大人で子ども、子どもで大人

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 ゴルベーザが案内した店は、城下町のいつもの雑貨屋だった。
「ここ?」
 てっきり専門の店に行くものだと思い未知の世界に密かに胸躍らせていたカインは、当てが外れ、不満も顕わに彼を見上げた。
「ああ。何でも置いてある」
 カインのしかめっ面を気にも留めず、ゴルベーザは店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ。これは、いつもごひいきに」
 いつもの店主が深々と頭を下げて上客を出迎える。彼はゴルベーザの背後のカインに気づくと、一段と高い声を上げた。
「これはこれは! 今日は奥様もご一緒でしたか」
 その言葉に眉を顰め、カインは店の中を素早く見回した。さいわいなことに他に客はおらず、安堵のため息をついたのも束の間、店の隅で箒を手にした前掛け姿の少年が驚愕の目でこちらを見ていることに気づき、慌ててゴルベーザの腕を引き、耳打ちした。
「あれ、止めさせて」
「『あれ』?」
「『奥様』ってやつ」
「私はかまわんが」
 俺がかまう、とカインは彼の腹に肘打ちを喰らわせた。ゴルベーザは腹を押さえながらよろけ、カウンターに寄りかかるように肘をつき、店主に訴えた。
「照れくさいそうだ」
「はい?」
 ゴルベーザは自分の肩越しに背後のカインを指差した。
「『奥様』と人前で呼ばれるのは照れくさいそうだ」
 違う! と叫びそうになったが、当面の要望を最優先させるため、カインは唇を噛んでぐっと堪えた。
 店主は合点がいったように大きく頷き、カインに冷やかすような視線を向けた。
「なるほど、わかりました。新婚さんは、よくそう言いますものねえ」
 ボケてるのかこの男。
 カインは声に出さず毒づいた。この店主は今日の自分の出で立ちを見て、それでも女だと思っているのだろうか。

「今日は画材を買いに来た。見せてくれ」
「こちらです。どうぞどうぞ」
 店主はいそいそとゴルベーザを店の奥へと案内した。
「あの……お客様」
 カインも後に続こうとしたが、すれ違いざまに先ほどの少年に声をかけられたので足を止め、彼を見下ろす。
「男の人……ですよね?」
 唐突で不躾な確認だったが、カインは白い歯を見せ大きく頷いた。やはりあの店主がおかしいだけだ。
 カインの笑顔に少年もほっとしたような顔を見せ、頭を下げた。
「すみません。うちの旦那、人は善いんですがそそっかしくて……」
「いや。気にしてない」
「……そのお声を聞いても間違えてるなんて、お恥ずかしいです」
 まだあどけなさの残る年頃なのに、へりくだった様子が既に一端の商人のように見える。利発な子なのだろう、とカインは彼に好感を抱いた。
「奉公か」
「はい。父が死んで、まだ小さな弟や妹がいますので、僕、私が早く一人前にならないと……」
 彼は、決意を新たにしたように、下唇を噛んで頷き、箒をぎゅっと握り直した。
「仕官は考えなかったのか」
 士官学校ならば給金が出るので学びながら蓄えもできる。奉公よりも合理的で、何より、この真面目そうな少年には向いているのではないか。カインはそう考えて口にした。
「わ、私は臆病なものですから、軍人なんてとてもとても……」
 少年はぶるぶると頭を横に振った。
 臆病か……
 カインは自嘲の笑みを浮かべ、小さな息を吐いた。
「仕官は軍人だけじゃないぞ。適性を見極めた結果、文官の途(みち)もある」
「そうなんですか」
「もし興味が湧いたら、俺を訪ねておいで」
 少年は目を見開き口をぽかんと開けたまま、信じられない、と言わんばかりにカインを凝視したが、慌てて「すみません」と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。あ、あの、でも……」
 彼の言わんとしていることを察し、安心させてやるため、カインは穏かな笑顔を向けた。
「気にするな。君の自由だ。選択肢は多いほうがいいだろう」
 彼もカインの意図を察し「はい」と勢いよく頷いた。何度も頭を下げる少年の肩を軽く叩き、カインは奥へと向かった。


