彼という幸福(しあわせ)

BACK |


  縋るものが欲しくて宙に伸ばした腕は手首を掴まれ、シーツに縫いとめられた。口付けが欲しくて顎を上げたが、それは唇でな く瞼を覆った布に落とされた。おこがましいとはわかっていても、いまこの状況で自分の欲を抑え込むことは並々ならぬ努力が必要で、カインは自分の要求が通らぬ ことに対する不満を、首を何度も横に振ることで表してみせた。
 彼ならば口の中で何か唱えるだけで、あるいは指先を少し動かすだけで、目くらましをかけることも四肢の自由を奪うことも簡単にできるだろうけれど、今宵の戯 事に彼は、カインの双眸を布で覆い腕を押さえ込むという敢えて古臭い形を選んだ。きっとその方が興が湧くと思ったのだろう。カインにとってもその方が楽だっ た。
 目をしっかり開けていても何も見えない暗闇の恐ろしさより、こうして物理的に視界を遮断されている方がはるかにいい。四肢がびりびりと痺れる感覚よりも、こ うして彼の大きな手で押さえ込まれるほうがはるかにいい。力でねじ伏せられているという状況を楽しむことができるほど、この行為に慣れてしまったことが、どこ か感慨深かった。
 耳許で常よりも熱っぽい掠れた声で名を呼ばれ、背中に電流が走ったように身体が痺れるたびに、耳と脳と背骨は繋がっているのだと思い知らされる。そんなこと を考える余裕があるのも慣れのせいだろう。
 暗闇の中、彼がふっと息を吐いた。視界を塞がれ耳聡くなっているカインは、微かな音さえ敏感に聞き分ける。
「何故名まえを呼ぶか、わかるか」
「……え」
 思いもよらない問いかけに、カインは見えぬ目を彼に向け、口を小さく開けて首を少し傾げた。
「呼ぶと、締まるからな」
「…………」
 わざと下卑たことを言い、くっくと喉の奥で押し殺した笑いを漏らした彼の魂胆もわかっている。ここは頬を染め恥らうところだ。頭がそう冷静に判断したのとは 裏腹に、頬は既に熱くなっていて、それをごまかすように右の頬をシーツに押し付け顔を背けた。身体がさらに熱を持ったのは、からかわれたことに対する憤りのせ いだとカインは思い込もうとしたが、そんな強がりも彼はお見通しで、くぐもった笑いを漏らしながら、首筋に顔を埋めてきた。
 本当のことはわかっている。もう何度もこうして身体を重ねているのだ。彼が名を呼ぶのは自分を安心させるためで、誰もが畏れ敬う絶対の支配者は、思いのほか やさしいのだ。
 騎士の矜持も何もかもかなぐり捨てる忘我のときは暗闇に堕ちていく感覚と似ていて、その恐怖に叫び出しそうになる。そんな不安を取り除いてくれるのが彼の呼 びかけで、その低く穏やかに響く声を聞けば、ひとりじゃないのだと心から安堵して、自分を抱く腕を求めて暗闇に手を伸ばす。
 深々と身体を繋いでいるというのに声でそれを感じるなんて、おかしな話だ。次第に荒くなっていく彼の息遣いを耳に直接聞きながら、カインは、声が漏れないよ うに唇をぎゅっと噛み締めた。
 首筋を舐め上げられところどころきつく吸われる。どのくらいの強さで吸えばどのくらい消えない痕を残せるか、それさえも彼は熟知していて、ぴったりと着込む 竜の甲冑のおかげで人の目に触れることのないそれを、彼は自分の興のためにだけ残す。彼のそんなところは童心を失っていないかのように思えて、カインは、誰に 見られるわけでもない所有の証を、甘受というよりむしろ享受する。

