見えない絆

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 意気消沈している仲間のために、ローザは、ちょっとした食事会を催すことをセシルに提案した。ドワーフ城のクリスタルを奪われたことに責任を感じ落ち込んでいたセシルは、その提案に気が乗らなかったが、それをリディアとの久々の再会を祝う席にしたい、というローザの願いを受け、それなら、と納得し、皆に声をかけた。
 そうして設けられた食事会、このときばかりは神経を磨り減らすような日々を忘れ、円いテーブルを囲み和やかに談笑しつつ、皆は次々と皿を空にしていった。
 わずかの間に大人に成長してしまったリディアに四人は戸惑いはしたけれど、話をするうちに、子どもの純粋さと率直さ、生来の頭の良さから来る思慮深さ、大人と子どもが混在するリディアとの会話に皆夢中になった。
「カイン、もう食べないの?」
 リディアが小首を傾げ、隣に座るカインと彼の前に置かれた皿へ交互に視線を送った。リディアの言葉で、皆の視線がカインに集まる。
「いや、食ってるよ」
「さっきから減ってないよ。男の人はもっと食べなきゃ。ヤンを見て」
 いきなり引き合いに出され、ヤンは嚥下しかけたパンを詰まらせ咳き込んだ後、グラスの水を一気に飲み干した。
「ほらね」
 くるくると笑うリディアの隣から、ローザが心配そうに声をかけた。
「食欲無いの? 顔色も悪いわ」
「いや、なんともない。大丈夫だ」
 セシルは、隣の席からカインの横顔を窺い見た。彼の顔は青白く、青い眸の輝きは鈍く、明らかに疲労の色を濃くしている。
「休んだ方がいいわ。それとも何か治療を」
「大丈夫だ」
「ローザ」
 うるさく構われることをカインは嫌がる。彼が「大丈夫だ」と言うからにはそのように接した方がいい。このような席に参加すると決めたら、自分の体調不良を理由に中座するようなことをカインは決してしない。無理をして、笑顔を引き攣らせてでも、その場の雰囲気を乱さないように努める。セシルにはそれがよくわかっていたから、カインを心配するあまり世話を焼こうとするローザを、制しようとした。
「疲れているのよ。部屋に戻る?」
「ローザ、カインが『大丈夫』って言ってるんだから……」
「リディア」
 セシルとローザをよそに、カインはリディアに向き合った。突然名まえを呼ばれ、リディアは小首を傾げた。
「まだきちんと言っていなかったことがある」
 カインはそう切り出して、息を大きく吸い、吐き出した。
「知らなかったこととはいえ、俺はおまえの母親を死なせてしまった。謝って赦されることではないが、本当に申し訳なかった」
 深々と頭を下げるカインにリディアは慌てた。
「やめて。もういいの。セシルにも言ったけど、仕方なかったの」
「それなのに、仇にも等しい俺たちに力を貸してくれて……」
「違うの。これはみんなの戦いなの」
 顔を上げて、とリディアはカインの手を取り、両手でカインの手を包み込みこんだ。
「だから、カイン。私に謝らないで。いまはみんなが力を合わせて、ゴルベーザを止めることだけを考えて」
「リディア……立派になったな」
 カインはリディアの髪をくしゃくしゃと撫でつけた。いやあ、とおどけて逃れようとする彼女の様子にローザとヤンが微笑む中、セシルは、宿敵の名を耳にしたカインの表情が、瞬間、焦がれるような切なさを見せたことを見逃さなかった。

 会をお開きにし、ローザとリディアと別れ部屋に戻るなり、カインは長椅子に倒れこんだ。セシルとヤンは彼の軍靴を二人がかりで脱がせ、二人がかりで肩に担いで彼をベッドに寝かせた。
「やはり具合が悪かったようだな」
 ヤンがカインを見下ろして言った。
「無理するから」
「要らぬ差し出口かもしれないが、これも奴の洗脳と因果があるのでは」
 さっと顔色を変えたセシルに、ヤンが慌てて、申し訳ない、と頭を下げたので、セシルも慌てて彼の頭を上げさせた。
「いや、そうなんだ。僕もそれが心配なんだ。でもこればかりは……」
「うむ。彼が自身で乗り越えなければ……」
 二人はカインを見下ろしたまま、それ以上何も言えなかった。





