ハーヴィ家の食卓

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 国王の晩餐の間とは思えないほどこじんまりとした部屋は、セシルの意向だった。隣にすぐ手の届く距離に腰掛け、先代からの料理長が腕を振るう家庭料理に舌鼓を打ちながら、家族と今日の出来事を話し合い笑い合うひと時は、彼にとって何物にも代えがたいものだった。
 ときには王妃であるローザも厨房に立ち得意料理を振舞う。それは、一人息子のセオドアに「母の味」を伝えたいという彼女の意向で、彼女の作る野菜たっぷりのキッシュや煮込み料理はセシルの、甘めのソースがかかった肉料理はセオドアの大好物だった。

 その日の夕食は、久々にバロンに帰還した竜騎士カインの話題で持ちきりだった。セオドアが、あのねあのね、と昂奮気味に話すのを、若い夫婦はにこやかに見守っていた。

「お行儀が悪いわよ」
 昂奮の余り唾を飛ばして椅子から立ち上がろうとするセオドアをローザがたしなめた。すぐさま、ごめんなさい、と謝り着席するセオドアに、セシルは驚いてローザへ顔を向けた。
「今日はやけに素直だな」
「あれからいい子なのよ」
 彼女は片手で口許を押さえ、楽しそうに笑った。
「あれから?」
「いい子にしていないと、カインに稽古をつけてもらえないと思っているみたい」
 なるほど、とセシルは頷いて息子の、自分のものとは少し違う、青い眸を見つめた。
「父上! 僕、竜騎士になりたい!」
 声を張り上げるセオドアに、どうかな、とセシルは口許に曖昧な笑みを浮かべてフォークを動かした。
「だってかっこいいよ! 高いところもぴょんって!」
「そうだわ。子どもたちを集めて、公開で、槍や跳躍の演習をするのはどうかしら。みんな喜ぶでしょうし、興味を持ってもらえるんじゃないかしら」
「……効果はありそうだが、本人が嫌がるだろう。全力で」
「なになに? 僕も行きたい」
「ひと目見れば、きっとみんな虜になるわ。この子みたいに」
「とりこ? とりこって何?」
「『ひと目』はないだろう。あんな黒尽くめじゃあ……」
「『大好きで、そのことばかり考えている』ってことよ」
「うん、とりこ、とりこ! 最初はちょっと怖かったけど、やさしかったよ」
「ほら、『怖かった』って」
「良く似合って、素敵だったわ」
「……彼にはやっぱり藍色だろう」
「見慣れているのは紺や藍色だけど、いまは黒が彼の色なのよ」
「父上! 僕も鎧、欲しい! 黒い、かっこいいの!」
「まだ早いわ」
「他の色にしなさい」
「まだ早いわよ」
「……カウンターができるようになってからだ」
「えー! いま欲しい!」
「セオドア!」
 頬を膨らませスプーンで皿を叩いたセオドアを、ローザは厳しい声で叱った。セオドアはピンと背筋を伸ばし、ごめんなさい、と頭を下げて、粗相をごまかすようにスープをひと口啜った。
「父親より、効くみたいだな……」
 いつもなら繰り返し叱り諭さなければ言うことをきかない息子の豹変ぶりに、セシルは小さな溜息をついた。
「気に入らないの? 黒」
 え、とセシルは彼女の問いに首を傾げたが、息子を叱る前の会話を思い出し、別に、と応えて目を伏せた。
「父上はなりたくなかった?」
「ん? 何」
「竜騎士に」
 息子の問いかけに、セシルは首を横に振った。
「なりたいとは思わなかったよ」
「えー、何で。かっこいいのに」
「たとえなったところで、竜騎士の家に生まれ育ったカインに敵うわけがないからね」
 セシルの言葉に、ローザとセオドアは顔を見合わせにやりと微笑んだ。妻子の様子にセシルはわずかに顔をしかめ、首を傾げた。
「らいばるだ! ね、母上」
 ね、とローザが微笑む。
 セシルは、ごほん、と咳払いをした。
「父上だって、前は似たような甲冑姿だったんだぞ」
「え! ほんと! 何でいまは着てないの? 鎧、かっこいいのに、なんで?」
「えー……何と言えばいいか……なあ、ローザ」
 セシルは妻に助け舟を求めたが、応えに窮する夫を見て、彼女は口に手を当て肩を小さく振るわせた。
「そんなところまで張り合わなくていいのに、ね」
「また、らいばる?」
 セオドアがうれしそうに尋ねてくる。
 セシルは顔を赤らめ「まあ、そういうことだ」と照れくささをごまかすように、スープをひと口啜った。



「飲み過ぎないでね」
 出かける支度をしていたセシルがワインのボトルに手をかけるのを見て、ローザが念を押した。
「ん。飲めば、少しは口が滑らかになるかと思ってね」
「どうかしら……ね……」
 口数の少ないカインを思って、セシルとローザは顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「喋っているのは私ばかりだったのに、あっという間に夕方になったの。あなたなら積もる話もあるし、一晩でも足りないでしょうね」
「ああ。次の議会のこともちょっと話してみたいな、と思ってるんだ」
 ローザはセシルの腕を軽く引いた。
「ん?」
「彼にそばにいて欲しいのね」
 彼女に思いを見透かされ、セシルは俯いて目を伏せ、唇を緩く噛んだ。
「……子どもの頃からずっと一緒だったんだ。君もそうだろ?」
 ローザはセシルの腕に手を添えて、首を横に振った。
「いつまでも子どものままじゃいられないわ」
 わかってる、とセシルは、顔の上半分を覆うほど深くマントのフードを被った。
「離れていても、たまにしか会わなくても、気持ちが繋がっていればそれでいいんだ。エッジやリディア、ギルバートやヤンみたいに。でも……」
 セシルは何度も睫毛を瞬かせ、ため息をついた。
「不安……なんだ。今回は無理やり繋ぎ止めた。我ながら強引だったよ。だから、ある程度の見通しがつけばまた出て行ってしまうかもしれないと思うと」
「セシル」
「ん?」
「彼は自由よ。悲しいくらい」
「……僕と正反対だな。僕は全然自由じゃないけど悲しくなんかない。君もいる。セオドアもいる」
 セシルはさらに深いため息をついた。
「どうしてこんなに違ってしまったんだろう……」
「違っていいのよ。違って当然なのよ」
「……」
「あなたたちは同じじゃない。彼は彼の意思で自由を選んだの。あなたにできることは何も――」
「僕が無駄なことをした、と?」
 ローザはセシルの腕をぎゅっと掴みながら、首を大きく横に振った。
「そうじゃない。そうじゃなくて、仕事も友人も必要なことだけど……」
 彼女の言葉の続きを待っていたが、黙ってしまった彼女に焦れてセシルは、だけど? と話の接ぎ穂を促した。ローザは頭を振り、ごめんなさい、と言って唾を飲み込んだ。
「彼の虚ろを埋めようと思ってはだめよ」
 虚ろ、とセシルは呟いて小さく頷き、口許に微かな笑みを浮かべた。
「そんな大それたこと、考えてないよ」
 セシルは顔を上げ、高い天井を見上げた。
「そんなこと、わかってるよ。ひと目見たときに……」
 
 さらにフードを深く被り、行って来る、とセシルはローザの頬に素早くキスをした。見送る彼女に手を振って、マントの前をしっかりと合わせ、決して軽いとはいえない足取りでセシルは住まいを後にした。







2008/11/16
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