 身体の内側から揺さぶられ、内臓を押し上げられるような息苦しさにひとつ大きな息を吐き、戒めから逃れようと身じろぎするけれど、押さえつける力は尋常でな くびくともしない。帯びた熱を彼の下腹に擦り付けるように腰を浮かせて訴えるけれど、聞き入れられない。
 カインは、おねがいです、と唇の動きだけで訴えた。
 彼はふっと息を吐いて力を抜き、カインの腕を解放した。カインはすぐさま自由になった左手を下腹部に伸ばしたが、それより早く、彼は半ば勃ち上がったカイン のものに長い指を絡めた。不意に待ち望んだ愛撫が与えられ、カインの顎が上がり短い声が漏れる。彼はゆるゆると、だが的確な動きで上から下へ下から上へと手を 滑らせていく。先走りの雫が彼の掌を濡らしねちゃねちゃと猥雑な音を立てるのを、よく聞こえる耳が捉え、否が応でも昂奮が高まる。
「強情だな」
 声を出すまいと自分の二の腕の肉を噛み締めて堪えるカインに、笑いを含んだ声で彼が言った。
「いつまでもつかな」
 彼が突然手の動きを止めた。中途半端に燻った熱が出口を求めて暴れまわり、カインは堪らず、首を横に振りながら腰を動かした。

 顔にかかる、汗で張り付いた髪を丁寧に払われ、両頬を大きな手でそっと包まれた。いまこそ、この目を覆う布が心底邪魔だとカインは思った。
 頬を包んだまま両の親指で、下唇を何度もなぞられる。
「おまえは私の声を聞きたがるくせに、自分の声は聞かせてくれないのだな」
「……み、みっともない……です、から……」
「もっとみっともないところを見せろ」
 脚をさらに大きく拡げさせられ、両の膝がシーツに付きそうなほど強く押さえ付けられる。圧し掛かってくる彼の重みで結合はさらに深くなり、その衝撃に、カイ ンは苦悶の呻きを漏らした。
 唇を強く噛み締めても鼻の奥から漏れる喘ぎは抑えようもない。自分の上げる嬌声を彼が望んでいるとわかっていても、カインにはそれが堪えがたかった。
「……ゴルベーザ様……」
 彼の名を呼ぶことで、頭蓋に響く自分の喘ぎを消してしまいたかった。舌に良く馴染むその名を切羽詰った声で繰り返し呼ぶうちに、その理由も説明できないせつ なさに、目には涙が滲んできた。涙を吸い取った布が一段と色を濃くしていることに、彼は気付くだろうか。
「ゴルベーザさ――」
 名を呼び終えないうちに口付けられる。不意に与えられた唇に、呼吸をすることも忘れてカインは夢中でむしゃぶりついた。ぴったりと合わせた唇を動かして、ま るで渇きを癒すように、交わす唾液を飲み込み舌を絡める。
 突き上げられるたび、下肢は強張り痺れは局部から放射状に全身に広がって、限界が近いことを知らせる。カインは彼の首にしがみつき、なりふり構わず、さらに 激しく腰を動かした。閉じた瞼の裏も頭の中も真っ白になって、突如訪れた寂寞の中、救いを求めるように、一つになった咥内で高い喘ぎ声を漏らして、カインは高 みに達した。




