玉座へ続く赤い絨毯の中ほどで跪き、頭を深く垂れた幼なじみに、若きバロン王はため息混じりに声を掛けた。
      「もっと近くへ」
       彼はその場で首を横に振った。
       さらに深いため息をついて、バロン王セシルは、彼にはすぐわかるであろう嘘を吐いた。
      「喉の調子が悪い。そこまで通る声は出せない」
       黒いマントで身体全体を覆い隠すように跪いていた幼なじみの竜騎士カインは、小さな息を吐いて立ち上がり、マントを翻し、数歩玉座へ近づき、また跪いた。
      「顔を」
       竜を象った兜を被ったカインが顔を上げた。二人の視線がぶつかる。セシルには、いままでずっと彼を見上げていたのに、こうして見下ろさなければならないいま
      の自分の立場が、なんとも歯痒かった。だがいまは、久々の再会に喜び浸るよりも、国王としてやらなければならないことがある。
      「迎えの者から聞いていると思うが、引き受けてくれるな」
      「たいへん光栄なお話ではありますが、承りかねます。願わくば、私ではなく他の者に」
      「勅令ですぞ。カイン殿」
       横から口をはさんだ大臣の一人を、セシルは片手を挙げて制した。彼は、はは、と深く頭を垂れて、口を慎んだ。
       世界が平和を取り戻した日から、軍事大国バロンでは軍備の縮小を求める声が日増しに大きくなっていた。先の王が誰に知られることなく暗殺され、王に成り済ま
      した者の暗躍を結果的に赦してしまったことに対しても、軍に責任を求める声が上がっていた。
       バロン王セシルといえば、国力維持には軍備の充実は欠かせないものと考え、何より、先王から引き継いだものは幾分たりとも縮小削減するつもりはなかった。不
      測の事態がいつどのように起こるかもわからない。しかし、現実には、軍備の中枢飛空艇団からもカインが率いていた竜騎士団からも、平和な世界に軍隊は要らな
      い、と除隊者が相次ぎ、軍の活気は著しく下がっていた。
       そこでセシルは、弱く脆くなってしまった兵士たちの精神的支柱として、バロンの誇る竜騎士にして、先の戦いの功労者の一人として名高いカイン・ハイウィンド
      を呼び戻すことを決意した。
       とはいっても、カインは簡単には捕まらなかった。ミシディアの長老によれば、行き先も告げずに試練の山から姿を消すことはしょっちゅうらしく、彼の居所を掴
      むまで何年もかかってしまった。そしてようやく、世界の果てとも言える辺境の地で彼を見つけ、半ば強引に連れ戻したのだった。
      
       セシルには、カインがこの命令を断ることは初めからわかっていた。感情を抑え、できれば言いたくなかった用意された台詞を淡々と述べる。
      「では、本意ではないが、定員を割り昨今は目立った武勲も挙げていない竜騎士団は、本日をもって解団ということになる」
       カインの口許が歪んだ。兜の下では鋭い目で自分を睨みつけていることだろう。
      「いいのか。由緒ある竜騎士団を、おまえの代で終わりにして」
       カインは深いため息をつき、観念したように頷いた。
      「かしこまりました。国王陛下の御為に尽力いたします」
       彼の承諾の言葉に、セシルは思わず微笑んだ。
      「バロンのため、力になってくれ」
       セシルはそう言い添えて、下がってよい、とカインに申し渡した。カインはセシルに一礼をして踵を返し、王の間を出て行った。
      