 カインが遅れて店の奥の売場に足を踏み入れると、店主は忙しなそうに両手で箱を抱えてさらにその奥にある倉庫とを往復し、ゴルベーザは部屋の中央の台の上に置かれた箱を開け、中身が見えやすいようにそれらを並べ換えているところだった。
 二人の様子とそれらに値札が貼られていないことからも、この店で画材は常時陳列するほどの需要はないのだろう、と推し量る。
 画材といえば絵具と筆しか思い浮かばなかったカインは、並べられた道具の多種多様さに目を見張った。台の横にずらりと並べられた画架も、最も小ぶりのものでさえ、結構な大きさだ。
 どこに置こうか…… 
 窓辺のテーブルを取り払って一画を作ろうか。書斎の棚を動かそうか。いっそアトリエを増築するべきか、果ては離れを建てるべきか。
 カインが自宅の間取りを思い浮かべながらあれこれと思案に暮れている間、ゴルベーザは箱の中から絵筆を取り出し、その弾力を確かめている。
「これにする」
「さすが、お目が高い。そちらはイタチの毛で作られた最高級品です」
 ゴルベーザは値札の付いていない商品の中から最も高価なものを、次々と選び出していく。カインはその目利きに感心すると同時に、金に糸目をつけない彼の買い物に複雑な気分になった。

 国王の懐を己の財布代わりにする、そんな好き勝手をしていて「王族ではない」と主張することは民の前で通らないのではないか。
 カインの知る限り、バロンの経済は安定していて債務も無い。彼の買い物などは国王が自由に使える金額からすれば微々たるものかもしれない。あるいは自分が知らないだけで、ゴルベーザは私財をバロンに贈与しており、それ故、城下町での自由な買い物を許されているのかもしれない。
 やはりこれは兄弟間の問題で、自分が口を挟むことではないのだろうか。

 突然、左耳に何かが触れ、背筋がぞくっと震えた。カインは反射的に身を大きく翻す。振り向きざまに背後を睨むと、そこに、筆を手にしたゴルベーザが口許に笑みを浮かべて突っ立っていた。
「遊べそうだ」
「遊ぶな!」
「専用にしよう。もう一揃え、くれ」
「かしこまり――」
「買わなくていい!」
 カインの剣幕に、店主は慌てて筆の入った箱から手を引っ込めた。
「兼用でいいのか。描き始めると汚れるぞ」
 カインは少し背伸びしてゴルベーザに顔を寄せ、店主に聞こえぬよう声を潜めた。
「だからなんで、その前提なんだよ!」
「最高級の肌触りが楽しめる」
「……お客様、誤った使い方をなさらないでください」
 店員の口振りを刺々しく真似て彼の手から筆を取り上げ台の上に置き、彼の気を逸らすため、カインは積み上げられた箱を指差した。
「絵具は? 決めた?」
「これにする」
 カインの予想に反し、ゴルベーザは最も色数の少ないセットを手に取った。
「足りない色は作る」
「そう……」
 何かこだわりでもあるのだろうが、絵心のまるでないカインにはよくわからない。尋ねたところで、返される応えに適当な相槌を打つことしかできないとわかっているから、なかなか面倒そうだな、とさして興味がない風に呟いて、彼が選ばなかった箱の蓋を閉めた。
 ゴルベーザが半身をカインに重ねるように背後から身体を寄せ、細い腰に腕を回す。
「おまえのこの真珠のような肌を、既成の色で出せるはずがないだろう」
「そういうことはもっと小声で言ってくれないかなあ」
 店主の視線を気にしてカインは身を捩り、少し仰け反って彼の顔を見上げる。
「この質感を彩色で出すのはかなり困難だろうが、だからこそやり甲斐がある」
「こ、こんなところで昂奮するな」
 鼻息も荒く頬を撫でてきた彼の手をそっと払い除け、「あっちで待ってる」とカインはマントを翻し彼の許を離れた。