 気を失っていたのか眠っていたのかは定かでないが、カインは我に返った。熱が冷め汗の引いた身体に夜気が触れ、ぞくりと肌が粟立ち小さく身震いする。
 隣に手を伸ばしても触れるものはなく、カインは思わず主の名を呼んだ。
「ゴルベーザ様」
 呼びかけた声は自分のものでないようにがらがらと掠れていたので、カインは喉に手を当て二、三度咳払いをし、ごくりと唾を飲み込んだ。
 どんなに堪えてもいつも最後には声を枯らしてしまう体たらくに、自分の堪え性の無さが情けなく、ぎゅっとシーツを握り締めた。
「何だ」
 少し離れたところから彼が応えた。ひとり部屋に残されたわけでないことに安堵して、カインは微かに笑った。
「もう、取ってもいいですか」
 これ、とカインは双眸を覆う布を指差した。
「……好きにしろ」
 彼は時折こんな言い方をする。それはカインにとって悩ましい言葉で、彼に聞こえないように、小さく息を吐いた。
 ことの判断を任されたからといって、カインは自分の思うように振舞えない。配下たる者、常に主の気に入る選択をしなければならないと考えるカインは、ここで も、片手を布に当てたまま、じっと考え込んだ。
 カインは結論を出した。もう「遊び」は終わったのだ。夜も更けてあとは眠るだけだ。眠るときに目隠しが必要か否か、それは彼にとって本当にどうでもいいこと で、言葉どおり、自分の好きにすればいいのだ。
 俯いて布の結び目を解いたカインは、ゆっくりと顔を上げ目を開けた。しばらく瞬きを繰り返していたが、瞼をしっかり開けているはずなのに目の前は真っ暗で、 慌てて主の名を呼んだ。
「ゴルベーザ様!」
「何なのだ」
「真っ暗で、何も見えないのですが……」
「案ずるな。じき慣れる」
 彼の言葉に戸惑いながら、目を擦って瞬きをしていたカインの視界に、ぼんやりと光が戻ってきた。部屋の明かりは落とされ、最も明るく見えるものは、窓の外の 糸のように細い三日月だけだった。
 それにしても暗すぎる。カインは手探りで燭台に手を伸ばそうとしたが、これも彼の考えあってのことだろう、と手を引っ込めた。
「ゴルベーザ様」
「今夜はよく、名を呼んでくれることだ」
 カインは照れくささに、苦笑いを浮かべた。
「……おそばに寄ってもいいですか」
「好きにしろ」
 カインはまた考え込んだが、今度はすぐに決めることができた。このまま自分が眠ってしまっても彼は気にも留めないだろうが、わざわざ明かりを落とし自分と距 離を置き、暗闇でひとり、何を見るわけでも何を読むわけでもなく過ごしていた理由を知りたくて、カインはそっとベッドを降りた。
 彼の声がする方向は長椅子のあるあたりで、そこまで何も障害物はないはずだが、カインは慎重に歩を進めた。ふかふかと毛足の長い絨毯の感触が、素足に心地よ い。やがて暗闇の中、彼の銀色の髪が放つ煌きがぼうっと浮かんで見え、カインは、彼にも自分の金色の髪が放つ輝きが見えているだろうかとぼんやり考えた。
 彼のシルエットが見えるほどにまで近づいて、カインは足を止めた。既に高く上ってしまった細い月は、彼の座っているところまで光を届けておらず、彼の表情ま ではわからなかった。
 彼がふと手を動かしたのがわかった。目を凝らして見てみると、彼の掌が自分に向かって差し伸べられていて、それはまるで相手をダンスに誘うときの振る舞いの ようだったので、カインは頬に含羞の色を浮かべ、唇を緩く噛んで俯いた。
 おずおずと手を伸ばし、彼の掌の上に自分の左手を乗せた。彼はそのままカインの手を握り自分の方へ引き寄せた。
 背後から彼にすっぽりと包まれるような形で、大きく広げた彼の股の間からわずかに覗く座面に、浅く腰掛けさせられた。
 彼は長い腕をカインの腹の前で緩く組み、顎をカインの肩に乗せ、微かなため息をついた。
 これまでの日々を埋めるように、彼の手や唇や舌は常にカインの肌の上にある。黒い甲冑に代えて、まるで自分を纏っているようだ。カインは自分の下手な喩えに 薄笑いを浮かべた。
 心地良いぬくもりに身を任せ彼の慈しみに満ちた愛撫に歓喜しながらも、カインは彼の掌から伝わる「焦り」を感じていた。それは、これまでの彼からは決して見 て取ることのできない感情だった。

 何をしていたのか、と尋ねようと首を動かしたカインに先んじて、彼は口を開いた。
「暗いほうがよく聞こえる」
「……大丈夫ですか」
「たいしたことはない」
 彼が時折頭痛に悩まされていることをカインは知っていた。そのとき、頭の中から声が聞こえること、不快な幻臭がすることも併せて聞かされていた。
 念願だったすべてのクリスタルを集めてからというもの、彼の頭痛は日増しにひどくなり、会話の途中でも、上の空だったり同じことを訊き返したりすることが 多々あった。
 絶対だと思っていた主の不安定な部分を見ることはカインの心をざわつかせたが、一方で、彼が、決して手の届かない高いところから自分の方へ一段降りてきたよ うにも感じられて、配下にあるまじき邪な喜びがカインの胸を密かに浸した。それを気取られぬためには、こうして暗闇に身を置く方がいい。カインは、自分の腹の 前で組まれた彼の手に、いたわりの気持ちを込めて自分の手をそっと重ねた。
「昔は、誰しも頭の中でそういった声を聞くのだと思っていた。どうやら皆はそうでないらしい、と知ったときは、さすがにうろたえたな」
 自嘲の笑いを浮かべる彼にカインは眉を曇らせた。
 カインの知らない、彼の記憶のかけらが呼び起こすものなのか、あるいは彼にさえ分からない何者かが呼びかけているのか。どちらにしても、それは彼にとって歓 迎すべきものではないように思われた。