「これが……」
「黒竜だ」
 グルルと唸りながらとぐろを巻いたその姿は、竜というより巨大な蛇のようだ。
 とても乗れそうにないな。竜騎士の乗る飛竜とはまるで異なるその姿と禍々しさに、カインは眉をひそめた。
「おまえが知る竜とは違うだろう」
 心の中を見透かされたようでぎょっとする。
「そうですね」
 カインは恐る恐る、ゴルベーザが呼び出した黒竜に手を伸ばしてみた。
「やめておけ。食いちぎられるぞ」
 慌てて手を引っ込める。黒竜はゴルベーザの方を向き、先ほどとは半音ほど違う高さで唸った。
「戦いでもないのに呼び出すなと怒っている」
「会話ができるのですか」
 カインは再び驚いた。自分には不気味な唸り声にしか聞こえないそれが、主との意思伝達の手段らしい。しかも、召喚された獣が召喚主に対して怒ることなどあるのだろうか。
「従順なしもべというわけにはいかない。召喚はある種の契約だからな」
 カインは三たび驚いた。自分の何もかもをお見通しの主に畏怖の念を強くすると同時に、その彼の配下でいることの絶対的な安寧、その心地良さに浸った。
 突如、黒竜がカインの周りをぐるぐると周り始めた。締め付けられるのではないかと身を硬くして構えたカインだったが、黒竜は、螺旋を描くようにカインの周りを飛び廻るだけで、やがてそれに飽きたのか、ゴルベーザの許へ戻っていった。
 またグルルと半音高い唸り声。首を横に振った主が小さな声で何か唱えると、黒竜は霧が晴れるように突然消えてしまった。会話の内容を教えてもらえると思いカインはそのままじっと待っていたが、ゴルベーザは独り言のように、虚空に呟くだけだった。
「しもべどころか、要らぬ詮索までする……」
 黒竜の行動も主の言葉もわけがわからず、カインはただ首を傾げるだけだった。





 セシルとヤンが小さな声で今後の打ち合わせをしていたところ、カインは身じろぎ、寝惚け眼で身体を半分起こした。
「大丈夫か」
「……セシル、ヤン。寝ていたか? 俺」
 顔にかかる前髪を払い、カインは何度も睫毛を瞬かせた。
「ああ。戻るなり、ね」
「今夜はゆっくり休んだ方がいい」
「……そうするよ」
 ヤンの言葉に素直に頷いて、カインは再び横になり、重い息を吐き目を閉じた。





「月に?」
 珍しくまどろみに誘われることもなく、カインはうつ伏せたまま顔だけを上げ、自分の隣でベッドヘッドに重ねた枕を背に当て脚を投げ出しているゴルベーザを見上げた。
 何故クリスタルを集めるのか。かねてからの疑問を思い切ってぶつけてみたカインに返された答えは「月に行く」というものだった。
 この世にはもう一つ別の世界があること、そこに闇のクリスタルと呼ばれる四つのクリスタルがあること、八つのクリスタルが揃うと月への道が開かれること、カインには初めて聞くことばかりで、いつの間にか身体を起こしシーツを引き寄せ身を乗り出して、主の話に聞き入っていた。
「月に何が……」
「行けばわかるだろう」
 何か強い気持ちがゴルベーザを突き動かしているのだということは理解できたが、主の答えにカインは拍子抜けした。ぽかんと口を開けたままのカインの様子に、ゴルベーザは息を吐くだけの笑いを漏らした。
「月へ行くことは、私の子どもの頃からの夢なのだ」
 主が自分の過去を、ましてや子どもの頃のことを自分の前で話すのは初めてで、カインは、喜色が顔に出ないように口をしっかり閉じ、唾を飲み込んだ。
「ほんの子どもの頃から、何かが私を呼ぶ声が聞こえていた。『月へ来い』と。夢の実現か目的の達成か、そんなことはどちらでもいい。月には人知を超えた力が眠っている。私は月へ行かなければならない」
 突拍子もない、カインには理解できない話だった。でも、何かが自分を呼んでいる、という感覚はわかる。
 黒い兜の奥の双眸は何を見つめているのか。ドーム型のガラス張りの天井越しに見える、鈍い光を放つ銀の月か。カインはふとセシルの銀の髪を思い出した。月の光を浴びた銀色は、この世ならざる不思議な煌きを放っていてたことを。
「カイン」
 不意に名を呼ばれカインは肩をそびやかした。主は何でもお見通しで、いま、敵であるセシルのことを考えていたことも見透かされているとしたら、咎められるだろうか。
「これをおまえに預けよう」
 カインは安堵の息を吐き、主が差し出してきた赤い石を受け取った。
「マグマの石だ。これは別の世界へ行く鍵になる。そのときが来るまで、持っていろ」
「わかりました」
 ほんのりと熱い赤い石。掌の石を目の高さにまで上げてしげしげと眺めていたカインを、ゴルベーザは背後から抱き寄せた。
「おまえも連れて行ってやろう」
「どこまでもお傍に」
 ゴルベーザの広い胸に背中を預け、彼の鼓動を聴き取ろうと首を傾け目を閉じたが、硬い甲冑越しではそれを聞くことはできなかった。
「何を考えている」
 耳許でゴルベーザが囁いた。
「……いえ……何も」
 首を横に振って俯いたカインに、ゴルベーザはそれ以上何も言わなかった。
 腹に回されていたゴルベーザの手がカインの下腹部に伸ばされる。カインは、反射的に身体を前に倒し、主の手の動きを阻もうとした。
「……ゴ、ゴルベーザ様……もう、これ以上は……や、やめ……」
 力なく訴える声を無視してゴルベーザは、何度も精を吐き出しすっかり萎えてしまっていたカインのものに長い指を絡めた。やがて身を火照らせたカインが自分から脚を開き腰を突き出すまで、ゴルベーザの指は容赦なくカインを責めたてた。




