もしゼムスによる洗脳が成人後だったら

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おうちへ帰ろう

 演習につい熱が入り定刻を過ぎてしまったことに慌て、後片付けを放免してもらい、セオドールは着替える間も惜しんで演習場をあとにした。
 幼い弟と暮らすため特例として通学を認められた彼は、入寮している学友たちにこうしてわがままを受け入れてもらっている。彼はそれに報いるため、常に成績優秀品行方正、だがときには気の合う仲間と羽目を外すこともある、いわゆる堅物ではない優等生を見事に努め上げていた。
 遅くなってしまった、と息を切らせながら家路を急ぐ。今日の預け先は竜騎士団団長の屋敷だった。


 セオドールは弟を日替わりで異なる家に預けていた。
 両親を亡くし生まれたての弟を抱え途方にくれていたセオドールを、行軍の休憩のためたまたま村を訪れたバロン王がその怜悧さを気に入り故郷(くに)に連れ帰り、後見となった。
 王はことあるごとに「子どもらしく甘えればいい」と言ってくれたが、セオドールはできるだけ人の助けを得ず生きることを選び、士官学校への入学と時期を同じくして幼い弟を連れて城を出た。
 何かと目をかけてくれる竜騎士団団長も、彼の息子が弟と同い年で仲の良いこともあり「うちでずっと預かってやるぞ」と言ってくれたが、一つの家庭に迷惑をかけたくないと考えた上、それを丁重に断った。毎日違う家に預けられる弟を不憫にも思ったが、一人で留守番できる歳になるまでの辛抱だから、と言い聞かせ、毎日送迎し、拙いながらも食事を作り、毎夜就寝時には絵本を読み聞かせ、と精一杯の愛情を注ぎ弟を育てていた。
 大人たちはセオドールの考えを「若さゆえの無鉄砲だ」と咎めたが、弟と二人だけで生きていくことは、彼にとって譲れない一線だった。