「私もゴルベーザ様の声が聞こえます」
 彼を慰撫するつもりで口にしたことだったが、カインはすぐにそれが失言だと気付いた。
 支配者であり不思議な力を持つ彼だからこそ、配下の頭の中に直接語りかけることができるとカインは解釈していたのだから、自分が言ったことは、彼が誰かに支 配されているということになる。
「すみません。違いました。まったく違います」
 執拗に弁明し謝罪することは却ってそれを印象付けてしまうように思え、心に逆巻く波をひた隠し、カインは敢えて淡々と謝罪し、悔恨の息が漏れないように口を しっかり閉じた。
 沈黙。
 それはほんの短い間だったが、自責の念に駆られるカインにとっては、ひどく長いものに感じた。 
「そうだ。違うな」
 彼は片手をカインの腹から外し、長い金の髪をくしゃくしゃと撫でつけた。
 カインは鼻から長い息を吐いて、さらに浅く腰掛けて身体をずらし、緩む頬を彼の胸に摺り寄せた。
「ゴルベーザ様は……その……」
「ん?」
 カインは唇を湿らせ、唾を飲み込んだ。
「おやさしいです」
「……甘く見られたものだな」
「いえ、そうではなく……」
 カインは言い澱み、伝えたいことを巧く説明できそうもないので、申し訳ありません、と頭を下げた。
「まあ、よい」
 彼は小さな息を吐いて、カインの耳に唇を寄せた。
 くすぐったさに肩をすくめ身を捩りながら、カインは、ありがとうございます、と謝罪ではなく感謝の言葉を、小さな声で呟いた。

「月に行けば、何かわかるかもしれんな」
 カインははっと息を呑んだ。そうだ、月に行くのだ。未だ想像し難い近い未来に、カインは武者震いした。
 すべてのクリスタルが揃い、二人はそれらにエネルギーが充填されるのをただ待っていた。
 版図を広げてきたのもクリスタルを集めるためで、その目的が達成されたいま、彼は翼下に収めた世界に興味を失ったようで、自分の色に塗り替えた世界地図を眺 める代わりに、クリスタルの目映い輝きをじっと見つめていることが増えた。クリスタルの前で頭を押さえうずくまる彼の身体を心配するあまり、何かしら理由をつ けて部屋の外へ連れ出したことも何度かあった。
 いつまで待てばいいのか。彼の不調を案じながらも、他に何もすることがなくただ抱き合うだけの退廃の日々は、カインにとって穏やかな至福のときだった。

「何かが変わるかもしれん……ただの勘だが」
 変わりたくない。カインは咄嗟に思った。
 望んでいたクリスタルを手に入れた彼。望んでいたぬくもりを手に入れた自分。それでいいではないか。願いは叶えられた。これ以上何も望まない。なのに止まる ことはできない。
 彼とならばどこへでもどこまでも行けると思っているはずなのに、手に入れると喪失の不安に怯えてしまう自分の心の弱さが歯痒かった。
「大丈夫だ。お前も連れて行くと言っただろう」
 カインはこくりと頷いた。不安に眉を曇らせた顔は見られていないはずなのに、やはり心の中は見透かされている。それとも、彼も同じ不安を抱えているのだろう か。同じ想いを抱えているのだろうか。