      
      「カイン!」
       テラスへ向かう長い廊下で、セシルは彼に追いついた。
       足を止め振り返ったカインは、口の端を少しだけ上げて微笑んだ。
      「大声を出すと喉に悪いぞ」
       ああ、やっぱり。
       公私をきっちりと分けた以前のままの口調のカインに、セシルは破顔して応えた。
      「もう治った」
      「いいのか。仕事、ほっぽって」
      「休憩時間だ」
       王としての自分の強引なやり方にきっと気を悪くしているだろうと思っていたセシルだったが、以前と変わらず応えてくれた彼に感激と感謝のあまり抱きつきたい
      衝動に駆られたが、城内であることを考え、さすがに自制した。
      「すまなかった。でも、こうでもしないと、顔も出してくれないだろう」
      「……仕方ない。おまえが言い出したら聞かない、ってことはわかってるからな。帰ってきた時点で俺の負けだ」
       カインの言葉に苦笑いを浮かべ、ばつが悪そうに俯いたセシルは、カインの胸許を指差した。
      「甲冑、変えたんだな」
       カインはいつも、深い藍色や濃紺の甲冑を好んで身に着けていたが、いまは兜も甲冑も篭手も軍靴もすべて漆黒に覆われている。
      「これに合わないからな」
       これ、と言いながら身体を揺らし、一目見て極めて上等の生地でできているとわかる黒いマントを翻した。
       セシルは顔をしかめ、片手を顔の前で振った。
      「何年も洗ってないんだろ」
       セシルの言葉に、カインは珍しく、声を上げて笑った。
      「国王陛下はひどいことを仰る」
      「まさか五年とか」
       そんなわけないだろう、とカインは前屈みになって、マントの裾をぽんぽんとはたいた。
      「冗談はさておき、似合ってるよ」
      「……当然だ」
       俯いて照れくさそうに、だがどこか誇らしげに笑みを湛えるカインに、セシルの胸がちりりと痛んだ。
      「今夜、晩餐会を開くから」
       よしてくれ、と彼は首を横に振ってセシルを遮った。大仰なものじゃない、と付け加えても、カインは首を横に振りつづけた。
      「家で摂る」
      「家って、おまえの家は、もう誰もいないじゃないか」
      「ああ、だから風を入れてやらないと家が傷む」
      「城に部屋も用意してあるのに……」
      「必要ない」
      「じゃあ、家から通うのか」
      「そういうことになるな」
      「ひとりじゃ不自由だろ。何人か遣そうか」
      「セシル」
       カインはまっすぐにセシルを見つめた。
      「それくらい、俺の好きにさせてくれないか」
       怒気を含んだ強い口調にセシルはたじろいだ。確かに彼の言うとおりだ。自分は王の名のもと、ひどい交換条件を出したのだから。
      「じゃあ、ローザに会ってやってくれ。久しぶりに会えるのを楽しみにしていたから」
      「……そうだな」
       カインは俯いて、顎を擦った。
      「いくつになった?」
       彼の唐突な問いにセシルは首を傾げたが、すぐに、それが自分の息子のことを尋ねているのだと理解した。
      「来月で四つになる」
      「……そうか。顔を見てくるよ」
      「そうしてやってくれ。きっと喜ぶ」
       くるりと背中を向けた彼を、もう一度呼び止める。
      「今夜、おまえの家に行くよ」
       顔だけ振り返ったカインは、無言で首を傾げた。
      「積もる話があるんだ。一晩ではとても足りない」
      「何のもてなしもできないぞ」
      「必要ない」
       カインは、ふっと息を吐くだけの笑いを漏らし、後でな、とセシルに背中を向けた。セシルは、黒いマントをなびかせ居住棟へ向かう彼を、姿が見えなくなるまで
      見送った。
      
       嘘だ。全然似合ってない……
      
       そう呟いて嘆息した。これは嫉妬だ。
       二度と会うことのない兄への、未だ克服できない子どもじみた嫉妬を恥じて、セシルはぎゅっと唇を噛み、だらりと下げた拳をそっと握り締めた。 
      
      
      
      
      
      
      
      
      
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      さきっちょさんからのリクエスト
      「バロン王セシル×側近カインで、セシカイ主従……ゴルカイベースも◎」でした。
      そ、側近ではないような……
      捏造ビシバシですが、楽しく書けました。ありがとうございました。こんなのでいかがでしょうかー
      楽しかったので、もう少し続けようと思います。さらに捏造全開で。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
2008/07/06