 元の売り場に戻ると、奉公の少年が中年の女たちを相手に接客していた。熱心に商品を説明し、ときにおだて、ときに冗談を言う彼にカインは感心し、改めて掃除の行き届いた店内を見渡した。限られた場所に見易く並べられた商品もカウンターの端に置かれた清楚な一輪挿しも彼の仕事の一部なのだろう。
 店の柱に寄りかかりしばらく彼の接客を眺めていたが、やがて客の女たちは甲高い笑い声を上げながら両手いっぱいに荷物を下げ、満足そうに店を出て行った。
 扉を押さえて客を見送っていた少年がこちらに向き直る。カインと目が合うと、彼はにこやかに笑った。
「良いものが見つかりましたか」
「すまない。君を、まだ見習いだろう、と見くびっていた」
「そんな……まだまだ修行中です」
 少年はもじもじとはにかんで前掛けの端をぎゅっと握った。
「いや、たいしたもんだ」
 カインは感嘆の息を吐き、手近の棚に並べてあった魚卵の瓶詰を指差した。値札の横に「売れてます!」「おすすめ!」と幼い字で書かれた小さな星型の紙が貼られている。
「これも君が?」
「はい。それを貼っていると、よく手にとってもらえるんですよ」
 確かに客の関心を惹く工夫だ、とカインはまた感心したが、ちょっとした疑惑と悪戯心が涌いてきた。子どもをからかうのも大人げないと思ったが、純粋に、事実を知りたいという好奇心があった。
「売れ残りや、売りさばきたいやつに貼ってあるんじゃあないのか」
「そ、そんなことありませんよ。どれも美味しいと大評判で……す」
 カインが無言のまま意地悪く微笑むと、少年も困ったように笑った。カインから目を逸らし視線を宙に泳がせ、誰にというわけでもなく呟く。
「まあ、そういうときもありますけど……」
 彼は肩をすくめ、悪戯が見つかった子どものような表情を見せた。この日初めて彼が見せた子どもらしさに、カインの頬も緩む。
「内緒ですよ」
 彼が片手を口に添えて声を潜めたので、カインも笑いながら頷いた。


 店の奥からゴルベーザと店主が戻って来た。店主が少年を呼び寄せ注文票を渡すと、彼はゴルベーザとカインに会釈し、それをぶつぶつと音読しながら倉庫へと向かった。
 ゴルベーザがカインの耳許で囁く。
「で、何が内緒なのだ」
「……地獄耳」
 小さな声で呟いて、カインは、何でもない、と首を横に振った。
「随分気安そうに話していただろう」
「……普通です」
「謀(はかりごと)か」
 奉公の子どもと何を企むというんだ。
 カインは呆れたような視線を彼に向け、内緒、と素気無く告げた。
「私に言えぬことか。やましいことか」
「そんなわけないだろ。帰ったら言うから」
 ため息混じりに応え、帰ろう、と彼のマントを引っ張り、身体を扉へ向けた。
「ちょっと待て」
 ゴルベーザは陳列棚に目を留め、先ほどの瓶詰を手に取ってラベルをじっと読み込み、瓶をカインに向けた。
「買ってみるか」
 彼の言葉にカインは大きく頷き、「一つ、試しに」と言おうとしたが、ゴルベーザが既に五つ以上を腕に抱えていたので、美味くなかったらどうするんだ、と恨めしそうに彼を睨んだ。



 数日後、届いた荷物を解き仕分けしていたカインは、ひと際鮮やかな色の紙包みに目を留めた。包みを開けると、画材一式とは別に、ピンクのリボンがかけられた大小三本の絵筆が一束、「いつまでも仲睦まじく」と憶えのある字で書かれたカードと共に入っていた。
 カインは絶句し、力なくゴルベーザに訊ねる。
「筆、余分に買った?」
「いや。どうした、それは」
「一緒に入ってた」
「納品書には……載っていないな。サービスか。気が利くではないか」
「利き過ぎだ……」
 子どものくせに、と小さな声で付け足してカインは嘆息した。