 彼の腕の中でカインは身体を反転させ、床に膝をついて彼に向き合った。
「ゴルベーザ様、明かりを、よろしいでしょうか」
 カインの願い出に彼は何も言わず、金色の髪から手を離し小さな声で短い呪文を唱えた。彼の指先に小さな炎が灯り、弾くように手を振ると、指から離れた炎がゆ らゆらと宙に浮き、二人の頭上で止まった。
 カインは恐る恐る腕を伸ばし両手を彼の首の後ろで組み、暖かな明かりの中で陰影を濃くした、かつての親友に似た彼の端正な顔をじっと見上げた。
「ゴルベーザ様。私は――」
 主従の一線を踏み越える言葉を口にしようとしたカインの唇に、彼は軽く噛みついて言葉を遮った。
「嘘など簡単につける」
「……私は、嘘など……」
「つくつもりはなくとも、結果、嘘になることもある。お前も、私も」
「……」
 後頭部を鈍器で殴られたような衝撃に、カインは言葉を失い俯いた。唇がわなわなと震え、彼の首に回した指に知らず知らず力が入る。
「嘘をつかざるを得ないときもある」
 彼はカインの顎を摘んで顔を上げさせると、口許に微かな笑みを浮かべ、その手をカインの左胸に当てた。
「言葉などいらん。ここだけ信じていればいい」
「……ここ」
 彼のそばにいるときは、寿命を縮めるのではないかと思うほど早鐘を打つ心臓。
「私の目を見てみろ」
 言われるままに、カインは自分のものより少し色の薄い青い眸を覗きこんだ。初めて彼の素顔を見たときは、猛禽類を思わせる鋭い眼光に思わずたじろいだが、い ま彼が向ける柔和な眼差しに、彼の内に秘めた悲しみを見たようで、カインは、自分の左胸に置かれた彼の手の上に自分の右手を重ね、ぎゅっと心臓を押さえた。
「何が見える」
「私が見えます」
「私もだ。私が見える。ずっと、私だけが見えていた」
「ずっと……」
 トクン、と二人の掌越しでも、鼓動が大きく伝わったような気がした。 
 満ち足りた思いが照れくささとともにカインの胸に広がっていく。この感覚には憶えがあった。黒い兜の向こうから注がれる視線が温かな慈しみに満ちたものだと 感じたことは、しあわせな勘違いでもおめでたい思い込みでもなかった。
 カインは、自分の左胸に置かれた彼の長い指を握り、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。

「大丈夫だ、カイン」
 彼はもう一度そう言った。
「これまで聞こえるとおりに、巧くやってきた」
「何らかの啓示かもしれませんね」
 調子を合わせただけの心にもないカインの言葉も彼に見透かされていて、神の存在など信じていない彼は、ふん、と鼻先で笑った。
 カインは、彼の涼やかな青い眸に映る自分の姿と彼の唇を交互に見つめながら、真摯な顔つきで尋ねた。
「もし……もし私を捨て置けと聞こえたら、どうされますか」
「声に逆らうとどうなるか、試してみるのもおもしろいかもしれんな」 
 彼は迷うことなく応えた。
 試したのは自分だ。やさしい彼に甘え、仮定の話をして彼に言葉を求めた。必要とされている喜びと自分の愚かな振る舞いと情けなさがない交ぜになって涙がこぼ れそうになるのを、カインは必死で堪えた。
「すみま……」
「謝らんでいい」
 俯いてしまったカインの髪を撫で、額に口付けた。
「言いたいことを言うおまえも、おもしろい」
 彼は両手でカインの頬を包み、親指でカインの瞼の下の膨らみを何度もなぞり指を滑らせ頬を撫でた。
「おもしろくて、いとおしい」
「……ゴルベーザ様は……ずるいです」
 私には言わせてくれないのに、とカインがわずかに口を尖らせると、彼は、その調子だ、と口の端を少し上げて笑い、カインの唇を自分の唇で挟み込むように啄ば んだ。
 彼の青い眸に映った自分は、いまにも泣き出しそうな顔をしていた。そんな情けない顔を見ていたくなくて、彼に見られたくなくて、カインは目を閉じ、今日と同 じ明日が来ればいいのに、と心の中で呟きながら、彼にさらに強くしがみつき、自分から唇を押し付けた。


















     
    2008/12/28
「ゴルカイミニマムアンソロジー」より

2016/06/08
再掲

BACK |