伴侶を得て子を成した俺に大喜びしてくれただろう。
 意味もなく辺りを見渡してから隣で眠る彼を起こさないように、ごく小さなささやき声で腹に手をやり話しかけた。
「おい。夜は静かにしろ。寝かせてくれ」
 動きが止まった。いや、偶然だ。いや、もしかしたら、成長も早いのだからちゃんと聞こえて理解しているのだろうか。そんな馬鹿な。聞こえていたとしてわかる わけがない。
 それでも俺は亡き母がしたように、彼に愛され自分がどんなにしあわせか、彼を愛してどんなにしあわせかを、ようやく芽生えた慈しみの言葉とともに繰り返し語 りかけた。




 目覚めると、俺の手を握った彼と、その後ろにセシルとローザの顔がぼんやりと見えた。
「気分はどうだ?」
 口の中が乾いてうまく声を出せなかったので、俺は瞬きと頷きで返事に代えた。
「ご苦労だった。ありがとう」
 何を労われているんだ? 何故礼を言われたのかわからず眉を寄せる俺に、彼は視線だけで示してきた。
 視界の端に入ったものに俺は驚愕し、ゆっくりとそれに顔を向けた。俺が寝ているベッドの隣に透明の枠がついた小さなベッドが置いて あった。
 セシル夫妻が「おめでとう」と笑顔で祝いの言葉をかけてくれた。

 そうか。今朝俺は突然陣痛に見舞われ、バブイルの塔に運び込まれたのだった。手術に備え全身麻酔を受け、意識が薄れて……

 本当に俺が産んだ子なのか? 俺を構成している要素が一ミリも無い、まるで彼のコピーのような小さな物体がそこにいた。












2016/07/18
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