「カイン、カイン」
 荒い息を吐き、苦しそうに寝返りを打ちうなされている姿に、セシルは、彼の肩を揺り動かし起こさずにはいられなかった。
 カインはゆっくりと目を開け、夢か現かよくわかっていない様子で何度も睫毛を瞬かせる。
「カイン」
「……セシルか」
 ようやく焦点の合った目が自分を見つめてくる。セシルは大きく頷いて、一つ向こうのベッドで眠るヤンを起こさないように、小さな声で言った。
「ひどくうなされていた。悪い夢でも見たか」
「……夢」
 そうだな、とカインは自分の腕で目許を覆った。
「……セシル、悪い。水を」
「ほら」
 既に用意していたグラス一杯の水を、彼の顔の前に差し出し、冷たいグラスの底を彼の手首に当てた。カインはのそのそと起き上がり、グラスを受け取るとそれを一気に飲み干し、ちょこんと頭を下げた。
「ありがとう」
「汗だくだ。ちょっと待ってろ」
「いや、いい」
 カインの声を無視して、セシルはバスルームからタオルを持ってきた。カインのベッドに浅く腰掛け、彼の額に浮かんだ汗の粒をタオルでそっと押さえてやる。意外なほどおとなしく、カインはされるがままになっていた。少し仰のかせ、首筋の汗を拭きながら、彼に目を合わせず、セシルはわだかまりを吐き出した。
「何か、何か聞いたのか。奴の……僕たちには聞こえない……その、頭の中に直接というか、何か……」
「いや。何もなかった」
 まとまりのないセシルの話を、カインはきちんと理解し、短く答えた。セシルは、自分の問いかけにカインは取り合わないか、機嫌を悪くするか、怒り出すか、いずれにしてもまともに答えてくれないと思いつつ口にしたことだったので、いつにない彼の従順さに驚き、汗を拭う手を止め、彼の青い眸をまっすぐに見つめた。
「さすがに手強かったな。倒したと思ったのに、執念の差か……」
 ゴルベーザとの戦いを淡々と振り返るカインに、セシルは、食事の席で彼が見せた表情は、自分の思い込みによる見間違いで、ゴルベーザに拘泥しているのは自分の方ではないのかと思い、気が滅入ってきた。
「すまない。変なこと言って」
 セシルの謝罪にカインは首を横に振った。
「気にするな。ただ」
「ただ?」
「怒りも憎しみも戸惑いも恐れも、何も湧いてこなかった。本当に」
「カイン……」
「槍にも手ごたえが無かった。確かにダメージを与えているはずなのに、まるで現実感がなかった。何だろうな、これ」
 カインは自分の両の掌をじっと見つめた。
「むしろ夢の方が生々しい感じだ。起きたら憶えてないんだけどな」
 自嘲するように苦笑いを浮かべたカインを、セシルはベッドに膝立ちになって、抱き締めた。
「セシル?」
「僕は? 僕がこうしていても現実感がないか?」
 腕の中で彼を揺さぶると、カインはセシルの胸に頬を摺り寄せ、頷いた。
「わかってる。聞こえている。おまえの心臓の音も」
 セシルは、胸にもたれかかってきたカインの少し湿った金の髪をやさしく撫でた。
「カイン……ゆっくりでいいんだ。ゆっくりで」
「……わかってる」
 彼のこの混乱が、ヤンの言うとおり、ゴルベーザによる洗脳の名残なのかセシルにはわからなかったが、いまこの瞬間、彼を腕の中に抱いているのは自分なのだと思い知らせるように、腕に力を込め、カインの額に乾いた唇を落とした。
「セシル」
「ん?」
「するのか?」
 カインのあけすけな問いかけにセシルは苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「今夜はこうしているよ。おまえが眠りに就くまで」
 ヤンが起きちゃうだろ、とセシルが付け足すと、カインも、それもそうだ、と頷いた。
 いまのカインは、道に迷った子どものように、ひどく不安で頼りなげに見えて、身体を重ねる気にはならなかった。もっとも、そう口に出せば、カインは眉間に皺を寄せ不機嫌になるだろうから、セシルは何も言わず一旦身体を離し、彼をベッドに横たえシーツをかけ、胸許をぽんぽんと軽く叩いた。
「子どもじゃあるまいし」
「一緒に寝ようか。子どものときみたいに」
 セシルがシーツの中に潜り込むと、カインは、好きにしろ、と言いつつ背中を向けるわけでなく、セシルに向き合い背を丸め、膝を胸まで寄せ、目を閉じた。
 セシルは、頬の横で重ねられていたカインの白い手を取り、指を絡めそっと握った。ぎゅっと握り返してくるカイン。朝になれば、彼はこの手を離してしまうだろう。せめてそれまでは、彼が穏やかな心のまま眠れるように、暗闇に放り出された幼子のような彼の手を離さないでいようと、彼の指にそっと口付けて、目を閉じた。










2008/06/01

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