 団長の屋敷へと急ぐ道すがら、森のはずれの草むらの陰で、頭を突き合わせてしゃがみ込んでいる二人の子どもを見かけた。一人は自分と同じ、銀色のふわふわとした髪、もう一人は竜を象った兜に尻尾のような金の髪。思わず顔が綻ぶ。
「セシル!」
「にいちゃん!」
 弾けるような笑顔を見せた弟セシルが勢い良く駆け出し、セオドールの脚にしがみついた。
「おかえりなさい! 遅いから心配したよ!」
「すまない。いい子にしていたか」
 弟の頭を撫でながらセオドールはやさしい声を出した。うん、と首がもげそうなほど大きく頷いて、セシルは目を輝かせて兄を仰ぎ見た。
「鎧、かっこいいね」
「遅くなったので着替えずに帰ってきたよ。何して遊んでいたんだ?」
「地獄責め。カインと」
「は?」
 セオドールは、弟と一緒に遊んでいた竜騎士団団長の息子カインに顔を向けた。大人と同じ仕様の竜の兜、甲冑を身に着けているさまは一人前の竜騎士を気取っているようで何とも微笑ましい。
「何をして遊んでいたんだ、カイン」
 同じことを尋ねると、彼は何も応えずもじもじと俯き、手にしていた枯れ枝をパキパキと折り始めた。
 物怖じしない子なのに、変だな……
 いつもと違う彼の様子を訝ったが、すぐに気づいた。自分こそいつもと違う出で立ちなのだ。セオドールは漆黒の兜を脱ぎ、屈みこんでカインに視線を合わせた。
「おっかないかな。もっとも、そう見えるのを選んだんだけどな」
 手に持った兜に視線を落とし、セオドールは角のような兜の装飾を撫でた。
「お、おっかなくない!」
 カインは首を何度も横に振った。
「そうか、よかった。カインの兜はかっこいいな」
 頭を撫でてやると、カインはようやく口許を綻ばせ笑顔を見せた。
「にいちゃん、かたぐるま!」
「ちょっと待てって。で、『地獄責め』って何だ」
 首にしがみついてきたセシルを宥め、セオドールは物騒な名のついた遊びのことを尋ねた。カインが今しがたまで屈み覗き込んでいた地面を指差す。
「蟻の巣にいろんなものを入れるんだ。砂でしょ、水、葉っぱ……」
「出てきたら、鞭打ちとギロチンの刑」
 うれしそうに付け加えるセシルにセオドールは嘆息した。命の尊さを知らぬ子どもは元来残虐なものだ。しかしここで抹香臭い説教をすることも気が引ける。なぜならそれは自分も大いに憶えのある遊びだったからだ。
 教わらなくとも代々引き継がれていく遊びなのか。
 セオドールは苦笑いを浮かべ、咳払いをしてから一段と低い声を出した
「……あまり酷いことをしていると、夜、寝ているとき、蟻のお化けにオチンチンを噛まれるぞ」
 セオドールの脅かしに、幼い二人は目を丸くして身震いした。手にしていた葉や枯れ枝をそれぞれ投げ捨て股間を両手で押さえながら「もうしないから!」と口々に叫ぶ。
 必死に訴える二人にセオドールは噴き出しそうになるのを堪え、口に手を当て咳払いでごまかした。
「にいちゃんがついているから大丈夫だ。さあ、帰ろう。お母さんに挨拶しないと」
「かたぐるま! にいちゃん、して!」
「よしよし」
 再び兜を被り、セオドールはセシルを抱き上げ肩に乗せ、立ち上がった。
「たかーい!」
「さあ、帰るぞ。どうした、カイン?」
 その場に突っ立ったままでついて来ようとしないカインを振り返った。彼は顔を上げたり俯いたり、何か言いたそうに口を開けたり閉じたりしている。
 そうか。
 一人っ子のカインには肩車をしてくれる兄はおらず、激務に就く彼の父は息子と触れ合うこともままならないのだろう。肩に乗せた弟をちらりと仰ぎ見る。視線に気づいたセシルが満面の笑みを寄越して来た。代われと言えば、拗ね暴れ一悶着になることは目に見えている。せっかく機嫌良くしているのだからそれは避けたい。セオドールは少し考えたあと、カインに左手を差し出した。
「おいで」
 カインは小さく口を開けてセオドールを仰ぎ見た。
「次はカインを乗せてやろう。今日はこれで我慢してくれ、な」
 彼は小さな白い歯を見せ大きく頷き、右腕を伸ばしてきた。小さな手を取りぎゅっと握ってやると、カインは顔を上げ、握られた手をじっと見つめた。
「セシルのにいちゃんの手、でっかい」
「『セオドール』でいい、って言っただろう」
「シェ、シェ、シェオ、ド……」
「やっぱり言い難いか」
「僕、言えるよ! セオドール。『セ』はべろを噛んで、『ル』はべろをこうすんの」
 見上げるとセシルは、口の中で小さな舌を丸め、うー、と唸っていた。Rを発音しているつもりらしい。
「おまえは『にいちゃん』でいいんだよ」
「シェ、セ、オドール……」
「そう。言えた、言えた」
 黒い兜の下で微笑んで、握った手を一回大きく振り、セオドールは歩き始めた。
「シェオドール」
「ん?」
「……兜、かっこいいね」
「そうか、ありがとう」
 林檎のように頬を染めた可愛らしい笑顔が竜の兜のせいで半分しか見られないことは残念だが、セオドールは、不埒な大人に妙な気を起こさせないためには有効だな、とセシルにも子ども用の兜を被せてみようかと思案した。
「にいちゃん、お腹空いた! 早く帰ろう」
「そうだな」
「うちでごはん、食べて行けばいいよ。食べてってよ!」
「いや。迷惑はかけられないから、帰るよ」
「おねがい! シェオドール!」
 舌足らずに名を呼ばれると、面映いようなくすぐったいような気分になる。カインの懇願にセオドールは困ったように首を傾げた。
「僕も久しぶりに、カインんちのごはん、食べたい!」
「俺、母さんに頼むよ。母さんもきっとよろこぶから。ねっ!」
 セオドールはカインの母の姿を思い描き思わず顔を赤らめた。十五年の人生で出会ったなかで、最も美しく儚げな女性。自分たち兄弟にいつもやさしく接してくれる病弱な彼女にこれ以上世話になることは避けたかったが、余りに頑なでいると却って彼女を傷つけることになると理解できるほどにセオドールの精神は成熟していた。カインの家には使用人が多くいる。実際に家事を司るのは彼らなのだから、とセオドールは自分に都合よく決意した。
「……たまにはいいかな」
 やった、とカインは手を繋いだままぴょんぴょんと跳ね、肩の上のセシルは、よろこびの余り黒い兜の装飾を掴んで上下に揺すった。
「お、おい! セシル! 脱げる! やめろって」
 幼い二人はきゃっきゃと笑い、セオドールは「俺も甘いな」と黒い兜の下で苦笑いを浮かべた。
 町並みや山々を赤く染める西の空が茜色から赤紫に変わる中、跳ねるように歩くカインに調子を合わせながら、セオドールは家路へと急ぐ足を速めた。















2009/03/07 「あおのすけ」様 に寄贈
上記リンクから五十嵐様の妄想も読めます
2010/12/23 修正、再掲載
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