 それにしても、とカインは首を捻った。高価な筆をおまけにつける、一介の奉公人にそんなことができるだろうか。店主の裁量と考えるのが妥当か。
 損して得取れ。上機嫌のゴルベーザを見ているとそんな言葉も浮かんでくる。あの少年なら、店主をそう言いくるめることもできそうだ。
 あの年頃でゴルベーザの言う「遊び」を理解して寄越したおまけだとしたら、空恐ろしい。いや、意味はわかっていないはずだ……そうであってほしい。少年の境遇を思い、ため息をつく。
 早く大人にならざるをえない子どもは、どこか哀しい。
 カインは傍らに立つゴルベーザを仰ぎ見た。
 いかめしい大男が右手に食べかけの菓子の袋、左手に絵筆を握っているさまは、まるで大きな子どものようだ。
 失った子ども時代とそれを取り戻そうとしているかのように振る舞ういま。これも人生の帳尻合わせのひとつなのだろうか。ふとそんなことを考え、カインは苦笑いを浮かべて呟く。
「『様』というより『ちゃん』だな、もう」
 どういう意味だ、とゴルベーザが首を少し傾げる。
「好きなものに囲まれてご機嫌の、まるで子どものゴルち――うおっ」
 突然ゴルベーザはカインを軽々と横に抱き上げた。カインはうろたえ、何のつもりか訊ねようとしたが、ゴルベーザが菓子の袋を咥えていたため喋れないことに気づき、それを口から外して持ってやる。彼が額を合わせてきたので、カインも彼の首に腕を回す。
「子どもにできないことをしてやろう」
 大人の余裕綽々たる面持ちで唇を寄せてきたゴルベーザに、カインは噴き出しそうになるのを堪え、彼の下唇を挟む込むように素早く口付け、すぐに唇を離した。先手を打たれた彼が、目をわずかに見開く。
「食べかすの付いた口で言われてもなあ。説得力ない」
 上目遣いに見上げ、カインはわざとゆっくり拭うように自分の下唇を舐めた。それを見たゴルベーザはきまり悪そうに目を伏せ何度か瞬きし、舌を少し出したが、カインが、もう付いてない、と告げると、照れをごまかすようにひとつ咳払いをしたのち、また唇を突き出した。
「もっときれいにしてくれ」
 カインは、くっと息を飲み込み声を押し殺して笑った。
「甘えてる。やっぱりゴルちゃ――う……ん……」
 言い終わらぬうちに口を塞がれる。唇を舌を甘く咬まれ、カインは小さな笑いを漏らす。
 見つめ合い舌の先を合わせたまま、ゴルベーザはゆっくりと歩き出した。
 唇を啄ばむような軽いキスが舌を絡ませる濃厚なものになり、互いに荒い息を漏らし、菓子の甘さが咥内から消える頃には、身体の奥深くにも熱く甘い疼きが湧き上がる。
 抱き上げる腕に力が込められる。カインも菓子の袋を下に落とし、首の後ろに回していた手で銀の髪を掻き乱すと、唇を合わせたまま、ゴルベーザは、後で拾えよ、と小さく笑った。
 横たえられたのがベッドでも長椅子でもなくキッチンの固いテーブルの上だったことにカインは顔をしかめたが、「たまにはいいだろう」と笑った薄い青の眸に、低く穏かに響く声に、どちらの者とも言えない唾液に濡れた唇に、ぞくぞくするほど魅せられ情欲をそそられ、上気した頬をさらに朱に染める。はあ、と熱い息を吐きながら「たまにはな」と同意して、カインは固く目を閉じ彼の頭を強く引き寄せ、ありったけの情熱を注いで再び唇を合わせた。






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店主の初出→「菓子より甘く」 
「奥様」の件→「御礼18」







2010/07/18
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